SIGN OF THE DAY

『東京』から20年。再結成から8年。時代が
一巡し、来たるべき新作に期待が高まる、
サニーデイ・サービス全作を振り返る 後編
by contributing writers May 20, 2016
『東京』から20年。再結成から8年。時代が<br />
一巡し、来たるべき新作に期待が高まる、<br />
サニーデイ・サービス全作を振り返る 後編

『東京』から20年。再結成から8年。時代が
一巡し、来たるべき新作に期待が高まる、
サニーデイ・サービス全作を振り返る 前編


『東京』から20年。再結成から8年。時代が
一巡し、来たるべき新作に期待が高まる、
サニーデイ・サービス全作を振り返る 中編




LOVE ALBUM(2000)

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サニーデイ・サービス全作を振り返る 後編
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打ち込みのビートなどエレクトロニクスをふんだんに採りいれ、ダンス・ミュージック的な快楽と昂揚感が全編に配されたサウンドにセカンド・サマー・オブ・ラヴのムードを嗅ぎ取るのは容易い。このアルバムがリリースされた2000年の国内ポップ・シーンを振り返ると、スーパーカーが『フューチュラマ』、くるりは“ワンダーフォーゲル”と、98年世代が同時多発的にテクノ耳を発達させた作品をリリース。つまり、そういう時だったわけだ。だが、そもそもが「二度目の夏」に間に合わなかったこのバンドゆえ、全能感の背後で陰影を落とすメランコリアは、ほかの誰よりも濃かった。マラカスを振り、両手を大きく広げながら、彼らはずっと敗北を抱きしめていた。事実、3人組ロック・バンドとしてのサニーデイ・サービスは、すでに崩壊していたと言えるだろう。メンバーといわゆるサポート・ミュージシャンをわけへだてなく、楽器パートや参加曲目さえ記すことなく、ただ「SOUND」として15人の演奏者が記されたクレジットが、今作のありようを物語る。そのコミューン的な体制に、ブローティガンが『西瓜糖の日々』で描いた「iDeath」が透けて見える。恍惚と虚無のまぐわう桃色の舟に乗って、彼らは愛の彼岸へと向かった。そして、3か月後の12月14日、バンドは解散を発表する。(田中亮太)

サニーデイ・サービス / 夜のメロディ

>>>『LOVE ALBUM』収録曲

サニーデイ・サービス / 魔法

>>>『LOVE ALBUM』収録曲

20世紀最後となった2000年は、ロック・シーンが「ロックンロール」からもっとも遠い場所にいた一年だったと言えるだろう。当時、海外ではレディオヘッドの『キッドA』、国内ではスーパーカーの『Futurama』やくるりの“ワンダーフォーゲル”等がリリースされ、洋邦問わず、バンドの多くがダンス・ミュージックをはじめとする非ロック的サウンドに未来を見出そうとしていた。解散前のラスト・アルバムとなったサニーデイ・サービスの『LOVE ALBUM』もまた、そのような時代感覚を存分に共有している。“INTRO”からいきなり聴こえてくる、ヴォコーダー処理された声、流麗なストリングス、キラキラした電子音、打ち込みのドラム・ビート。SUGIURAMNこと杉浦英治の起用が大きく作用したと思われる、ハウス譲りの高揚感が本作の印象をことさら明確に決定付けている。それは、これまで3ピース・バンドとしてのサニーデイ・サービスにこだわり続けてきた彼らにとっては禁忌を犯す行為であり、結果的にバンド分裂の引き金となった。しかし同時に、バンドの制約から解放され複数のプロフェッショナルな共同制作者を通して製作されたことで、本作が曽我部恵一個人のメロディメイカー、ヴォーカリストとしての才覚がより純化された傑作になっているのも確かだ。今振り返って興味深いのは、マンチェスター的な初期からフォーク・ロックやガレージに移行することで自身のアイデンティティを確立したサニーデイ・サービスが、最後のアルバムで再びマンチェスター・サウンドに通じるインディ・ダンスに立ち戻ったように思える点だ。勿論それは偶然の積み重ねだったかもしれないが、それにしたって、90年代を駆け抜けたバンドの歴史として、あまりにも美しい円環の描き方じゃないだろうか。(青山晃大)



本日は晴天なり(2010)

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2008年、〈ライジング・サン・ロック・フェスティヴァル〉への出演をとっかかりに、サニーデイ・サービスは8年ぶりに復活。そこから本作の完成までにおよそ2年を要したことからも、この再結成が周到に準備されたものではなく、あくまでも自然の成り行きであったことがうかがえる。そしてついに完成となった10年ぶりのスタジオ・アルバムは、3ピースの音像を素直に捉えた非常にシンプルなもので、そのすこしヨレた演奏のグルーヴは、まさにサニーデイ・サービスそのものであった。そう、ここには解散前と驚くほど変わっていないサニーデイ・サービスのアンサンブルが刻まれているのだ。言い方を変えると、これは曽我部恵一がソロ・ミュージシャンとしてつくってきた音楽とはまったくの別モノ。サニーデイが解散した2000年以降、曽我部のキャリアがどれだけ充実していたかは、おそらく多くの方がご存知かと思うが、あくまでもこの作品はそうしたソロの文脈とはまったく異なるところで生まれたものなのだ(ちなみに、本作とほぼ同時期に、曽我部はヒップホップ・マナーの12インチ・シングル『サマー・シンフォニー』と、弾き語りのアルバム『けいちゃん』をそれぞれソロ名義でリリースしている)。勿論そこに意図や狙いなどは微塵もないだろう。むしろ彼ら自身も「この3人で演奏すると、どうしたってサニーデイの音になる」ということをここで改めて実感し、その拙さを楽しめるようになったという。それゆえ、解散前の作品にあったようなヒリヒリした緊張感こそないが、一方でこれほど穏やかな3人の演奏を捉えている作品も過去になかった。(渡辺裕也)

