1990年代後半~2000年代前後、リッチーは、それまで前面に出ていたF.U.S.E.やプラスティックマンなど、テクノらしい匿名じみたトラックメイカーとしての活動から、DJとしての活動が“作品”にもひとつ大きな要素として、さらに影響を与えていくことになる(もっとも“スパスティック”のアイデアの源泉は、DJカルチャー以外のなにものでもないわけだが)。もちろん、そこはテクノをとりまくDJカルチャー自体が成熟し、DJカルチャー自体が生まれてくるサウンドの流れを牽引するようになったという、シーンの構造の変化と不可分なところもあったのは言うに及ばずだが。
それに伴い、DJの中心的なクレジットでもある本名たるリッチー・ホウティンとしての活動の比重は大きくなっていく。そして、ダンスフロアを意識した音作りは本名名義へ、そこから解放されたカッティング・エッジな楽曲制作の活動はプラスティックマンへと集約していく印象がある。それは現在のディープ・ミニマルの帝王=リッチー・ホウティンというイメージに直結していく動きでもあると言えるだろう。
まず、1990年代後半のリッチーはというと、テクノ黎明期から続けてきた活動に一端区切りをつけていく。1995年にそれまで活動のプラット・フォームであったジョン・アクアヴィヴァとのレーベル〈+8〉のリリースが50作目に突入。ここで記念にリリースされたのが、500枚限定の赤いヴァイナル、初の本名名義となる“コール・イット・ホワット・ユー・ウォント!”である。
サウンド的には“サブスタンス・アビューズ”あたりを彷彿とさせるアシッド・トランス、よく聴けば当時のプラスティックマン中心の彼の音としては少々懐古的な香りすらする作風だ。それもそのはず、本作は過去に作られた未発表音源をリリースした作品と言われている。恐らく、サウンド的なところ言えば、前半で紹介したF.U.S.E.名義で出されるべき作品だったんじゃないだろうか。
このときのリッチーは、というと少々疲れていたようで、この直後の『コンシュームド』リリース時のインタヴューなどを読むと、先駆者故の苦労というか、アシッド・リヴァヴィヴァルの立役者として注目され、“スパスティック”や『シート・ワン』、『ミュージック』のリリースでスータダムに、そして世界中をプロモーションでまわりインタヴューされ、重箱の隅をつつくような質問を何回もされる――そんな生活に飽き飽きしている様子が伺いしれる発言がちらほら。そのあたりもあって、「好きなように呼べ!」といったタイトルを本作につけたという発言をしている(それまでの作品のタイトルの部分で、かなり手を変え品を変えいろいろつっこまれて嫌気がさしたんだとか)。
こうしたこともあり、そしてある意味で先に進みすぎたそのサウンドもあってか、1990年代後半のはじまりは少々スランプ状態というか、作品のリリースも鈍化している。しかし、そんなリリースの少ないなかでも1997年には〈+8〉から、当時主流になりつつあったハード・ミニマル・サウンドと、プラスティックマン的な刺激に満ちたシングル“005”をリリース。ちなみに、こちらの数字タイトルも“コール・イット・ホワット・ユー・ウォント!”と同様の理由、つまるところ質問除けのためにつけられたとか。
まさにDJツールに特化しながらも、プラスティックマン的な変態音がクセになるハード・ミニマル・サウンド。とはいえ、こんなDJツールをリッチー名義で出すあたり、本人のなかでプラスティックマンを最前衛と捉え、特別のものとしたい、というのがあったんではないだろうか。とはいえ、ここまで快進撃を続けてきたリッチーの存在感を考えると、多少、スランプ感は否めないところもあります。
そんななかでリッチーは、1996年になると突如として新たなレーベル〈コンセプト1〉を立ち上げる。これは毎月1枚の12インチ作品を2000枚限定で発表するというもの(現在からしたら2000枚のヴァイナルってすごい数ですが)。その内容は決してダンサブルなものでも、またいわゆるプラスティックマン的な作り込まれたサウンドでもなく、まさに「素材」もしくは「習作」といった表情を持った作品群。これは、彼が作った(ほぼ)時系列順にリリースしていくといったもので、「最後に全部かけると1枚の作品になる」とか様々な憶測も(実際には違った)。
そのタイトルのように、これは1996年の1月リリースのもので、順に“96:02”、“96:03”とリリースされ、最後には“96:12”がリリース。先述のように、やはり全て作った時系列順のリリースがなされるというのが、ひとつのコンセプトであったようだ。しかしながら、この習作的な作品のなかに、恐らく、彼はその後につながるミニマル・テクノの手応えを感じたのではないだろうか? ある意味で習作のような簡素極まりない音で、最大限のグルーヴを生むということに対して。足し算ではなく、引き算の美学――もちろん、こうした姿勢はこれまでも“スパスティック”などで示されてはいるが、このコンセプト1のサウンドを聴けば、ある意味で“スパスティック”ですらトゥー・マッチな展開と音の複雑さを感じずにはいられないでしょう?
