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OXYMORON ScHoolboy Q (Universal) by MASAAKI KOBAYASHI
AKIHIRO AOYAMA
March 06, 2014
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OXYMORON

ただリアルなのではなく、実は虚飾ない交ぜであるという
ギャングスタ・ラップの「リアル」の系譜と、その継承

自分のこめかみに銃口を押しあて引鉄を絞る場面を幕切れとするミュージック・ヴィデオでの描写/表現が誇張であることを差し引いても、“サクリレジャス”は、スクールボーイ・Qというギャングスタ・ラッパーのアルバム(前作『ハビッツ・アンド・コントラディクションズ』)のオープニング曲としては、相当陰鬱な内容の曲だった。神でさえ、自分の犯した悪行は許してくれないと悶々としているのだ。ただし、同時に、これは、自分はそれほどまでに悪行の限りを尽くしてきたのだというアピールにも聞こえてくるわけで、罰当たりでもあり、アルバム・タイトルに則している。

そして、本作。一通り聴けば、すぐ気づくように、子供の声(しゃべり)が収録曲のあちこちで聞こえてくる。のっけから「ねえ、ちょっと、うちの父さんはギャングスタなの」だし、表題曲“プレスクリプション/オキシモロン”では「どうしたの?だいじょうぶお父さん、起きて、起きてよ」と、ドラッグが効きすぎて、お父さんは、全然起きられないようだ。Qに売人経験があることは、過去の発表曲とあわせても間違いない。だとすれば、ここに描かれているように、「Oxycontin(オキシコンチン)」の売人が、自分の売り物に手を出して、ぶっ倒れているようでは、まさに「Moron(アホ)」だ。これは、元売人のラッパーが、売人を戯画化したものなのかもしれない。アルバム冒頭で、悪羅悪羅調でまくしたてる「ギャングスタ!ギャングスタ!…」の響き方(というか、はしゃぎっぷり?)はどうか?

さらに、この“プレスクリプション/オキシモロン”にこだわるなら、娘をきちんと食わせるために、「Prescription(処方箋)」が必要な類の薬物を密売してしまうほど「親バカ」という意味で「Moron」が、使われていることも考えられる。この曲に続く“ザ・パージ”の冒頭では、娘が「お父さんが言ってた、銃を抜けって」と言っているし、「銃をぶっ放すのも俺一人、ヤクを扱うのも俺一人……痛い目に遭う場合も俺一人」ともライムし、ギャングスタとしてはロールモデルであることをよーくわからせても、子を持つ父親としては体をなしていないことをモロにさらけ出している。

もっとも、どこまでが、スクールボーイ・Qというキャラの言葉なのか、実話なのか、正直言ってよくわからないのだけれど(Qが、おばあちゃん子であり、このおばあちゃんが、彼のギャングスタへの目覚めを促したのは事実だろう)、いずれにしても、通算3枚目となる今回のアルバムにも、彼自身の抱え込んでいる「矛盾(Contradictions)」が、作品内に子供を引っ張ってきたことで、色濃く表れている。そこから考えれば、前作『ハビッツ・アンド・コントラディクションズ』でサンプルしていた曲を収録するポーティスヘッドの『ポーティスヘッド』の別の曲が“プレスクリプション/オキシモロン”でサンプルされてるのも単なる偶然ではないだろう(もはや、ラップのビートに彼女たちの曲がサンプルされること自体は珍しくない)。“グルーヴラインPt.2”も、タイトルが示す通り、前作収録曲の続編だ。ただ、ここで、ピンプっぽいスムースなしゃべりを自分のスタイルに活かしたラッパーのシュガー・フリーを起用している。Qとしても、今回は、ギャングスタであることは勿論、ピンプな自分をも際立たせたかったのか、自分のMCネームそのものが、かつて近所でよく見かけた”スクールボーイ”という名のピンプから取ったものなのだと、ここにきて、公言している(その後に入っている“スタジオ”もラヴ・ソングと思いきや、ピンプ的な?おかしな終わり方をしている)。前作にはなく、1作目のアルバムの雰囲気を踏襲した曲“ブラインド・スレット”もあるが、やはり、自分を表現する上で、前作をたたき台にしているようだ。で、今回はメジャー・デビューということで、客演者に有名どころを適材適所に招き……にしても、不思議なことに、一人くらい主役を食うようなラップを聞かせてくれる者がいても、おかしくはないのだが、全員が、こじんまりとフィットしている、かろうじて、タイラー・ザ・クリエイターが自分の曲ではやれていないことをやれているだろうか、プロデューサーも、“ブレイク・ザ・バンク”で、柔軟性のあるQのフロウを際立たせるような、ミニマルだが癖のあるビートを提供し、職人芸が光るジ・アルケミスト、あるいは、今が旬のマイク・ウィル・メイド・イットやファレル・ウィリアムスなど、外部の重要人物も積極的に起用している。また、この曲で繰り返される「Break The Bank(がっつり稼ごう)」、あるいは、数曲で出てくる、Qお得意の「ノック、ノック、ヤック、ヤック」など、キャッチーなフレーズでリスナーの耳を惹きつけようとしている(つまり、同じ売人でも、プッシャ・Tのような、パンチラインの連打で圧倒するようなタイプではない)。

