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LUMINOUS The Horrors (Hostess) by AKIHIRO AOYAMA
YOSHIHARU KOBAYASHI
May 01, 2014
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LUMINOUS

英国ロックのレフトフィールドを象徴するカリスマが
4作目にして到達した、洗練と進化の集大成

「色んな意味で、ホラーズは過去と未来についてなんだ。現在というのは、オレ達には関連性のない時間のように感じる」。「サイケデリアは簡単なキャッチコピーになり過ぎているように思う。本当は、それは探求心についての言葉であるべきなのに」。『NME』誌が3月に掲載したカヴァー・ストーリーの中で、ホラーズのメンバーはそんな言葉を口にしている。現在進行形のトレンドとの関連付けや同年代のバンドとの比較を極端に嫌うことで知られるホラーズの、いかにも彼ららしいこれらの発言は、小憎たらしいほどにインテリで鼻につくほどスノッブだが、全くもって正しく的を射ている。ロンドン界隈を中心に多くのフォロワーを生みつつも、ホラーズほど進歩主義に並々ならぬ情熱を傾けているバンドは他にいないし、サイケデリアがまだ見ぬ領域への探求心を示すとすれば、本当にその言葉が似つかわしいバンドは少なくとも今の英国シーンには彼ら以外存在しないだろう。

とは言っても、ホラーズが初手からそんなポテンシャルを秘めたバンドだと看過していた人は、ほとんど皆無だったに違いない。ヴィジュアル系かエモ・バンドのようなルックスでB級ホラー・パンクをかき鳴らしていたデビュー作『ストレンジ・ハウス』から、緻密なスタジオ・ワークによってクラウトロックとシューゲイザーの美しいアマルガムを作り上げた2nd『プライマリー・カラーズ』への洗練。活動初期のトレードマークでもあった全身黒づくめのタイト・ファッションさえ脱ぎ去り、セカンド・サマー・オブ・ラヴを思わせるサイケデリアのブライター・サイドへと足を踏み入れた3作目『スカイング』での脱ゴシック的進化。この2作品でそれぞれ見せた驚くべき変貌によって、初期には誰もが時代の徒花だと思っていたはずのホラーズは、一気に想像もつかなかったレベルの高みへと駆け上がり、英国ロックのレフトフィールドな探求精神を象徴するカリスマ・バンドとしてのポジションを確固たるものとしてみせたのだ。

そんな彼らの4作目『ルミナス』は、前2作と比べれば一見サプライズ的な側面の少ないレコードのように思える。タイトルに付けられた「明るい」「発光」といった意味を持つ形容詞からも想像できる通り、ここでの彼らのスタイルは『スカイング』と地続きと言える、恍惚と多幸に満ちたサイケデリアをベースとしている。“チェイシング・シャドウズ”や“イン・アンド・アウト・オブ・サイト”等に顕著となっているエレクトロニックなダンス・フィールへの傾倒は新しいと言えば新しいが、それも想像だにしなかったほどの変化というわけではない。2ndの時点でクラウトロック譲りの反復ビートの快楽を手に入れ、前作にもテクノやハウスの影響を感じさせる“ムーヴィング・ファーザー・アウェイ”のような楽曲が収録されていたことを思えば、本作で彼らが見せているのは順当な進化と音楽領域の拡張と言うべきだろう。

とはいえ、このアルバムでホラーズが進化への飽くなき探求心を失ったのかと言えば、決してそうではない。むしろ本作は、前2作で培ってきたスタジオでのあらゆる実験の集大成とでも言うべき、恐るべき完成度を誇る1枚だ。立体的かつダイナミックで、徹底的に計算され尽くした完璧な音響プロダクションは、ジェフ・バーロウの手助けを借りた『プライマリー・カラーズ』さえ凌駕し、『スカイング』のセルフ・プロダクションが拙く思えるほど。今から振り返れば、『スカイング』は初めてメンバー以外の誰の手も借りずにバンドの未来的なヴィジョンを形にしようと試みた、本作に至るためのプロトタイプのようにも思える。マッド・サイエンティストのようなスタジオ・ワークへの徹底したこだわりによって、これまで二度の驚くべき変貌を経てきたホラーズは、今作でついに茫漠と思い描いていた「ホラーズ・サウンド」の理想形に到達したと言えるんじゃないだろうか。

文:青山晃大

「カメレオン・バンド」としての呪縛から解き放たれ
突き詰めるべきことを突き詰めて掴んだ復調の兆し

2nd『プライマリー・カラーズ』におけるドラスティックな変貌によって、「アルバムごとに音楽性を刷新するカメレオン・バンド」という印象がリスナーに擦り込まれてしまったのは足枷だったか。ホラーズが足踏みを見せた唯一の作品『スカイング』を改めて振り返ると、そんな思いが頭をよぎる。ブラス・サウンドの導入、マッドチェスター的なダンス・ビートへの挑戦、シンセ・サウンドの増強、そしてマイ・ブラッディ・ヴァレンタインやジョイ・ディヴィジョンの直接的な影響下にあるソングライティングからの脱却――同作で彼らが試みた新機軸は幾つも存在するが、いまいち焦点が定まり切っていなかった感は否めない。前作とは違うことをやる、という意気込みは伝わってくるものの、「では、何をやりたいのか?」という部分が見えてこないのだ。おそらく、彼ら自身としてもその辺が判然としないまま作ってしまったのだろう。それゆえに同作は、何もかもが空回り気味だった。

だが、3年ぶりの新作『ルミナス』で、彼らは明らかに復調の兆しを見せている。その要因は明らかで、更なる音楽的なトランスフォームへと焦ることなく、前作でやりきれなかったことをもう一度煮詰めてみる、という選択肢を選んだからだろう。リース・ウェッブもこのように言っている。「以前やってみたけど、やりきれなかったこと」、もしくは、「今までやってきて、もっと突き詰めたいと思ったもの」を自分達は曲のモチーフにしているのだと。この意識の切り替えは大きい。

新作の主軸となっているのは、ダンス・ビートの更なる探求。ジョルジオ・モロダーとマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの果てなきセッションを記録したようなリード曲“アイ・シー・ユー”はまさにその好例だし、ファリス曰く「テクノ的な作り方」をしたという“チェイシング・シャドウ”では冒頭3分弱に渡ってシンセのシークエンスとパーカッションのみでグルーヴを構築していく。そしてイアン・ブラウンが憑依したかのような囁き声で歌われる“イン・アンド・アウト・オブ・サイト”に至っては、ホラーズ史上最もダンスフロアの暗闇が似合うトラックだ。前作の“ダイヴ・イン”などでその片鱗を見せた(非クラウト・ロック的な)ダンス・ミュージックへの情熱は、このアルバムで完全に開花したと言っていいだろう。

一方、“ジェラス・サン”や“マイン・アンド・ユアーズ”ではケヴィン・シールズ直系の轟音ギターがサイケデリックに揺らぎ、“ファースト・デイ・オブ・スプリング”はタイトル通り春風の如く爽快に駆け抜ける。音楽的には間違いなく多彩。だが、「ダンス」というアイデアを中心に据え、それ以外の要素も無駄を切り捨てシェイプすることによって、格段にアルバムとしてのまとまりが強くなった。

前作より大幅に改善されてはいるものの、セルフ・プロデュースによるプロダクションの詰めの甘さは依然として引っかかる部分ではある。が、それも全体的なヴァイブのよさを前にすれば些細なこと。『スカイング』での停滞に落とし前をつけ、それを打破してみせたホラーズは、今再び上昇気流をつかまえようとしている。

文:小林祥晴

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