コンセプト1シリーズは、全て集めてまとめられたアナログ・ボックスが1996年に、さらにはベスト盤的な形で抜粋されたCDアルバム『コンセプト1 - 96:CD』が1998年にリリース。このCDが、なにを隠そう、現在も彼のプラット・フォームとなっている〈マイナス〉の最初のリリースに。またこの作品はミニマル・テクノ実験の鬼、トーマス・ブリンクマンの感覚をえらく刺激したらしく、コンセプト1シリーズを再構築したアルバム『コンセプト1 - 96:VR』を1998年にリリースしている。
ちなみに、このコンセプト1前後のリリースの鈍化は、一節によればカナダ国籍であったリッチーの、アメリカでの不法就労状態が問題になって、スタジオのあったアメリカ側に入れなかったから……といった話もあったり。
そして話は少々前後するが、コンセプト1の後、1997年にプラスティックマンのシングル“シックネス”をリリース。
ある種、アシッド・ハウスのホラー要素のみを集めたような、強迫観念すら感じるトラックは、たしかにある一定の評価を受けはしたが、世はハード・ミニマル・テクノ全盛期。“スパスティック”のようにはヒットしなかった。暗い、変態。この二言でばっさりと。次いで1998年にはプラスティックマン名義で、ついにアルバム『コンシュームド』をリリースします。
プラスティックマン名義にあったシニカルな笑いすらもなく、まさに暗闇のなか黙々と電子音のベースラインとキックが鳴り響く作品。そう、まさにこれも暗い、変態。エレクトロニカやディープ・ミニマルの勃興と一般化によって、こうした地味(?)な作品もそのクオリティによって話題となる現在ならまだしも(逆に言えばリッチーの作品は時代のかなり先を行っていた)、前述のように、ダンス・カルチャーは、ハード・ミニマル・テクノ、ビッグ・ビートにドラムンベースの時代である。この作品がどのようにして受け止められたか想像してみると良いだろう。
次いで、同年の秋にはアルバム『アーティファクツ(BC)』もリリース。この作品は『コンシュームド』よりも前にリリースされるはずだった作品で、たしかにその作風はダークに沈み込むところまで沈んだ『コンシュームド』よりも、前述のシングル“シックネス”に近く、“スパスティック”~『ミュージック』の作風を受け継いでいて、リズムの愉快な実験もそこかしこに溢れている。ビッグ・ビートやアブストラクト・ヒップホップ、ドラムンベースの隆盛によって、いわゆるイーヴン・キックを押しのけてブレイクビーツがリズムの流行のタームになっていたことも意識して聴くと、かなり面白い。いや意識しなくても抜群に面白い。テクノにおけるリズムの実験が執拗に繰り返され、面白い。
まぁ、とはいえ、『コンシュームド』にしろ、『アーティファクツ(BC)』にしろ、これらの作品が、2000年代初頭のエレクトロニカ誕生の前夜の作品であるというのに驚くばかりだ。その事実と照らし合わせれば、彼がどれだけ先に進んだ音を作っていたかがわかるだろう。
と、この絶妙などよーんとした時期を得て、1998年からはまさに快進撃とも言うべき動きを見せる。その鍵はDJプレイにある。
こうした実験のための実験に飽きたのか、彼はテクノ・ミュージックの未来を、DJ、そしてダンス・ミュージックの部分に託していく。そんな方向性が見えてくる。さまざまなコンセプトや音楽的実験をDJプレイのなかに見出していくのだ。
1999年にリッチー・ホウティン名義で、ライヴ・ミックスCD『デックス・エフェクツ・アンド・909』をリリース。これはその名の通り、ヴァイナルでのミックスに加えて、エフェクトや909でのライヴ的なサウンドを加味したもの。1995年の『ミックスマグ』の時には、すでにそうした音作りをしていたのだが、そこでは当時の今様たるハード・ミニマル・スタイルで行っていた。
