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AN OBJECT
 
No Age (Traffic) by JUNNOSUKE AMAI
YOSHIHARU KOBAYASHI
October 24, 2013
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AN OBJECT<br />
 

ディケイドの端境期を潜り抜け、USインディを牽引し続けるDIY精神。
はたして最新作はその進むべき道筋に新たな活路を示すことができたか?

2010年の3rdアルバム『エヴリシング・イン・ビトウィーン』前後のツアーでは、サウンド・エフェクト担当のメンバーを加えた3人編成でライヴが行われたと当時記事で読んだ。ドラムのディーン・スパントとギターのランディ・ランドールが演奏と歌に集中して専念できるために、というのがその理由らしいが、裏を返せば、それだけ当時のふたりの関心が演奏と歌以外のことに向けられていた、ということなのだろう。その兆候が明確に示されたのが、前年にリリースされたEP『ルージング・フィーリング』で、サンプルやオーヴァー・ダブ等のコラージュ的な要素を導入し、重層的なレイヤー・サウンドを構築することでシューゲイズなハードコア・パンクにアンビエントなテクスチャーをカスタマイズしてみせた。そして、その手法とアイデアは続く『エヴリシング・イン・ビトウィーン』に引き継がれ、実際にEPのレコーディングで制作された素材が収録曲に使用される場面もあった。つまり、件の3人編成とは、そうしたスタジオ・ワークにおける試行錯誤を実践の場にフィードバックさせるためのプロセスだったことが窺える。

振り返れば、当時は、まさにディケイドの移行に伴いインディ・シーンにおける空気の入れ替えのようなものが肌で感じられたタイミングだった。アニマル・コレクティヴ、グリズリー・ベア、ダーティ・プロジェクターズの三者が揃って最新作で収めた成功を受けて『アンカット』が「アメリカのラディカルなアンダーグラウンドのインディ・ロックがメインストリームを侵略した年」と報じた2009年の大団円をへて、ブルックリンを中心とした文化横断的なアート・ロックに替わり台頭を見せたのはロスやアトランタのローカルなコミュニティを舞台に再燃したガレージ・パンクやシューゲイザー、サーフ・ポップだった。ノー・エイジはその最大の立役者でありロールモデルといえ、2ndアルバム『ノウンズ』の成功が周囲や後続の世代に与えたインパクトは大きい。そんな彼らが、早々に訪れたシーン内の飽和的状況を予見するように、あのタイミングで自らオルタナティヴな選択を示したところに『ルージング・フィーリング』と『エヴリシング・イン・ビトウィーン』の可能性はあったといえた。

気になったのは、それから今日まで自分が観た二度の来日公演で3人編成のライヴは行われなかったこと、また、そういう話を目にすることもなくなったことだ。そもそも裏方要員としての3人目だったのか、それとも、試みられた実践は不調に終わったのか。ただ、確かなのは、そのEPとアルバムで提示されたサウンドはステージで再現されていたとはいえず、従来の印象通り作品とライヴはあくまで別物、という実感である。

そういう意味で、本作における彼らの決断は明快だ。ここでの彼らは「演奏と歌に集中して専念」している。ディスコグラフィ的には、EPと前作の流れから『ノウンズ』へと回帰を見せ、つまりポスト・プロダクションを応用しサウンドを拡張させるのではなく、ふたりのバンド・アンサンブルを凝縮させる方向へと力点を移した。そのことは今回図られたドラム・キットの増強やベース・ギターの導入にも象徴的だが、いうまでもなく、これは音楽的な後退を意味するものではない。ハンドメイドなエフェクトや音響的なテクスチャーは“ランニング・フロム・ア・ゴー・ゴー”や“ア・セイリング・ドリームス・オブ・フロア”などで散見でき、あるいは“アン・インプレッション”ではチェロ奏者も迎えられている。そうしたこれまでとの連続性を踏まえた上で、2人編成のミニマルなアプローチをあらためて振り切った。テクニカルなタッチを増したランドールのギター奏法も含め、いわば器楽としてのフォーマットの追求にこそ本作の醍醐味はある。