サニーデイ・サービス / ふたつのハート

>>>『本日は晴天なり』収録曲

サニーデイ・サービスが再結成し、新作を発表すると知ったとき、ワクワクというよりはドキドキという気持ちが強かったのを覚えている。ソロや曽我部恵一BANDでサニーデイ時代とは180度異なる姿を見せていた曽我部が、果たしてもう一度サニーデイに戻れるのかというのは、正直不安でしかなかったし、実際に本作を聴いたときも、最初はやはりノスタルジーでしかないのではないかと思った。サウンドのテクスチャーや、「街」「恋人」「太陽」といった歌詞のモチーフは確かにサニーデイなのだが、曽我部の歌声はソフトな歌唱でも明らかに太くなっているのがわかるし、“ふたつのハート”のしゃがれ声を聴いたときは、「こんなのサニーデイじゃない!」とすら思いもした。しかし、ラストを飾る“だれも知らなかった朝に”を聴き終えたときに思ったのは、本作がコミュニケーションのための作品であるということだった。10年ぶりでも何ら変わることのないメンバーの関係性、サニーデイが大好きで、だからこそその結末には納得のいっていなかったファンとの関係性、そして、それぞれの立場から見た音楽との関係性。それらをもう一度見つめ直した上で、今日や明日へとつなげていこうとする作品、それが『本日は晴天なり』なのだ。僕が感じた違和感も、それはすなわちサニーデイに対する愛情の再確認だったわけだ。そんなテーマの背景にあるのは、インターネットの普及に伴い、スピーディな変化を強要してくるようになったゼロ年代以降の社会の存在だろう。誰にも知られることはなくとも、一人一人に物語があることを綴った“だれも知らなかった朝に”の最後に付け加えられた「そのままにしておこう」というライン。これはつまり、「これからもこの関係性を続けよう」という強い願いに他ならない。(金子厚武)



Sunny(2014)

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2016年の1月にリリースされたシングル『苺畑でつかまえて』は、瑞々しくも官能的――サニーデイ・サービスの不世出の魅力をあらためて世に知らしめる名曲だった。が、それを指して、このバンド久しぶりの云々と称してしまうのは、再結成以降の彼らをしっかりと追ってこなかった怠慢ではないか。すでに彼らは『Sunny』なる傑作を送り出しているのだから。そう、今作はまさに純度100パーセントのサニーデイ。夏の風景を切り取ったリリック、シンプルなバンド・サウンド――彼らの骨子にあたる部分を丹念に磨き上げたような、端正なフォルムのポップス・アルバムだ。その静謐さには『MUGEN』を、グルーヴィなロック・サウンドには『サニーデイ・サービス』をと、過去のディスコグラフィを思い出させる瞬間がある。その一方で、コリン・ブランストーンの『ワン・イヤー』を彷彿とさせるストリングスを配した“少年の日の夏”や、ガレージ・パンクの持つオールディーズ・ポップスへの憧憬を見事に成就させた“エアバルーン”などには、「若者たち」の季節を過ぎたサニーデイ・サービスならではの魅力が落とし込まれている。齢を重ねてきた/いくことを柔らかに受け止めた眼差しも印象的だ。各楽器のフレーズから醸される艶、さり気なくも趣向豊かなポスト・プロダクションの妙、なによりふくよかな録り音が完璧。最新作にして、「今んとこはまあ」最高傑作なんだと思う。(田中亮太)

サニーデイ・サービス / One Day

>>>『Sunny』収録曲

サニーデイ・サービス / 愛し合い 感じ合い 眠り合う

>>>『Sunny』収録曲

「90年代のサニーデイ」を過度に意識したような『本日は晴天なり』のリリース後、再びソロや曽我部恵一BANDでの活動を挟み、4年半ぶりに発表された本作では、40代に突入した曽我部がフラットな気持ちで向き合った「今のサニーデイ」を聴くことが出来る。かつてのサニーデイであれば採用しなかったであろう“おせんべい”という曲がアルバムの冒頭を飾っているのは、曽我部がソロで追及したリアルな生活感と、サニーデイが描き続けてきた日常の心象風景とが、自然な形で融合したことを示している。よって、『Sunny』というタイトルにしても、「青空に輝く太陽」というよりは、酸いも甘いも噛みしめた大人の男が、それでも見上げる高い空というイメージ。全体のメロウなテイストは『MUGEN』に近いとも言えるが、夢見心地なムードではなく、もう少し生々しいのが特徴だ。では、なぜそんな作品が生まれたのかといえば、その答えはアルバムのラストに収録された“きみが呼んだから”の「きみが呼んだから/ぼくはここへ来たよ」という歌詞によく表れていると言える。つまり、現在のサニーデイは聴き手の存在こそがバンドの存在意義なのであり、かつてと変わらない関係性を再結成後に確認出来たからこそ、ノスタルジーの先で今を生きるサニーデイを見出すことが出来たのだ。そして、これ以降のサニーデイのライヴはすこぶる良い。その象徴が2015年に15年ぶりに開催された渋谷公会堂でのライヴだったわけだが、僕が直近で見た2016年2月のキネマ倶楽部でのシャムキャッツとの2マンライブも実に素晴らしく、それは「今のサニーデイこそが最高」と、躊躇なく断言出来るものであった。(金子厚武)




はっぴいえんどを再定義した『東京』という
紋切り型に異論あり。サニーデイ・サービス
の真価をジャズ評論家、柳樂光隆が紐解く





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