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HERE Teenage Fanclub (Hostess) by TSUYOSHI KIZU
SHINO OKAMURA
March 01, 2017
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HERE

30年間恋に落ち続けるギター・ポップ
その覚悟と「ティーンエイジ」の時代の記憶について

50歳を迎えようとする男たちのバンドが、「I’m in Love」と歌うことについて考えてみる。僕は君に恋してる、それだけでいい……。

いや、それだけでいいわけがない。50歳にもなれば人生には恋以外の問題が山積みなわけで、このどこまでも相変わらずな――相変わらず、甘酸っぱくて、ギターが素っ気なくジャカジャカ鳴っていて、フラジャイルなようで破綻のないギター・ポップが、しけた中年のリアリティを懸けて鳴らされているわけではないことがオープニング・ナンバー一発で伝わってくる。そして、それこそがティーンエイジ・ファンクラブの「リアリティ」なのだと思う。ギター・ポップという音楽が聴く者のどこに向かって響いているのか。「ティーンエイジ」は、彼らの確固たるコンセプトだ。

25年前と基本的には何も変わっていないと思う。ジェイソン・ライトマンの映画『ヤング≒アダルト』はアラフォーに差し掛かった女が故郷の田舎に帰るところではじまる物語だが、彼女が過去に戻るためにそこでなかば執拗に流されていたのが『バンドワゴネスク』におけるオープニング・ナンバーの“ザ・コンセプト”だった。だけどもし鳴っていたのがこの最新作だったとして、何が違うというのだろう? 彼らのギター・ポップは一瞬で時間を巻き戻してしまう。それをノスタルジーと呼ぶことは簡単だ。だが、ティーンエイジ・ファンクラブにおける自らのポップへの忠誠は、どうもそれだけで済まされないような気がするのである。

もちろんよく聴けば変わったところもある。90年代に比べればサウンドは遥かにクリアになっているし、何より楽曲の構成がよりバラエティに富み、緩急のついたものになっている。聴きどころは中盤で、スロウなテンポで繰り返されるドラミングがノイ! を甘ったるくしたような“アイ・ワズ・ビューティフル・ホウェン・アイ・ワズ・アライヴ”、ジャングリーなギタポにブラスが彩りを加える“ザ・ファースト・サイト”、哀愁のこもったメロディがアップテンポに歌い上げられたかと思うと抜群のタイミングでギター・ソロがさらに歌う“リヴ・イン・ザ・モーメント”とたたみかける。この辺りを聴くと初々しさやアマチュアリズムよりも熟練といった言葉が頭をよぎるし、それなりにヴェテラン・バンドの風格を感じさせる。歌詞のそこここに老いや死といったモチーフも散見される……が、何度聴いても、あくまで落としどころは1990年前後のあのギター・ポップなのである。

ポップ・ミュージックの史学において、その充実ぶりから2016年を1991年になぞらえる向きもあるようだ。その例として1991年のアルバムが並べられたとき、マッシヴ・アタック『ブルー・ラインズ』やニルヴァーナ『ネヴァーマインド』、R.E.M.『アウト・オブ・タイム』、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『ラヴレス』、LFO『フリークエンシーズ』……といった歴史的な作品群のなかに『バンドワゴネスク』がどこか控えめに同席していることが多かったのは興味深かった。おそらくそこでは批評的な理由よりも選者のエモーショナルな動機が優先されているように思えるが、しかし、パステルズから続くグラスゴーの血筋、ダイナソーJrらオルタナティヴ・ロック勢とシンクロしていたこと、それがカート・コバーンのような米国のロック・ミュージシャンにも希望を与えていたこと……を思い返せば、それもまた時代の一枚だったのだと認識できる。つまり、英米のロック・ミュージックがオルタナティヴという価値観で通じ合っていた時代のギター・ポップである。

アルバムを終えて頭から再生すれば、やっぱり変わらないな、と思う。だがそれは、ギター・ロックの最良の時代のひとつの記憶である。大人にならない(なれない)こと。人生についての答の出ない問いを性懲りもなく考えること。恋をすること。そして仲間がひとつの場所に集まって、ノイジーなギター・ナンバーをいっしょに演奏すること……。ギター・ロックのアクチュアリティが失われた現在において、ティーンエイジ・ファンクラブだけは当たり前のようにロック・バンドで……「ティーンエイジ」であり続ける。『ヒア』というタイトルには、その覚悟がにじんでいる。

文:木津毅

さらばギター・ポップ

このバンドの作品の過去最高チャート・アクションが97年の『ソングス・フロム・ノーザン・ブリテン』だと知って少し驚いている。ニルヴァーナなどの米グランジ周辺バンドとシンクロした91年の『バンドワゴネスク』を今なおベストにあげるリスナーは多いが当時の最高位は全英22位。対して『ソングス…』は3位で、その後の作品も安定したセールスをキープしてはいるが、現段階で商業面での頂点は〈クリエイション〉での最後のリリースとなったあの5作目というのは正直に言って意外だ。

