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ENGLISH GRAFFITI The Vaccines (Sony) by YOSHIHARU KOBAYASHI
AKIHIRO AOYAMA
June 10, 2015
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ENGLISH GRAFFITI

「英国ギター・ロックの救世主」の行く末――
それを明るく照らす、かつてなくスリリングな冒険

デビュー当初が注目度のピークだった日本にいると、正直あまりピンと来ないかもしれない。だが、かつて〈NME〉が“ギター・ロック復権の象徴”に認定したヴァクシーンズは、2013年の2nd『ザ・ヴァクシーンズ・カム・オブ・エイジ』で見事にイギリスの若手随一の人気バンドへと上り詰めている。このアルバムは全英1位の座をもぎ取り、ライヴ・ツアーの会場は大型ホール~アリーナ・クラスへとスケールアップ。その人気のすごさは、ロンドンの〈O2アリーナ〉で2万人の大観衆が彼らの軽快なロックンロールに熱狂する映像でも確認できる。

しかし、この状況を手放しに喜べなかったのは、2ndが彼らの決定的なアルバムだとは思えなかったからだ。同作は言わば、ソングライティング重視の作品。50年代のロックンロール、あるいはクラッシュを髣髴とさせる即効性の高いメロディを、とにかくシンプルで威勢のいいギター・ロックに乗せて次々と放っていく――というもの。それは、以前から彼らが目標に掲げていた“クラシック”な音楽を追求した結果かもしれない。だが、全盛期のノエル・ギャラガーくらいの作曲能力がない限り、この手の“クラシック”は凡庸と紙一重でもある。厳しい言い方をすれば。

思い返してみよう。彼らのデビュー作の面白さは、当時アメリカで最盛期を迎えていたチルウェイヴやサーフ・ポップを、イギリスのバンドでいち早く取り入れていた点にあった。リヴァーブの効いたノスタルジックでシューゲイザー的なサウンドは、まさしく2011年のUSインディからの輸入品。つまり彼らは、インディ大国のアメリカから取り入れたエッジーなプロダクションのアイデアと、いかにもイギリスのバンドらしいスタイリッシュでパンキッシュで小気味良いメロディを縫合するところに真の魅力があったのではないか。少なくとも、彼らはただのグッド・メロディのバンドではない。

そういった捉え方からすると、三作目となる『イングリッシュ・グラフィティ』は、久々にヴァクシーンズの本領が発揮されたアルバムである。前作のプロデューサーがキングス・オブ・レオンなどを手掛けたイーサン・ジョンズだったのに対し、今回は元アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティのコール・M.G.N.とデイヴ・フリッドマン。その狙いは明らかだろう。彼らはこのアルバムでいま一度、USインディの最良の部分からプロダクションのアイデアを取り込み、そのサウンドをモダナイズしようと試みているのだ。

実際、このアルバムのサウンドはサプライズに満ちている。キツいディストーションでひしゃげたギター・サウンドは紙やすりで耳をこすられているかのようだし、奇妙な飛び音やサイケデリックなシンセ(ギターにエフェクトをかけたもの?)もそこかしこで愉快に鳴っている。ドラムの音色も工夫が凝らされていて、スタジアム・ロックのようにダイナミックな瞬間もあれば、チープなリズム・マシーンみたくペラッペラの鳴りでバウンスする瞬間もある。アリーナ・バンドにしては攻め過ぎなのではないかと思えるくらい目に見えて冒険的だが、それでも変にアングラ臭が漂う結果になっていないのは、ポップで明快なバンドのソングライティングと名匠デイヴ・フリッドマンの手腕ゆえか。

たとえばヴァクシーンズ自身の1stアルバムのように、あるいはアラバマ・シェイクスの新作やテーム・インパラの新曲のように、もっとさりげなくモダンなプロダクションを取り入れることもできたのではないか、とは思う。だが、このアルバムの良さは、成功に味を占めてオーセンティックなアリーナ・バンドになる可能性もあった彼らが、一度思いきり振りきってみせたその痛快さにこそある。モダンさに軸足を置くというアイデンティティを再確認できたいま、これをまた新たなスタート地点として、彼らは歩み始めることができるだろう。

