●1stアルバムは〈フジ・ロック〉がひとつのピークで、じゃあ、2nd『WEEKEND WARRIOR』はどういうところから始まったの?
Ali&「一人メンバーいなくなって、そのメンバーが曲作ってたわけじゃないのに、『いなくなってこういうサウンドになった』って言われるのがムカつくっていう。その前にシングルで『SPOILED BOY』とか『VOICE』とか出してるじゃん? その時にすごく言われたんだよね。あの時は頭おかしくなりそうだった。何この180度手のひら返し! みたいな」
JUN「女子がいなくなっただけでね」
Ali&「何こいつら、音楽聴いてたんじゃないの?! みたいな」
●イメージだけで見てるっていう。
Ali&「そう。僕たち、音楽を評価されたんじゃなくて、トレンドだったりハイプ感でお客さんが半分以上寄ってきてたんだな、っていうのがわかった瞬間だった。本当に頭おかしくなりそうだった」
●でも、そんななかで、2ndはどういった人たちに向けて作った作品だったと言える?
Ali&「2ndは……1stの」
●1stへの反動が大きかった?
JUN「反動ってそんなにある?」
Ali&「僕はあります」
●だって、ヴォーカル曲が一曲もないでしょ。
JUN「ないっけ?」
Ali&「一曲も入れなかった。どんだけスカスカの記憶なんだよ!(笑)」
JUN「なんで歌モノなくしたの? 反動なの?」
●(笑)そういう風に言ってたよ、当時は。1st後のシングルも、ラヴフォックスが歌っている“SPOILED BOY”とか、歌モノがあった。で、周囲からはそういうものをもっと作れ、っていうプレッシャーを受けていると。でも、そんなものばっかり求められても! っていう雰囲気だったと思う。
JUN「たぶんあれですわ、売れてて調子乗ってたんだよ(笑)」
●ハハハッ!
JUN「でも、Ali&くんとか、一回目のイギリス・ツアーに行った時に、80KIDZのタッチ、雰囲気をもっと出した方がいいって言われたことをかなり気にしてたんじゃなかった? 歌モノも80KIDZっぽさが出てないってわけじゃないけど、外人のヴォーカル入れるより自分たちのキャラをもっと出した方がいいって」
Ali&「結局、歌詞を向こうに書かせるから、何を歌ってるかわかってないから」
JUN「そう。僕らはダサくないって思ってるけど、外人からすると恋愛の甘いこと歌ってるのとかわかるわけじゃん? そういう意味とかが無い方がいいと思ってたかもしれない」
Ali&「だから、海外を意識して、国内のそういう人たちも一遍に意識して。お前らもっとこうやれよ、海外はこうだぞ、みたいなのを変に意識してしまったのが二枚目って感じ。でも、あれが一番いいアルバムだと思う。今回以外の三枚の中では。結局、2ndの曲を一番使うし、リアクションも大きいから」
JUN「“Red Star”とか?」
Ali&「そうそう」
●じゃあ、純粋に音楽面だけ見ると、2ndが今振り返って一番しっくりくる?
Ali&「今が新しいフェイズの80KIDZだとしたら、前のフェイズの80KIDZの中で一番ポイントとなっているアルバムは『WEEKEND WARRIOR』だと思う。その4年、5年を語るので一番重要っていうか、『~WARRIOR』以降が一番頑張ったから。一番大変で。活動的な部分で言えば、(1stから)大体一年後くらいに地方でも80KIDZのことが理解され始めてたから、『~WARRIOR』出す前のツアーから『~WARRIOR』くらいのツアーまでで、ファンの層がガラッと変わったのね。それまでは洋楽的な要素を好きでいてくれる人たちだったんだけど、それから日本的な音楽を聴く人たちがガッと入ってきて。ちょっと遅れてきた感じで。だよね?」
JUN「その人たちに、ちょっとアンチテーゼじゃないけどさ」
Ali&「僕たちは君たちのところじゃなくて、洋楽的なところにいる人たちなんだよ、っていうのがあった。そういう諸々もあって、思い入れが強いんだろうね。だから一番好きなんだと思う」
●結構大変な時期でもあったと思うんだけど、その当時の活動のなかで特に印象に残っているのは?
Ali&「2ndを出した後かな? 3週間くらいロンドンにいたんだよ、ディーゼルのパーティで」
JUN「元々ブッキングが3本入ってる予定だったんだけど、いざ行ってみたら1本しか入ってなくて(笑)。向こうのブッキング・マネージャーが『いっぱいブッキングを取ってやるから、3週間スケジュール空けてこっちに来い!』って言ってたんだけど。結局、ライヴ1本だけになっちゃって」
Ali&「その後も、無理やりよくわかんないイヴェントに出させてもらって」
JUN「それも急に入れてもらってるから、メインの人の前の、11時か12時くらいまでのDJで、『もうちょっと踊りやすいディスコティークな曲をかけてくれ』とか言われて、『はい』って(笑)」
●それはつらいね(笑)
Ali&「その時、とりあえず海外を意識するのはやめようって腹くくったもんね」
JUN「そう、やっぱり国内のシーンは大事だっていうのが見えて。やっぱり僕たちは日本人だし、日本の国内のシーン大事にしなきゃ、って思った」
Ali&「すごくわかった」
JUN「〈ロック・イン・ジャパン〉とかめっちゃ出させてもらってたのもその時期だっけ?」
Ali&「2ndを出してから。それでファン層がめっちゃ変わったのもある」
●そこに対してどうだったの?
Ali&「あ、こうやって日本のバンドって売れていくんだな、っていうのがわかったね」
JUN「サポート体制が、ドラムが入って、ベースもBAROQUEが入って、ちょっとバンドっぽかったから、J-ROCK好きの人が喰いついてくれるのは、別に悪いことじゃないなって思った」
●そうか、ライヴをバンド編成でやり出したのって、そのくらいの時期?
Ali&「そう、そのくらい」
JUN「だから、バンドを4人でやるのって楽しいな、って思ってて。ドラムの堀くん、超上手いし」
Ali&「あと、現実を知ったよね、昼帯に行って。クラブのお客さんってこういう踊り方するけど、ライヴのお客さんってこうなんだなとか。他のバンド観てて、ほとんどMCじゃん、っていうのとか、よくわかった」
JUN「しゃべりがメインなんだな、っていうのがね」
●元々自分たちとは違うシーンから出てきたようなバンドがたくさんいて、相容れないカルチャーを感じさせる部分がJ-ROCK的なものにはあったわけでしょ。でも、そういったシーンに片足突っ込んだような部分も実際にあるわけじゃん。それは自分たちとしてはどうだったの?
Ali&「なんか可能性は感じたし、いまだにそれはあるかもしれない。もし何かのきっかけがあったら、いろんなものに耳が向くようになる人もいるんじゃないかなって思うよ、いまだに」
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