>>>2015年のベスト・アルバム5枚
>>>2015年のベスト・トラック5曲
ベスト・トラック、そしてベスト・ヴィデオはジョン・グラントの“ディサポインティング”。SNSとホワイトハウスがレインボウに染まった2015年において、オシャレで口当たりのいいゲイ・カルチャーではなく、ゲイ・サウナ(ハッテン場ね)に集ったベアたちの裸の群れを収めたのはつくづくアイロニックで意地が悪い……が、感覚としてとてもよくわかる。何がいま、世界から隠蔽されようとしているか……この中年は知っているのだ。
何かを祝うことも出来た年だったとも思う。もしくは静かに祈りを捧げるべき年だったのかもしれない。けれども自分が惹かれたのは、錯乱しながら「気が狂っちまった」と軽快にソウル・パンクで叫び散らすタイタス・アンドロニカスの苦闘だった。歯を食いしばり過ぎて歯茎からにじみ出る血だった。だけどステップは止まらない――「I'm going insane!!!」。ナンニ・モレッティ『夫婦の危機』、バフマン・ゴバディ『サイの季節』、J・C・チャンダー『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』、ジャン=マルク・ヴァレ『わたしに会うまでの1600キロ』、あるいはジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデス・ロード』といった、苦闘そのものがエンジンになる映画を観ていたせいなのかもしれない。
アメリカの中西部で観たスフィアン・スティーヴンスの、誰からも見向きもされない小さな悲しみ。ファーザー・ジョン・ミスティの、冗談ではぐらかされる真摯さと愛。オート・ヌ・ヴの、異物感たっぷりで居心地の悪い官能。ジャム・シティの、曇天の下でそれでも立ち上がる誇り……。そんな風にして偏在したどこか不格好なエモーション、それらをひとつひとつ拾い集めていくような年だったと思う。勇ましさや正しさが隅に追いやってしまったものが見たかった。そうした感情が昂りすぎた時は、コリン・ステットソンとサラ・ニューフェルドのコラボレーションにおける、21世紀のドローンとアンビエントを通過したマイケル・ナイマンと言おうか、そのエレガンスと獰猛さがなだめてくれた。
ライヴについては、はじめて海外のフェスに参加できたのが大きかったので、そのとき観たものばかりを思い出してしまう。ナショナルの文学性が広くそして熱心に受け入れられている様を実際に目の当たりにできたのは感無量だったし、コリン・ステットソンの音楽がセクシーだと気づけたのも、彼がノースリーブのシャツを着てブリブリとバリトン・サックスを吹く姿に釘づけになったからだ(セクシー・ガイ・オブ・ザ・イヤー)。そしてボン・イヴェール。ジャスティン・ヴァーノンがまるきり普通のナイス・ガイのように、2万人に向けて「グッド・ジョブ!」と言ったときの笑顔は、その年僕が目撃したもっとも美しい光景だった。
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