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SUPERMODEL Foster The People (Sony) by YOSHIHARU KOBAYASHI
AKIHIRO AOYAMA
March 27, 2014
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 SUPERMODEL

稀代のインディ・ポップ職人が、その戸惑いや混乱も
包み隠さず記録した、正直でリアルなドキュメント

MGMT『オラキュラー・スペクタキュラー』のメガ・ポップ・ヴァージョンか、はたまたシロップ漬けにしたパッション・ピットか。過去数年のシーンのトレンドを鮮やかな手さばきで取り込み、耳について離れない強烈なメロディを貼り付けたフォスター・ザ・ピープルの1st『トーチズ』は、いい意味で素晴らしく軽薄なインディ・ポップ・アルバムだった。要するに、セルアウトしたポップスでもなく、せせこましいインディでもなく、しかしどちらかと言えばポップ寄り、という絶妙なライン。本当によく出来ている。インディのニッチ化が騒がれた2011年にこのようなアルバムが登場したこと自体が驚きだったし、何よりそれが200万枚以上の大ヒットという十分過ぎるほどの結果を叩き出したのは痛快な出来事だった。

理想的な成功を収めたと言っていい同作から3年。やや長めのインターヴァルを経て届けられた新作には、わかりやすく「成功、その後」の憂鬱が滲んでいる。浮足立った雰囲気はすっかり払拭され、全体的なムードは内省的でエモーショナル。金塊の上に立たされた「スーパーモデル」がパパラッチに囲まれているというアルバムのアートワークは、急激にスターダムを上り詰めた彼らの心境を反映していると理解するのもたやすいだろう。いわゆる2ndアルバム・シンドロームと呼ばれるものだ。

今や押しも押されもせぬ売れっ子であるグレッグ・カースティンをソングライティング・パートナーに迎えている冒頭2曲と、それに続くリード・トラックの“カミング・オブ・エイジ”は、極めて中毒性の高いメロディがギター・ヘヴィな新機軸のサウンドに乗って空高く舞い上がる、「さすがフォスター!」と唸らされる出来。倦怠感に塗れながらも、このまま稀代のインディ・ポップ職人の底力で一気に押し切るのか?と胸躍る瞬間だ。ところが、その後は意識的にトーンが変えられている。

眩いシンセ・ポップにシューゲイザーの陶酔をまぶしたような“シュードロジア・ファンタスティカ”、『スマイル』期のビーチ・ボーイズを髣髴とさせる30秒の小品“エンジェリック・ウェルカム・オブ・ミスター・ジョーンズ”、フォーキーな弾き語り調の“ネヴァーマインド”や“ゴーツ・イン・ツリーズ”、そしてノイズ・ギターが唸りを上げる“ビギナーズ・ガイド・トゥ・デストロイング・ザ・ムーン”(この曲ではクラムス・カジノが共作者としてクレジットされている)。彼らが感じた戸惑いや混乱をそのまま記録したような中盤~後半は、下手をすれば散漫とも取られかねない。だが、今回はそのリスクを負っても、正直でリアルなドキュメントを作っておきたかった、もしくは作らずにはいられなかった、ということか。敢えてリード曲にはしなかったのであろう、“パンプド・アップ・キックス”のパート2とでも言えそうな“ベスト・フレンズ”の軽快でご機嫌なノリがやたらと浮いて聴こえるところに、このアルバムの特徴がはっきりと見て取れる。

文:小林祥晴

2010年代屈指のヒットを放ったインディ・バンドによる
「難しい2ndアルバム」の典型症状

デビュー作で成功を収めたバンドにとって、2ndアルバムが鬼門だとはよく言われる話だが、ここ数年の中で最も難しい2ndのジンクスに直面せざるを得なかったバンドの1つは、このフォスター・ザ・ピープルに違いない。何しろ、彼らが成功を手にしたのはデビュー・アルバム『トーチズ』というよりもむしろ、デビュー・シングルの“パンプド・アップ・キックス”。その規模も数多のインディ・バンドの比ではなく、アメリカ国内だけで500万枚、全世界トータルでは1000万枚近くという、2011年当時の音楽シーン全体を見渡しても指折りの特大メガ・ヒットだ。1曲のヒット・ソングと引き換えに、バンド/アーティストのイメージが固定化されてしまう不幸はポップ・ミュージックの歴史の中ではまま起こってきたことだが、フォスター・ザ・ピープルも同様の十字架を背負ってしまったバンドのひとつと言えるだろう。

約3年振りのリリースとなる2作目『スーパーモデル』には、“パンプド・アップ・キックス”のヒットによって大衆に焼き付けられたパブリック・イメージの先へと進まんとする苦心や努力の跡があらゆる面で刻まれている。まず、本作のコンセプトとなっているのは、多くのカメラに囲まれ金塊の上に立つモデルが詩をゲロのように吐き出すアートワークやアルバム・タイトルにも象徴される、消費主義社会やセレブ・カルチャーへの批判的な視座。音楽的にも、前作の基調となっていたダンサブルなエレクトロニック・ビートはよりオーガニックな質感へと変化し、印象的だったシンセサイザーに代わってアコースティック・ギターが頻繁に登場するように。ネオアコ風味の“アスク・ユアセルフ”から、1stの頃のMGMTを思わせるスペーシーなサイケデリア“スードロジア・ファンタスティカ”、粘っこいファンク・ビートを聴かせる“ベスト・フレンド”等々、楽曲ごとの音楽性の多彩さは前作の比ではない。

ただ、本作で残念なのは、知的なコンセプトと音楽的な拡張を追求するあまり、彼らの最たる魅力だった弾けるようなポップ・センスに陰りが見られることだ。アフリカ音楽のビートとハイパーなコーラスを融合した1曲目“アー・ユー・ホワット・ユー・ウォント・トゥ・ビー?”を筆頭に、相変わらず素晴らしい煌めきを放つ楽曲もあるものの、特に物憂げな楽曲が並ぶ後半部からは溌剌とした彼ららしさが全く感じられない。総合的に見れば本作は、成功の後の憂鬱と内省を色濃く反映し、以前とは異なる成長した自分を見せようと気負うあまり本質的な魅力を見失ってしまった、「難しい2ndアルバム」の典型的な症状に陥ってしまっているように思う。

例えば、フォスター・ザ・ピープルが初期から比較され、同様の「ポスト・サクセス」を体験してきたMGMTはその後、周囲の期待を一切顧みず、自身のルーツや本能だけに従う道を選んだ。結果として、MGMTは今や順調に求心力を失いつつあるように見えるが、それでも彼らは楽しげだ。それはおそらく、大学の内輪ノリから誕生した彼らの本質が最初から大衆性とは無縁の場所にあったからだろう。しかし、ハリウッド・カルチャーを身近に体験しながら育ち、バンド結成以前はCMのジングル製作の仕事をしていたキャリアを持つマーク・フォスターの率いるフォスター・ザ・ピープルはMGMTとは違い、大衆性を根っこの部分に持つバンドだと思う。彼らが“パンプド・アップ・キックス”の呪縛から解き放たれるために本当に必要なのは、ありきたりな内省や成熟ではなく、そのイメージをさらに強い色彩で上書きするような、新たなヒット・ソングではないだろうか。

文:青山晃大

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