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  • アメリカン・アニマルズ(2018) directed by Bart Layton by TSUYOSHI KIZU May 14, 2019 1
  • スケート・キッチン(2018) directed by Crystal Moselle by TSUYOSHI KIZU May 14, 2019 2
  • ベン・イズ・バック(2018) directed by Peter Hedges by TSUYOSHI KIZU May 14, 2019 3
  • 誰もがそれを知っている(2018) directed by Asghar Farhādī by TSUYOSHI KIZU May 14, 2019 4
  • イメージの本(2018) directed by Jean-Luc Godard by TSUYOSHI KIZU May 14, 2019 5
  • 配信時代になったことの恩恵のひとつに、ドキュメンタリーが身近になったということがある。そこからイキのいい才能が現れ続けているが、本作のバート・レイトンもそのひとり。2004年、大学生4人組によってケンタッキー州トランシルヴァニア大学で引き起こされた窃盗事件――ターゲットはジョン・ジェームズ・オーデュボンの画集、つまり本(!)――を、再現ドラマと実際に犯行に関わった本人たちの証言を交えて物語っていく。その手法自体は真新しいものではない(テレビの特番でもよくあるものだ)。が、とくに証言部分におけるきめ細やかな演出と見事な編集によって、ドラマ・パートとドキュメンタリー・パートがまったくシームレスに連なっているのである。総体としてはクライム・ムーヴィーとして仕上げられているため、味わいはどこまでも「映画的」。いわば、タランティーノとデヴィッド・フィンチャー『ソーシャル・ネットワーク』が基礎教養となった時代のスタイリッシュでスリリングなドキュ・ドラマ。そして、ここでは無謀な犯罪の痛快さではなく、なぜ彼らが足を踏み外したのかの問いが観客に投げられることとなる。その辺りも含めて、直感的に新しさを覚えさせてくれる一本だ。

  • いくつもの映画がスケートボード・カルチャーを瑞々しく描いてきた。だけど、そこにいる女の子たちについては? ニューヨークに実在する女性たちによるスケート・クルー〈ザ・スケート・キッチン〉をモチーフにした本作では、様々な人種やセクシュアリティの女性スケーターたちの友情が映し出される。それはハリウッド的にお膳立てされた「多様性」ではない。まさにいま、ニューヨークの街を滑走している彼女たちのリアルに他ならないのである。フィクションとして作られてはいるものの、カメラをそこに置いてみただけ、というような空気感。何だかんだ男の子が支配的なスケートボード・カルチャーのなかにあって、殊更にそれに反抗するわけではなく、ただ夢中になれるスケートをいっしょにし続けること。毎日のようにつるんで、ときにはパーティで羽目を外してみたり、男の子を好きになってみたりもするけれど、何よりも彼女たちが輝くのは滑っている瞬間だ。好きなことをジェンダー規範や周りの無理解を理由に諦めない、その横顔がとにかくカッコいい。まさに最新版、ニューヨークのストリート映画。

  • 前回取り上げた『ビューティフル・ボーイ』と同様に、薬物依存に陥った息子とその親の葛藤を丹念に見つめる本作。こちらでは処方箋ドラッグがその引き金になっていることがはっきりと言及されており、子どもが薬物に手を出すのにいかに大人が――あるいはシステムが――要因になっているかがよくわかる。その上で、では大人は何ができるのか? 『ビューティフル・ボーイ』でも思ったけれど、それが自助を良しとするアメリカ社会だからとはいえ、「親」の問題に回帰するのは何とも言えない気持ちになってしまう。彼がある種社会の犠牲者なのだとしたら、「親」にその全責任を負わせるのは酷な話である。ラブコメ時代から遥か時は経て、本作で見せられ続けることとなるジュリア・ロバーツの必死の形相にうなだれずにはいられない……が、それこそいま、わたしたちが無視してはいけないものなのだろう。ちなみに何を考えているかわからない不気味さで言うと、『ビューティフル・ボーイ』のティモシーくんより、本作のルーカス・ヘッジスが一枚上手かも。

  • いまやイランを代表する映画作家アスガー・ファルハディの新作はスター・キャストを揃えたオール・スペイン・ロケ作品。物語自体はいかにもファルハディらしく、ある事件がきっかけとなって様々な人間関係に微妙な亀裂が入り、それが取り返しのつかないものになる……というもの。ぎっちり書かれた脚本の圧迫感や、苦々しい余韻も相変わらずだ。ただ、イランを出ていることが要因となっているのだろうか、これまで大きく浮き彫りになってきた(おもに男女間における)社会的な不平等は後景に退き、もっとストレートにメロドラマ性の高いものとなっている。そこが評価の……というか、好みが分かれるところかもしれない。が、顔の派手な俳優陣が濃厚な演技を繰り広げるため、ある種の俗っぽさが楽しめるのは方向性としてはアリなのかも。自分としては、そろそろまったく空気感の異なる、ゆったりとした味わいの作品も観てみたい気もするのだけど、まあそれは見当違いな注文なんだろうなあ、と。

  • ジャン=リュック・ゴダール、1930年生まれ。驚愕の3D作品『さらば、愛の言葉よ』(2014)を経て放たれた「新作」は、ゴダールの特異なフィルモグラフィにおいてもある種の極点を刻むものとなった。何しろ俳優を使った撮影はなくなっており、ただただ膨大な映像アーカイヴの断片が大胆に加工され、切り刻まれ、コラージュされ続けるのである。重ねられ、サラウンドするほとんどトリッピーな音響。おそらくもっとも近いのは6時間の大作『映画史』(1998)だろうが、ある意味で自身が身を投じてきた「映画」「革命」を包括的に捉えようとした同作と異なり、もっとパーソナルな語り――ナレーションはゴダール自身だ――が本作を貫いているように感じられる。つまり、ゴダールにしかわからないであろう文脈が。そのなかでかろうじてわたしたち観客が察知できるのは、欧州から中東へと映像の断片が移りゆく過程で、やはり「映画」「革命」が抜き差しならず鍵となっているということで、そして、ゴダールは老いた声で最後に「希望」と口にする。それが正確に何を意味するのか、正直に言ってどう受け止めていいのか戸惑いもするが、この洪水めいたアーカイヴの果てに、わたしたちの行く先をかすかに見る想いがする。

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