というのも、『ソングス…』はハーモニーやメロディへの執着こそ変わらないものの、それまでになく落ち着いたトーンを伴った作品だったから。『バンドワゴネスク』『サーティーン』『グランプリ』といったそれまでの一連の作品の方がロック・バンドとしての起爆力を持っており、もちろん、それらの作品での積み重ねが『ソングス…』のヒットに結びついたのだろうが(チャートも徐々に順位を上げてきていた)、前身バンド時代を含めた黎明期から彼らや彼ら周辺のバンドをスコティッシュ・ポップとして応援してきた多くの日本人リスナーの肌感覚では『ソングス…』はともすれば地味(滋味)とされる作品だったからだ。

けれど、一方で『ソングス…』はいわゆるギター・ポップとしてのティーンエイジ・ファンクラブではなく、次のラウンドへの入り口となったアルバムでもあった。さらに言えば、スコティッシュ・ポップという枠組みの中で語るには少々無理が出てきたことを感じさせてくれた作品でもあり、タイトルは確かに英国北部のアイデンティティを伝えてはいるが、彼らがあのアルバムの彼方に見ていたのはアメリカのフォークやカントリー、もしくはそれらの流れを汲むシンガー・ソングライターたちの音楽だった。もちろん、彼らはデビュー当時からそこを視野に入れた作品作りに挑んでいたわけだが、かなり直接的にアプローチをするようになったのはまさにあのアルバムからだったと言える。確か当時、彼ら自身もそんなことをインタビューなどで話していた。自分たちのルーツともっとストレートに向き合いたいと。

結果、激しくフィードバックさせたギター・プレイやラフでジャングリーな奏法から、アコースティック・ギターを中心とした穏やかでヒューマンな音作りへとシフトした彼らは、その後急速にウィリー・ネルソンやクリス・クリストファーソンのようなベテランとも並びうる風味を見せるようになった。髭をたくわえたルックスに至ってはもはやおじいちゃんのそれであり、スコティッシュ・ポップという言葉の風化と共に彼らの作品に枯れ感がドッと押し寄せているように思えたのも、今日までの20年ほどの間、一度や二度ではなかった。

しかし本国では自身のレーベル〈ペマ〉から、アメリカでは〈マージ〉からのリリースになる(05年の『マン-メイド』以降同じ)この約6年ぶりの最新作は久々に〈クリエイション〉移籍後の眩しい活躍のシーズンを思い出させる、躍動的かつ情緒的でメロディアスな力作だ。

ノーマン・ブレイク、レイモンド・マッギンレイ、ジェラルド・ラヴというそれぞれがそれぞれの曲でリード・ヴォーカルもとるソングライター3名の持ち味がバランス良く配置され、しかもどの曲においても、どうしてここまで美しく重ねることができるのかと思えてしまうほど見事なハーモニーを携えていて、バンドとしての指針にも一切のブレがない。

加えて、わかりやすい主旋律にフックの効いたリフを纏わせるジェラルドの粋で王道な作りの曲が今回も大きな流れを作り、先にサビをバン!と伝えてしまうような性急な構成を得意とするノーマンの曲、翳りを伴ったコード展開に特色を持つレイモンドの曲との対比が鮮やかに出るというパターンも全盛期さながら。誰がどう聴いてもいいうたでしかない事実が間断なくうめつくされていて、甘っちょろい言い方をしてしまうなら、こんなにいいうたがあるなら、他にもう何も要らないんじゃないかとさえ思えてしまう。アノーニもダーティ・プロジェクターズもどうでもいいや、フリート・フォクシーズの新作ももうどうだってよくなってしまう。

これが本気を出した時のティーンエイジ・ファンクラブの厄介な魔法だ。そう、厄介なのだ。もうこういう青い音楽を必要としないところに自分は生きていたいと思うし、実際に日頃はもうほとんど聴くことはない。なのに、こんな作品を聴いてしまってはあの日に連れ戻されてしまう。遠い記憶を想起させられてしまう。

だが、もはや彼らはかつての形骸化されたスコティッシュ・ポップでもギター・ポップでもない。ギターもベースもドラムも歌も塊になって鳴らされる『バンドワゴネスク』のような音の団子状態のプロダクションでは全くないし、甘くジェントゥルなメロディと拮抗するかのような荒々しいジャングリー・サウンドもない。あくまで歌とハーモニーに寄り添った、でも歌に対する単純な伴奏などではなく、一つ一つの楽器の音が共鳴し合った本当の意味での「合奏」が見事に成立している。しかもクレイジー・ホースを従えていた頃のニール・ヤング張りにその「合奏」は重量感もあり分厚い。これは90年代の彼らの作品には殆ど散見されなかった点だ。

『ソングス・フロム・ノーザン・ブリテン』から今日までの約20年間は、彼らにとってややしんどかったであろう、模索の時期をも含んでいる。本作は奇しくもその『ソングス…』以来となる全英10位内(10位)を獲得した。2年ほど前に本人に聞いたところだと、ノーマンは現在スコットランドではなくカナダに住んでいるという(今はどうかわからないが)。遠い記憶に引き戻されたくないばかりに、私はこの作品に触れるたび、さらば! と上っ面で踵を返そうとしてきた。だが、そんな私の背中に向かって、この弱虫! 大馬鹿者! と笑いながらスウィートな憎まれ口を浴びせる、これはそんなアルバムだ。こんなにいいうたがあるなら、他にもう何も要らないんじゃないかと今ここで言ったのはどこのどいつだい? 僕らはもはやギター・ポップじゃないと宣言したのは誰なんだい? と。

まったくそのとおり。

文:岡村詩野

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