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THE RIDE Catfish and The Bottlemen (Universal) by ATSUTAKE KANEKO
AKIHIRO AOYAMA
July 25, 2016
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THE RIDE

決して「ストレートなロック・アルバム」ではない
遅咲きの新人による周到なライヴ(向け)アルバム

1stのジム・アビスに続いて、本作ではプロデューサーにヒット請負人のデイヴ・サーディを迎え、見事に全英一位を獲得。デイヴが手掛けたオアシスの『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』のようなシンガロング対応のメロディとヴィンテージ感のあるサウンド、ストロークスの『ルーム・オン・ファイア』のようなクールネスとソリッドなアンサンブルを併せ持ち、また、バンドの出身がウェールズであることを加味すれば、青さと豪快さが程よいバランスだった初期のステレオフォニックスに通じる部分も感じられたりと、「これはイギリス人が嫌いなわけないでしょう」という仕上がりだ。

しかし、本作に対して「ストレートなロック・アルバム」と評する意見に対しては、僕は賛同しかねる。むしろ、このアルバムはすでに活動歴8年以上を誇る遅咲きの新人バンドが、周到に作り上げたブレイク作なのだと言うべきだろう。特に、彼らが意識していたのが「ライヴ映えのする楽曲」というポイントで、ヴァン・マッキャンは「例えば、曲がブリッジに至るとそこでドロップ・ダウンするっていうのを意図的にやってる」などと話しているように、巧みな緩急がオーディエンスを惹きつける魅力となっているのだ。

それが顕著に表れているのが、アルバムのオープニングを飾る“7”や“トゥワイス”、ラストを締めくくる“アウトサイド”で、やや極端に感じられるほどにパートごとの落差をつけ、さらには同じパートをバックのアレンジを変えて繰り返し登場させることで、楽曲のドラマ性を見事に盛り上げている。その一方、サビではシンプルな頭打ちが多用されていて、単純にのりやすかったりと、このあたりのさじ加減の上手さが本作の肝。昨今のUKロック・バンドの新人としては珍しく、USツアーもしっかり回っているそうで、長いロードの中で徐々にアレンジに対する感覚を養っていったのだろう。また、自身の経験とも紐づいた、市井の人々の恋愛を描いた歌詞にしても、「共感」のツールとしてライヴで威力を発揮するものだ。

少し前にUKツアー帰りのザ・フィンの取材をしたとき、「広い大陸をツアーで回らないといけないアメリカのバンドに比べて、ロンドンをはじめとしたイギリスの同世代のバンドは下手くそなバンドも多かったでしょ?」と訊いたら、「いや、みんな上手かったですよ」という返事を返された。つまり、「音源よりもライヴが重要な時代」という議論は近年ここ日本でもさんざん交わされているが、それはイギリスでも同じであり、むしろ日本以上にバンドが置かれている状況が厳しいことを考えれば、かつてのようなハイプはもはや成り立たないということなのだろう。そして、そんな中から大ブレイクを果たすバンドというのは、必然的にライヴの上手いバンドであるはず。そんな意味においても、キャットフィッシュ・アンド・ザ・ボトルメンはやはり時代を象徴する存在なのだと言えよう。

文:金子厚武

The1975の後を追う快進撃を果たした英国ロック・バンドに
本当に我々が待ち望んだサムシングは宿っているのか?

「ハイプ」という言葉が死語になってから、どれくらいの時が経っただろうか。つい10年ほど前には、特にメディア主導で新しいスター候補が次々と紹介されていた英国のロック・シーンを語る際によく使われていたと記憶しているが、今やさっぱり見かけなくなった。「誇大広告」を意味するその言葉は、〈NME〉を筆頭とするUKメディアの青田買い体質を批判する意味合いで使用されていたものの、同時に00年代までの英国ロック・シーンがそれだけ多くの血気盛んなギター・バンドで活況を呈していた事実を象徴するものでもあった。だが、いまや英国のロックを巡る状況はかつてないほどに冷え込み、〈NME〉はフリー・ペーパー化して求心力を激しく失い、かの地から〈NME〉に取って代わり〈ピッチフォーク〉にタメを張れるような影響力を持つネット・メディアも生まれていない。