このあたりからは、前述のようにリッチーはクリエイターよりも、DJとしてその存在感が増してくるのだ。作品やコンセプトにしても、DJプレイを着想にした感覚がより際立ってくる。本作にも収録された“マイナス・オレンジ”は、それこそ2000年代前後のテクノのフロアで、どこに行ってもプレイされていた。そう言っても言い過ぎでないぐらいヒットした。それまでSEなど以外はサンプリングをほとんど行ってこなかったリッチーが、ベースライン、しかもディスコ的なものをサンプリングしたことはある種の驚きでもあった。ここでは、スイスの大富豪エレポップ・バンド、イエローの楽曲をサンプリングしている。そして2000年には、ある意味で本作への過程&ツールとも言える『マイナス・イエロー』もリリースした。
2000年代を超える頃、彼の音楽制作にまたひとつ、DJというタームで新たな重要な要素が加わることになる。それはファイナル・スクラッチという、PCDJシステムとの関わりだ。ファイナル・スクラッチとは、現在、トラクター(こちらはまさにファイナル・スクラッチの末裔)、セラートDJといったPCDJシステムの元祖とも言える存在で、いわゆるヴァイナル・コントロールでPCの内部のデジタル音源をDJプレイできるというシステムだ。リッチーは、このシステムの開発者、そしてある種の広告塔となった。この新たなテクノロジーの導入は、彼のDJを根底から変えていくことになる。
そして、2001年にリリースされたミックスCDが、まさにこうしたテクノロジーによって、DJという行為を、そしてテクノという音楽自体をコンセプチャルに再定義した作品となっている。サウンド的には現在までのリッチー・ホウティンのイメージの中心たるディープ・ミニマルの帝王というスタイルの突端とも言える作品だ。現在のリッチーは、このミックスCDにて、ひとつ路線を定めたと言っても過言ではないだろう。
その名の通り、本作はDJミックスというよりも、その制作スタイルは編集作業に近いと言えるのではないだろうか。ここで使用されている楽曲は、ざっと70曲以上。これらが微細にエデットされ、ループされ、1枚のDJミックスが構成されている。最小のサウンドを繋ぎ合わせることで、ある種のダイナミックな流れを作るというテクノのDJプレイを極限まで押し進めた結果とも言えるだろう。これはファイナス・スクラッチによって可能になった手法でもある。そして、そのサウンドの質感は、クリック・ハウス~ディープ・ミニマルの潮流を先取りしたものと言えるだろう。スカスカでいて、グルーヴィ。そのサウンドの姿は、前作にあたる『デックス・エフェクツ・アンド・909』のアタックの強いハード・ミニマルとはまるで目指すものが違っている。
また、このリリースと前後して大きな変化がある。まずは2002年、10年以上活動を行っていた古巣のウィンザーを後にし、ニューヨークに移ることになるのだ。そして2003年にはプラスティックマン名義のアルバム『クローサー』をリリースする。
サウンド的には、完全に『コンシュームド』の続編といったところで、2000年の前後のDJとしての感覚以外のものがここで再現されているかのようだ。アシッド・ハウスのバッド・トリップを10数年かけて濃縮したようなサウンドで、最近のダーク・アンビエントにも通じる暗黒の世界が横たわっている。そして、本作リリース後、ついに彼はベルリンへと渡るのだ。ある意味で1990年代のプラスティックマンとしての活動に、後から見れば、本作はひとつ区切りをつけたようでもある。この後、プラスティックマンは2010年頃までほぼ沈黙する。
沈黙するプラスティックマンに対して、リッチー・ホウティンとしての活動はベルリンに渡ると活発化する。また〈マイナス〉に関しても、これまでリッチー個人の作品ばかりをリリースしていたが、この頃からマーク・ハウルやハートスロブ、トロイ・ピアース、マグダ、ゲイザーといった、いまでは〈マイナス〉ファミリーとして知られるアーティストたちを次々とリリースし、世に紹介していく。まさにディープ・ミニマル帝国を作り上げていくのだ。このディープ・ミニマル・サウンドは、2000年代後半には、トランスとプログレッシヴ・ハウスの楽園といったイメージのあるイビザまで浸食することになる。