文:小林祥晴

10年代唯一の英ロックンロール・ジャイアントが
Poshな殻を破らんとしたチャレンジングな3作目

ヴァクシーンズがデビュー・アルバムをリリースする直前の2011年初めごろ、「ロック・バンドが“posh”でいいのか否か」という議論がイギリスのメディアを賑わしていたのを覚えている。Poshという単語は「アッパー・クラスの」とでもいうような意味でよく使われる形容詞であり、つまりはそれまでワーキング・クラスやせいぜいミドル・クラスの若者の夢を乗せる手段として、特にイギリスで特別な意味合いを持ち続けてきたロックを上流階級の出で高度な教育を受けた人間がやっていていいのかという話だった。それ自体は、イギリスで階級意識がいかに根強く残っているのかを改めて思い知らされるもので興味深かった。ただ、この議論を引き起こした発端であるヴァクシーンズにとっては、いくらシンプルなロックンロールで良い曲を演奏しようと、落ち着き払って鼻持ちならない風体の彼らには物語を感じないという人が少なからずいたことの証左だったと言えるだろう。

そのイメージは、彼らが2作目『ザ・ヴァクシーンズ・カム・オブ・エイジ』で全英1位を獲得し、2010年代デビュー組としてはほぼ唯一と言っていいアリーナ・クラスの成功を収めた今も概ね変わってはいないと思う。「ヴァクシーンズって、良い曲は書いてるのかもしれないけど、何か地味で小粒に見えるんだよなー」と思っている人もいまだに少なくないはず。だとすれば、この3作目はそういうリスナーにこそ聴かれるべき一枚と言っていいのかもしれない。端的に言って、本作は彼らにとって、あらゆる面で自らの殻を破るための挑戦に身を委ねたチャレンジングなレコードなのである。

淡い文学性を感じさせた前2作のアートワークとは対照的に、本作のジャケットには不良めいてロック・バンド然とした自身の写真が使用され、タイトルは「アメリカン・グラフィティ」ならぬ『イングリッシュ・グラフィティ』。前作収録のシングル“ティーンエイジ・アイコン”で「俺は十代のアイコンじゃない/俺はフランキー・アヴァロンじゃない/俺は誰のヒーローでもない」と歌っていたことを思えば、ここでの彼らは以前とは打って変わって英国のロック・ヒーローであることを正面から引き受けようとしているようにも見える。

音楽面での変化は、より一層あからさまだ。大半の楽曲のプロデューサーには、あのデイヴ・フリッドマンを招聘。加えて、共作者としてアリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティの元ギタリストで、現在はインディからヒップホップ、ビート・ミュージックまでを股にかけた仕事を務めているコール・M.G.N.を迎えている。先行公開の時点では、いかにもヴァクシーンズらしいキャッチーなロックンロールというイメージだった“ハンサム”のイントロには、フリッドマン印のささくれだったノイズとドラム・フィルが追加され、アルバム冒頭からプロダクション面での大きな変化を印象付ける。その他、アークティック・モンキーズの近作を思わせるスローでヘヴィな“ドリーム・ラヴァー”、ストロークスの“12:51”に似たアナログ・シンセ風のギター・リフが鳴り響く“ミニマル・アフェクション”、80年代アメリカン・ロックの王道を行くような“ギヴ・ミー・ア・サイン”、ドリーム・ポップ風味の“ストレンジャー”等々、全ての楽曲において以前の音楽性を決定付けていたシンプリシティからは大きく逸脱した試みがなされている。

正直なところ、この変化について、ヴァクシーンズのファンであればあるほど複雑な感情を抱く人は多いだろう。筆者も、最初に聴いた時には、特にソングライティング面における彼らの明快さが大半の楽曲で損なわれてしまったように感じられたことを告白しなければならない。ただ、これまでの成功を受けてより多くの期待を背負わんとする野心や自信、その実現のためには今までのposhなイメージの殻を破り、変化と前進をしなければならないという明確な意志が、本作をヴァクシーンズ史上もっとも挑戦的で筆圧の強いレコードにしているのは確かだと思う。

文:青山晃大

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