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MGMT
 
MGMT (Sony) by JUNNOSUKE AMAI
YOSHIHARU KOBAYASHI
October 29, 2013
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MGMT<br />
 

パブリック・イメージや賛否両論を振り切り、
二人だけの解放区を築いた3作目

いわゆるポップ・スターの憂鬱というやつへの対処療法的な意味合いも二人には精神衛生上あった前作『コングラチュレイションズ』が、音楽的にもある種の回顧的、いや自己言及的なきらいの内容となったのは、当然の流れだったのかもしれない。デビュー作『オラキュラー・スペクタキュラー』のバズがもたらした周囲の外圧が、それをシャットアウトするべく内的な志向へとふたりを動機づけたのか。ともあれ、60年代や70年代の音楽に影響を受けた自分達のパーソナリティを提示したい、といった趣旨のふたりの目論見は、ビートルズとビーチ・ボーイズへの信仰告白をへてビッグ・スターやエレクトリック・プルーンズの形見も蒐集しながら、80年代のペイズリー・アンダーグラウンドの記憶まで呼び起こす総覧的なサイケデリック・ミュージックを40分強のコンパクトなフォーマットに成就させた。そうした意味でプロデューサーにソニック・ブームが起用されたのも頷ける話で、かねてよりスペースメン3のファンを公言していた二人にとって、それは作品内でブライアン・イーノやダン・トレーシーに対しても示された親近感に加えて実用性を兼ねた選択だったはずだ。

一方、『コングラチュレイションズ』が印象的だったのは、それが同時にUSインディのリアルタイムなトピックを網羅した縮図を呈していたことだろう。ガレージ・ロックやオールド・ポップへの愛着、サーフィンのモチーフ、シューゲイザーの再興、その症例としてのノイズへのフェティシズム、リヴァービーなプロダクション、そして……「ローファイ」というターム。それら同時代的に浮上した音楽嗜好は、きわめて同時代的なジャンル音楽だったチルウェイヴとシェアされながら、まさに前述の固有名詞にそのルーツが紐解かれるというかたちであのアルバムに集約されていたともいえ、それこそ(ノー・エイジのレヴューでも書いたように)2000年代の文化横断的で折衷主義的なモードの反動とも取れるレイドバック志向が顕在化した2010年当時の状況と、ある種のレトロスペクティヴな性格も帯びた『コングラチュレイションズ』は親和性を認めることができる関係にあったことは間違いない。たとえばそれは、同年にリリースされたヴァンパイア・ウィークエンド『コントラ』の由緒正しい2000年代のブルックリン・マナーとは異なり、参照性という縦軸と同時代性という横軸が入れ子のように撚り合わされていたところに、『コングラチュレイションズ』という作品の捉えがたい魅力はあった。

ソニック・ブームの強力なディレクションも働いた『コングラチュレイションズ』に対して、本作のプロデューサーを務めたデイヴ・フリッドマンのサウンド面に関する裁量は、あくまで最終段階の交通整理程度のものだったと聞く。実質セルフ・プロデュースに近い感覚で作業は進められ、ノー・プランで3、4時間ぶっ通しのインプロヴィゼーションを元に片っ端から素材を録音していくという、かなり自由度の高いアプローチが取られたようだ。その成果は、まるでブルース・ハックとフレーミング・リップスによる“スペース・オディティ”のようなリード・トラック“エイリアン・ジャム”が雄弁に告げていたが、それでも比較的ポップ・ナンバーが並べられたアルバム前半部とは打って変わり、ストラクチャーやレイヤーに無調の響きを増す後半部の楽曲群にこそ、本作の真価はあるといえる。

スーサイドの“ドリーム・ベイビー・ドリーム”とKLF『チル・アウト』を重ね録りしたような“アイ・ラヴ・ユー・トゥー、デス”からは、いわゆるコンポーズ中心のソングライティングやヴァース・コーラス的な発想と目下のふたりの音楽的関心との間には大きな隔たりがあるということが十分過ぎるほど伝わる。“プレンティ・オブ・ガールズ・イン・ザ・シー”はまるで浸水しダッチロールした“イエロー・サブマリン”といった趣で、ビートリーなるものへの自虐めいたパロディも思わせて可笑しい。さらには、“アストロマンシー”の反復するリズムとグルーヴに、『コングラチュレイションズ』でソニック・ブームが授け忘れた薫陶――シルヴァー・アップルズやクラウト・ロック、そして自身のE.A.Rに通奏するミニマリズムを今更ながら聴き取ることができるだろう。というか、それこそスペクトラムやE.A.R.のイメージ、あるいはパンダ・ベア『トムボーイ』における仕事ぶりからすれば、むしろ本作の方がソニック・ブームのプロデュース作品といった感触に近いのではないだろうか。いずれにせよ、本作で二人は、“キッズ”のパブリック・イメージも、『コングラチュレイションズ』の賛否両論もまるで意に介さぬように振り切れた態度で、音楽に深く没頭しているようだ。

