1) 始まりは冬、深い霧の中で
その頃、僕は誠実な男なんてこの世にはいないと思っていたし、いたとしてもきっと退屈に違いないと決めつけていた。いま思えば自分の人生における先行きを見失っていた時期だったし、何かや誰かに夢中になることに疲れていただけだったのだろう。
2008年の暮れ、TV・オン・ザ・レディオの『ディア・サイエンス』の高度なハイブリッド性とオバマの登場にアメリカが沸いていた頃、僕はひとりでハーキュリーズ・アンド・ラヴ・アフェアの刹那的なハウスばかりを繰り返していた――「まるで目が見えないみたいだ」、ディーヴァたるアントニー・ハガティの逞しい歌声ばかりを頼りにしていた。
その年『ディア・サイエンス』とともに多くのメディアが年末のクリティック・ポールで熱烈に支持していたのが『フォー・エマ、フォーエヴァー・アゴー』というアルバムで、僕はようやくその男の歌に出会うことになる。あなたもきっと知っているだろう……その作品は「ウィスコンシンのごく普通の青年が、恋人と別れ、それまでやっていたバンドがダメになり、病気に罹り、雪に閉ざされた父親の山小屋にこもってひとり傷と愛について歌った」物語を負っていて、そのことが暗い時代に生きる人びとの胸を打ったことを。
いまどきそんな一途な青年の物語に耳を澄ますなんて、と思いつつも、その透徹したアンビエント・フォークが持っていた美しいメロディとハーモニーは驚くほど自然に自分のなかに降り積もっていった。ウディ・ガスリーの時代まで遡るオーセンティックなフォーク音楽でありながら、ホーリーなファルセット・ヴォイスはときにフィメール・ソウル・シンガーのような甘さもあり、録音には90年代のエレクトロニカや21世紀のアンビエントを通過した感性がたしかにあった。
ウィルコやスフィアン・スティーヴンスが好きだった自分にとっては馴染みやすい音楽だったし、それにその年はフリート・フォクシーズの厳格なフォーク・ミュージックもよく聴いていたから、たんに発見するのが遅かっただけなのだろう。
2) 喜ばしき冬、森のなかのゴスペル
ただ、ひとつだけ気になっていたことがあって、Bon Iver――その頃は発音もよくわかっていなかった。ボン・アイヴァーなんて呼ばれたりもした――とはいったい何のことなのだろう、と。
調べればフランス語で「Good Winter」を意味するBon Hiverから取った言葉だということはすぐにわかったけれど、では、その男、ジャスティン・ヴァーノンは――この、いかにも山男然としたヒゲ面で大柄の人の良さそうな青年は、どうして自分の名前を名乗らなかったのだろう。「喜ばしき冬」とはいったい何のことなのだろう。
(正確に言えば、ボン・イヴェール以前に彼は本人名義でアルバムを出している。それは痛みに満ちたヘヴィなフォーク音楽で、ボン・イヴェールとの最大の違いは……、そう、ファルセット・ヴォイスがないことである。また、例の「ダメになったバンド」であるデヤーモンド・エディソンはジャスティンのミドル・ネームからバンド名が取られていた)。
そうこうしているうちに、すぐに『ブラッド・バンク』というEPが出る(2009年)。クリスマス・イヴの夜に血液銀行で出会った男女――つまり血を売らなければならないほど貧しいということだ――が、雪が降りしきるなか恋に落ちていく情景を歌った表題曲も美しかったが、僕が圧倒されたのは“ウッズ”という収録曲だった。
「僕は森にこもって/自分の心を恨んでいる」
「静寂を作り上げて/時をゆるやかにする」
ただそれだけを繰り返しながら、ジャスティンそのひとの声ばかりが重ねられ陶酔的なハーモニーが生み出されていく。「喜ばしき冬」とは何だったのか……ボン・イヴェールがたんなる素朴なフォーク・ミュージックでなかったことを、彼のファルセット・ヴォイスの意味を、僕はそのとき知ることになる……ゴスペルだ。
3) 「エマへ」、一人称から遠く離れて
『フォー・エマ、フォーエヴァー・アゴー』の核となる歌である“フォー・エマ”の歌詞には「ナレーター」「him」「her」が登場する。
語り手(それは折よく陽の差す雪の上/終わりを知ることとなった)
男「あらゆる生命は……」
女「喩え話はやめにしましょう」
男「光を探し求めるんだ」
女「……膝が冷たいわ」
(走って家へ帰って、走って家へ帰って、走って家へ帰って、走って家へ帰って……)
女「新しい恋人を見つけるのね/そしてその子と……うまくやればいいじゃない」
ジャスティンの一人称で失恋の物語が綴られてもおかしくなかったこの歌は、しかし、戯曲形式の言葉を持ちながらひとりではけっして完成しないハーモニーを持っている……それは彼だけの歌だったはずだが、彼だけの歌として表現されなかったのだ。
4) いくつもの孤独、いつくものコミュニティ
僕がボン・イヴェールのことを本当に愛するようになったのは、フランス人の映像作家であるヴィンセント・ムーンがパリの街角で撮影した<ア・テイク・アウェイ・ショウ>の、この曲のテイクを観たときだと思う。(ジャスティンの豪快な手拍子にも惚れ惚れしたが、)アカペラでコーラスに参加するショーン・キャリーとマイケル・ノイス――初期からのバンド・メンバー――も「ボン・イヴェール」であり、すなわち「喜ばしき冬」を奏でる仲間としてそこにいることが、ありありと伝わってきたからだ。
もうひとつ、ジャスティン・ヴァーノンという人を端的に示す出来事があった。彼が高校時代に所属していた地元ウィスコンシンのジャズ・ビッグ・バンドの在校生たちと、共演するチャリティ・コンサートを開いたのである(収益は高校生たちが都会のコンクールに出場する資金に当てられた)。そのコンサートにはだから、地元の高校生たちの家族とバンドのファンの両方が集まったのだ。
ゴスペル・シンガーであるマヘリア・ジャクソンのこの素晴らしいカヴァーの映像で僕が気に入っているのは、途中赤ん坊が泣きだしてしまうところだ。
その泣き声は、そこに彼が愛する故郷の「家族たち」が集まって、みんなでマヘリア・ジャクソンの歌――アメリカの大地に眠る霊歌――に耳を傾けたことを記録しているからだ。そこではボン・イヴェールのメンバーもいっしょに演奏した高校生たちも、そして観客ですら「喜ばしき冬」だった。ジャスティン・ヴァーノン、彼は底なしのお人よしで、ウィスコンシンの地図を左胸に彫るくらいの郷土愛の持ち主で、そして救いようのない理想主義者だった。
その歌がどこからやってきたのか……それはさして重要なことではないのかもしれない。だけど僕はこのどこまでも誠実であり続けるジャスティン・ヴァーノンという人を愛さずにはいられなかったし、彼が生み出す名もなき人間たちのハーモニーとしてのフォーク・ミュージック、ゴスペルにずいぶん助けられた。彼の「喜ばしき冬」はつまり孤独のことであり、痛みと傷のことであり、そしてだからこそ胸に刻まれる愛のことだった――そして彼のエマへの別れの手紙は、わたしたちが前に進むために繰り返し歌われた。
「ボン・イヴェールと私。そして、あなた」
特別エッセイ:ありきたりなひとりの男が
ボン・イヴェール愛を獲得するまで:後編