もっとも、ここで下された決断もあくまで暫定的なものなのだろう。近年は映像やアート作品とのコラボレーションも行われるなど、ふたりの試行と探究は続いている、加えて、今やふたりに寄せられる期待とは、作品としての評価云々を超えて、〈ザ・スメル〉との関わりをはじめインディ・シーンにおけるDIYな精神的支柱としての側面も大きい。手作業にこだわったパッケージング然り、本作からは、そこに体現されたふたりのアティチュードのようなものも読み取ることができるはずだ。

文:天井潤之介

『ノウンズ』の呪縛から生じた迷いや戸惑いを経て、
再び彼らの羅針盤が正しい方向を指し示した四作目

『ピッチフォーク』に掲載されたノー・エイジのインタヴュー冒頭に、とても象徴的なシーンが描写されている。驚くべきことに、彼らは今回のアルバムのうち5000枚を自分たちの手で包装してシッピングしたのだという。当然のことながら、今や〈サブ・ポップ〉が抱える看板アーティストの一組と言っていい彼らが、そんなことをする必要はない。ただこの行為を通して、ハードコアなパンク・コミュニティに出自を持つディーン・スパントとランディ・ランドールは、徹底的にDIYだった自分たちのルーツを確認したかったのだろう。もちろん、そのような不自然な確認行為をしなくてはならないのは、彼らに何かしらの迷いや不安、戸惑いがあったからに他ならない。やや厳しい言い方をしてしまうと、反動的な原点回帰――なのだが、それは結果として『アン・オブジェクト』を正しい方向に導いたようにも感じられる。

驚くほどポップなメロディと練り上げられた多層的なアレンジ、そして「ローファイ」という強固なイメージを振り払うかのようにクリアなプロダクションを手にした前作『エヴリシング・イン・ビトウィーン』と較べると、〈サブ・ポップ〉からの三作目となる『アン・オブジェクト』は荒々しいパンク・サウンドへと揺り戻されている。本人たちは〈サブ・ポップ〉移籍前の初期音源集『ウィアード・リッパーズ』の削ぎ落とされた音作りを比較に挙げていることが多いが、それも理解できなくはないだろう。確かにこのアルバムを特徴づけているのは、意識的に音数を絞ったアレンジと生々しいエナジーだからだ。

しかしながら、本作はただの原点回帰では終わらない。今回はディーンがノー・エイジで初めてベースを弾いているのも大きなトピックのひとつだが、それ以上にドラム・サウンドにおける実験が耳に留まる。例えば一曲目の“ノー・グラウンド”では、ハイハットの音をキックの代わりに使っているだけで、ほかにドラム・サウンドは一切ない。また、“アン・インプレッション”ではドラムが終始ミュート気味の奇妙な音の録り方をしているし、“ディフェクター・エド”に至ってはギターがリズミックに刻まれる代わりに完全にビートレスだ。つまり、全体的な方向性としては、より荒々しくて削ぎ落とされたサウンドへと回帰しているのだが、その中でいかに新しい冒険を行うか、というのが、今回彼らが重きを置いているポイントに違いない。

『エヴリシング・イン・ビトウィーン』における「真っ当な」成長も決して悪くはなかった。しかし、よりポップなメロディを志向し、より綺麗に磨き上げられた音へ、という方向性では、最終的に行き着くのは大文字のロックであって、それは根っからのパンク/インディ思考である彼らの求めるものではなかったはずだ。そこからの意識的な揺り戻しが本作にはある。

『ノウンズ』がUSアンダーグラウンド新潮流の旗印となったことで、彼らは少なからず戸惑いを覚えることになった(その後のインタヴューでも、『ノウンズ』の成功は出来るだけ考えないようにしていると話していた)。そして、『エヴリシング~』では暫定的に新しい方向性を示したが、本当にそれでよかったのだろうか、という迷いが頭をもたげた。そこで行き着いたのが、引き算の美学を守りながら前進を続ける『アン・オブジェクト』という答えだったのだろう。正直なところ、このアルバムでは、まだ『ノウンズ』の呪縛を完全に振り払うほどの新境地を切り開けているわけではない。しかし、このアルバムで示された方向性であれば、ノー・エイジの行く末はまだまだ期待を込めて注視していきたい、そんなふうに思わせられたのは確かである。

文:小林祥晴

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