そして、2005年、まさにリッチーのミニマル帝国総決算とも言えそうなミックスがリリースされる。『DE9 | トランジションズ』と題されているように、これは『DE9 | クローサー・トゥ・ジ・エディット』と同様の手法で作られている。サラウンド5.1chのDVDでもリリースされ、まさにデジタル技術によるDJという表現の最終形態とも言えるものになっている。ディープ・ミニマル・サウンドが最も勢いのあった時代のひとつの象徴とも言える作品だ。これによって、リッチーはそれこそ世界のトップDJとして君臨することになる。まさにディープ・ミニマルの帝王と言えるスタンスを完全にここで確立するのだ。
が、ここ2000年代のリッチーの最大のポイント。ディープ・ミニマルのトップDJとして君臨し、シーンの象徴ともなる『DE9』シリーズでその手のサウンドを示すわけだが、実は楽曲としては、いわゆるディープ・ミニマル・テクノのリリースは皆無に等しかったりもする。こうしたことになった理由は、DJという表現、または〈マイナス〉というレーベルのリリースが、リッチーにとって地続きでコンセプチャルに展開され、楽曲ではなく、そのコンセプトがある種シーンを作ってしまった結果とも言えるのではないだろうか。
トレード・マークのボーズ頭から、お洒落に髪の毛がはえ、ディープ・ミニマルという表現がひとつの極限を迎えたのか、その後は〈マイナス〉での他アーティストのリリースなどは続々となされるものの、自身はDJとしての活動にほぼ収束していくのである。それこそ、2000年代後半に彼を認知したリスナーの中には、その代表曲として知ったのはダブファイヤーによる“スパスティック”の大ヒット・リミックス(2007年)という人さえいるのも、あながち無い状況ではないだろう。
こうして迎えた2010年にリリースされた、〈マイナス〉ファミリー総出の『メイキング・コンタクト』には、テクノのDJという行為は表現として、その可能性をどこまで押し広げることができるのか? そのエッジを模索し、ある種のショーとして提示しようとしている姿が垣間見れる。これをひとつ区切りとしたのか、またまたここでプラスティックマンのあのロゴ・マークがレコード店に並ぶことになるのだ。
この年には、プラスティックマンのベスト盤とも言える豪華ボックス・セット『アーカイヴス 1993 - 2010』とベスト盤『コンピレーション』を発表し、2005年(“ノスタルジック2”)以来、ひさびさのシングル“スリンキー”をリリース(プラスティックマンとしてのライヴ活動も再開している)。シングルのタイトル・トラックは、サウンド的には『シート・ワン』あたりの作品に近く、ディープ・ミニマル的な完成からは脱した、まさにリッチーしか作り出せないアシッド・ハウス。そしてBサイド“モンキー”は、『アーティファクツ(BC)』のリズムの冒険をさらに進化させたようなサウンドで、まさにこの名義を高らかに宣言するようなサウンドとなっている。
そして、またここから4年間沈黙となる。もちろんディープ・ミニマルのトップDJとして活躍してはいたものの、入ってくる話は、最近熱をあげている日本酒の店をベルリンに開いただとか、ベルグハインでおいたをして追い出されたとか、少々、その音楽的な存在感が希薄になっていたというのが実際のところ。しかしながら、ここにきて、ついにプラスティックマンの新作『EX』がリリースされた。そのサウンドとは?これについては別項の記事にお任せすることにしよう。
30分で教えます。ミニマル・テクノの帝王、
リッチー・ホウティンの24年間の偉業。
プラスティックマンの凄さ。part.1
はこちら。