ハイプという言葉と入れ替わるように、ブレイク寸前の音楽を語る時には「バズ」という言葉をよく見かけるようになった。それは元々「口コミ」という意味のマーケティング用語なので、既存メディアの権威が薄れ、ライヴ等の現場やインターネット上での話題性が相対的に影響力を増すようになった現代情報社会の変遷を自然と反映した変化なのだろう。そして、UKロックの冷え込みを憂う批評メディアや評論家の指摘など何処吹く風で、「バズ」の時代を追い風にして成り上がってみせるバンドもイギリスからは一定数登場してきている。その筆頭は英米1位を獲得したThe 1975だが、このキャットフィッシュ・アンド・ザ・ボトルメンも彼らのすぐ後ろを追う注目株だ。ほとんど批評メディアの後押しを受けなかったにも関わらず、2014年リリースの1st『ザ・バルコニー』は全英10位にランクイン。続くこの2作目『ザ・ライド』は何と全英1位に輝き、アメリカでもチャート上の成績を飛躍的に伸ばしている。

彼らの音楽性は、一言で言えばこれまでの英国ロック・シーンの良いとこどり。ジョニー・マー譲りのジャングリーなギター・リフに、オアシス並の野心がみなぎるフックの効いたメロディ。フロントマン、ヴァン・マッキャンの歌声にはクークスのルーク・プリチャードにも似た蒼さがあり、タイトなビートに適度な厚みを持つギターが合わさったアレンジは、ロックンロール・リヴァイヴァル全盛だった00年代英国のバンドの数々を思い起こさせるかのようだ。2枚のアルバムに収録されているのは、いずれも隅々までライヴでの盛り上がりを意識して作られた楽曲ばかりで、実際にグラスゴーのO2アカデミーで行われたライヴを映したこの映像を見ると、最初から最後まで大合唱を続けるオーディエンスの熱狂的なレスポンスに圧倒される。J-ROCKのシーンではフェスでの盛り上がりに特化して高速BPM化したバンドを指してガラパゴス的と批判されることがあるが、キャットフィッシュ・アンド・ザ・ボトルメンの音楽も英国におけるガラパゴス化したロックの形、とも言えるかもしれない。まぁ彼らの場合、すでに英国だけでなくアメリカでも受け入れられつつあるのだから、ガラパゴス的であることが絶対に悪だとは思わないのだけれど。

ただ、現時点での彼らの音楽は、あまりにも観客の方を向き過ぎているのではないか、と思う。とにかくビッグになりたい、オーディエンスを盛り上げたいという心意気自体は決して間違いではないが、それを意識するあまりに没個性的で、彼らが何よりも表現したいものは何なのか、全く伝わってこないのだ。彼らキャットフィッシュ・アンド・ザ・ボトルメンは結成から長いキャリアを持ち、数多のライヴをこなしてのし上がってきた叩き上げのバンドではあるのだが、リスナーのご機嫌をうかがってばかりいると、マーケティング主導で作り上げられたエセ・インディ・バンドと何ら変わらない代物に成り下がってしまう。もしかすると、それも「バズ」の時代だからこその弊害と言えるかもしれないが。

好き嫌いは別にして、一足早くポップ・フィールドでブレイクスルーしたThe 1975の2ndアルバムには、ただ聴き手にゴマをするだけではない強烈なエゴの放出やサウンド面での逸脱/拡張があった。思考し、語りたくなる要素があった。しかし、今のキャットフィッシュ・アンド・ザ・ボトルメンの音楽には、「全英1位」や「ライヴやフェスにおける圧倒的な支持」といった状況論の他に、特に語るべきサムシングが見当たらない。英国のロック・バンドとしては破格の成功を収めた彼らには、今後オーディエンスの反響に応えるだけではない、自らの表現欲に寄り添った歩みを期待したい。それが形となって初めて、彼らキャットフィッシュ・アンド・ザ・ボトルメンは正真正銘の英国ロック・シーンの救世主になれるんじゃないかと思う。

文:青山晃大

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