実際にメンバーを加えるなどバンド・サウンドの制作が目的とされた『コングラチュレイションズ』に対して、ふたりだけのプライヴェートなセッションから始まり、それをそのまま発展させた本作のプロセスには、自分達の音楽作りの原点に立ち返るという意味もあったのかもしれない。もっとも、それでも様々なコンテクストから聴き解かれることを本作は免れないが、とりあえず、ふたりにとっての等身大(語弊のある言葉だが)以上の何かを象徴したり意味付けられたりするような作品ではなさそうだ。

文:天井潤之介

急激なブレイクに翻弄されたナード二人組が
遂に到達した自分たちらしさと、そこへの自嘲的な笑い

まるで憑き物が落ちたかのように伸び伸びとしているな、というのが第一印象。そして、それが00年代ブルックリンのモダン・サイケデリアを牽引したデュオの3rdアルバムにおいて、もっとも重要なポイントに感じられる。

改めて説明する必要もないかもしれないが、前作『コングラチュレイションズ』は、1st『オラキュラー・スペクタキュラー』が大ヒットを記録し、あまりにも急激にポップ・スターの座を射止めてしまったことに対する戸惑いが滲み出ている作品だった。敬愛するソニック・ブームをプロデューサーに迎え、1st以上に彼ら本来の音楽的な嗜好を反映させてはいたものの、ポップ・スター・シンドロームに苛まれる自分達を精一杯の自嘲的なユーモアで笑い飛ばしながら(“レディ・ダダズ・ナイトメア”、“コングラチュレイションズ”)、内向的で甘ったるいソフト・サイケデリアに耽溺している姿は、今振り返ると少しばかり痛々しかった。そして『オラキュラー~』はというと、その後の彼らを知った今では驚くほどリッチなプロダクションのエレクトロ・ポップのため、ヒットを望む所属メジャー・レーベルとアーティスト本人達のやりたいことがまだ上手く噛み合っていなかった、ということなのだろう。しかし、この『MGMT』では、そういった不自然さは全くもって感じられない。これまでの彼らは、いつもどこか肩に力が入っていたり、いまいち自分達のやりたいことを表現し切れていなかったりしたわけだが、三作目にしてようやく等身大の作品を作ることが出来た、と言っていいのではないだろうか。

もっとも、音楽的には従来から大きな変化があるわけではない。基本的には、少しばかりエレクトロニックで、ドローン/アンビエントの微睡みも塗された、心地よいソフト・サイケデリック・ミュージックだ。乱暴に言ってしまえば、前作から“ダン・トリーシーの賛歌”に代表されるネオアコ系の曲を抜き去り、よりディープでスポンテニアスな雰囲気を高めた感じと言うべきか。プロデューサーは1stにおけるビッグなサウンドの元凶とされてしまうこともあったデイヴ・フリッドマンだが、元々サイケデリック・サウンドの名手である彼は、しっかりと二人の求める音を理解した今、本作を然るべきサウンドへと落とし込んでいる。ただ、全体的に非常に風通しがいいものの、よくも悪くも自由奔放なため、どこか捉えどころがなく感じられるのも確か。明らかに賛否が分かれる作品。だが、ようやくやりたかったことを存分に出来て、晴れやかな笑顔を見せている今の彼らは、祝福されて然るべきだろう。

3rdアルバムをセルフ・タイトルにするということは、『コングラチュレイションズ』をリリースして間もない頃から公言していた。当時の彼らは、3rdをセルフ・タイトルにするアーティストが多いことに対する、ちょっとした皮肉を込めているつもりだったという。しかし、実際に出来上がった作品を前にすると、これほどMGMTにとってセルフ・タイトルがふさわしいアルバムもないと感じられる。おそらく、彼らも自分達が「様々な逡巡を経て3rdで本当の自分たちらしさに到達する」というステレオタイプな道のりを歩んできてしまったことを苦笑しながら、敢えてこのタイトルのまま行くことを決めたに違いない。そういった皮肉や自嘲的な態度が相変わらず込められているという点で、このアルバムはなんともMGMTらしいと言えるのではないか。

文:小林祥晴

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