サウンド全体に妙な統一感があることで、恐らくはテーマとして掲げられた、ギャングスタの抱える「矛盾」が、より活きてきている、とも言える。そして、ギャングスタ・ラップ・アルバムとしてはどうなのかという話になれば、例の娘の直接参加によって、Qの言葉が、よりリアルに響くようになった、のではなく、むしろ、実は虚実ない交ぜなのだというギャングスタ・ラップ・アルバムのリアル(の伝統、1980年代末のN.W.Aの昔からの!)のほうが、今更ながら、浮き上がってきている。勿論、本作の前には、両親のヴォイス・メールの留守録を入れ込んだケンドリック・ラマーの『グッド・キッド、マッド・シティ』があり、ギャングスタ側ではないほうからの視点をはじめ、ギャングスタ・ラップ・アルバムの”創作”面での(潜在的な)可能性を引き出したことも、このアルバムに大きな影響を与えている。ちなみに、ケンドリックやQが所属するトップ・ドーグ・エンタテインメントには、ジェイ・ロックという、かつては、ザ・ゲームのあとを追いかけていけそうな勢いを持っていた、タイプとしても彼に近いギャングスタ・ラッパーがいる。そのザ・ゲームあるいは50セントが、実は虚実ない交ぜなのだというギャングスタ・ラップ・アルバムのリアル(の伝統)の継承者ではあったが、彼らのビーフを機に、その存在感は、メジャー・シーンでは、すっかり後退してしまっていたのだ。スクールボーイQは、言うなれば『グッド・キッド……』を参考につつ、本作を作ったことで、立ち消えていた、このゲームや50からの系譜に乗ってみせたことになる。いわば一時代前からギャングスタ・ラッパーとして活動し続けてきたジェイ・ロックが、今後のメジャー・デビューに際して、どう出るのか、思い切って、ザ・ゲームや50のスタイルにまで一気に戻してみせるのだろうか、あるいは……、本作は立ち位置的には、早くもそこにまで影響を及ぼしているのではないだろうか。

文:小林雅明

ケンドリック・ラマーの盟友による
「矛盾を含んだギャングスタ賛歌」

近年のUSヒップホップ新世代、特にヒップホップ界隈だけに留まる事なく、より広い注目を集めるアーティスト達には、「ギャングスタ」的な文化・価値観に対して一定の距離を持っている人が多い。例えば、タイラー・ザ・クリエイターやアール・スウェットシャツらオッド・フューチャー勢は、暴力的な表現をどれだけ多用しても基本的に空想上の産物。また、ダニー・ブラウンはドラッグ・ディーラーだった体験談を頻繁に言葉の俎上に乗せるものの、それを過去として音楽的な前進を試みている。そういったラッパー群の中で、ギャングスタ的なカルチャーへの批評的な視座を持った新しいヒップホップ観を提示する筆頭たるラッパーがケンドリック・ラマーである。全米2位を記録した『グッド・キッド、マッド・シティ』には、ギャングスタ・ラップの本場=コンプトンのハードなストリート・ライフを身近に体験しながら、その価値観に決して与することなくラッパーとして生き抜いてきたケンドリック自身の半生が鮮烈な語り口で焼き付けられていた。

そういった傾向の中で見れば、このスクールボーイ・Qは少々毛色が異なるラッパーに映るかもしれない。ケンドリックとジェイ・ロック、アブ・ソウルの3人と共に「ブラック・ヒッピー」なるグループを作って長年活動を共にしてきた彼は、12歳の頃から南ロサンゼルスのストリート・ギャングに属しドラッグ・ディールに手を染めてきた経歴を持つ、いわば生粋のギャングスタ。商業作をリリースする前に発表したミックステープの『スクールボーイ・ターンド・ハスラ』『ギャングスタ&ソウル』というタイトルからも分かる通り、彼のラップの主題はギャングスタとしての体験談や信条であり、それはこの最新作『オキシモロン』でも変わってはいない。

今年最初の大型ヒップホップ・リリースとして長らく待望されていた本作は、その名も“ギャングスタ”で幕を開ける。Qの実の娘による「ファック・ラップ、私のダディはギャングスタ」という声で始まり、「ギャングスタ」と何度も繰り返し連呼されるこの曲のアグレッシヴなラップ・スタイルが、本作全体のトーンを高らかに印象付ける。続く“ロス・アウェサム”はファレルのプロデュースで、グルーヴィーなシンセが縦横無尽に飛び回るパーティー・チューン。ドラッグ、貧困、銃といったギャングスタのティピカルな表現は相変わらずながら、どこかに救いを求めるような内省的なムードもほのかに感じられた前作『ハビッツ・アンド・コントラディクション』と比べると、本作におけるプロダクションはよりベース・ヘヴィに統一され、Qのラップもフックと押韻が強調されており、以前よりも意識的に「ギャングスタ賛歌」たるレコード作りが試みられた作品と言えるかもしれない。

このアルバムでは、冒頭だけでなく複数個所で娘の話し声が引用され、本作のアートワークには、デラックス盤に目出し帽を被ったQの写真、通常盤にQの娘の写真が使用されている。タイトルの『オキシモロン』とは「撞着語法」を意味する単語だそうで、矛盾した意味の言葉を複数含んだ修辞法を指すのだという(勿論、それだけでなくドラッグ的な暗喩も忍ばされているのだろうが)。たとえ娘が生まれても、自分を育んできたギャングスタ的な価値観を「昔のオレはヤンチャだった」というような過去に追いやることなく、Qは未だにギャングスタ・カルチャーに賛歌を送り続ける。それが自身の成功と娘の暮らしのためだと信じて止まないように。ただ、その自分自身を指して「矛盾を含んだ表現」と名づけてしまう辺りに、本当にステレオタイプ的なギャングスタ・レコードとは一線を画す彼の思慮深さや知性が見え隠れしていると思う。

文:青山晃大

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