「スワンズという名前が活動を続けていく上で重荷になった」。そう残して90年代の終わりに活動を休止したスワンズだったが、しかし、今日の事態はさすがのマイケル・ジラも想像だにしなかったに違いない。この10余年、ある種の“論点”としてスワンズの名前が参照される機会は、むしろ活動当時と比べて頻度を増すばかりだった。
ソロやエンジェルズ・オブ・ライトの活動、主宰する〈ヤング・ゴッド〉の運営を通じてフリー・フォーク・シーンに果たしたジラの貢献が、スワンズへの喚起をあらためて促したことは言うまでもない。あるいは、2000年代初頭のニューヨークで端を発したノー・ウェイヴの再評価もレトロスペクティヴに先鞭をつけた契機として挙げられるだろう(DVD『キル・ユア・アイドルズ』)。そして、何より昨今のUSアンダーグラウンド・シーンの台頭は、スワンズの記憶をいよいよ生々しく甦らせるものだった。サイケデリックを押し広げたフリー・フォーク/ニュー・ウィアード・アメリカと交差しながら浮上したノイズやドローンへの回帰、さらにスラッジやドゥーム、インダストリアル……といったタームで溢れ返った百鬼夜行のごときUSアンダーグラウンドの光景は、ジラにとって80年代初頭のニューヨークとも重なるひどく懐かしい原風景だったことは想像に容易い。また同時に、「重荷」の元凶でもあった(90年代篇参照)その原風景に思いを巡らせることは、ひいては自身によるスワンズの再評価へとジラを導いたのではないだろうか。その際おそらくジラは、活動休止後もスワンズの最高傑作に挙げ続けた『サウンドトラックス・フォー・ザ・ブライント』と『スワンズ・アー・デッド』――15年のキャリアを集成したスタジオ&ライヴ・アルバムの反響を、眼下に広がるUSアンダーグラウンドに聴き取ったはずである。
ともかく、2010年、スワンズは約13年ぶりに活動を再開させた。その動機についてジラは語っている。「まったくもって圧倒的で、実験的で、過激な(completely overwhelming and experiential and extreme)」音楽が作りたかった、とか、ストリングスやパーカッションといった「普通の楽器(normal things)」を使ったアイデアを退屈に感じ始めている自分に気づいた、など言いようは様々だが、共通して窺えるのは、その決断がジラにとってきわめて自然な成り行きだったということだ。つまり、いま自分がやりたい音楽を考えたときにスワンズという名前を使わない理由がなかった、とのことで、それはたとえば冒頭で記した活動休止に際するジラの弁と見事に対照的だ。ジラによれば、活動再開を決めたのは前年の2009年で、自身のツアーにバッキング・バンドとして迎えたアクロン/ファミリーの演奏に刺激を受けたことも背景には大きかったらしく、実際にアクロン/ファミリーのメンバーと共に制作されたエンジェルズ・オブ・ライトの2007年リリース作(スワンズ活動再開前にリリースされた最後のスタジオ・アルバムでもある)からは、エレクトリック・ギターやリフを多用しアンプリファイされたサウンドに(今にして思えば)スワンズ活動再開の萌芽も聴けて興味深い。なるほど、活動再開に向けてジラが真っ先にコンタクトを取ったのが、ジャーボーに次ぐバンド在任期間を誇り、スワンズのすべてを知るオリジナル・メンバーのギタリスト、ノーマン・ウェストバーグだったというのも頷ける。
ジラはスワンズの活動再開が、「reunion(再結成)」ではなく「re-activation(再起動、再活性化)」であると強調してきた。要は、それがノスタルジーとは無縁であるという確認なのだろうが、一方、活動再開直後のツアーでは“ユア・プロパティ”(『コップ』)をはじめ80年代前半~中頃のアルバム収録ナンバーがセット・リストに組み込まれていたというエピソードは印象的だ。ジラいわく、それらのナンバーはまだ試走状態に近かったスワンズを新たな方向へと押し進めるための“起点”の役割を果たしたそうで、それは80年代後半から90年代以降にかけての音楽的な発展が逆に初期のスタイルを封印することでなされた経緯を振り返ればほとんど反動的な舵の切り方にも映る。かたや、ツアーと並行してアルバムに向けたレコーディングでは、活動休止前と同様にジラがアコースティック・ギターで作ったデモをスタジオに持ち込むやり方が踏襲され、一曲につき一日12時間、メンバー同士膝を突き合わせるようにしてひたすら演奏が繰り返されたと聞く制作風景は、活動再開後間もないバンドが手探りながら実を得ようと苦闘する様子を窺わせるものだった。
果たして、スタジオ・アルバムとしては『サウンドトラックス~』以来14年ぶりの『マイ・ファーザー・ウィル・ガイド・ミー・アップ・ア・ロープ・トゥ・ザ・スカイ』は、ジラも認めるところだが、スワンズとエンジェルズ・オブ・ライトの混成(hybrid)的な性格が色濃い。つまり、“ノー・ワーズ/ノー・ソウツ”、“マイ・バース”といったスラッジ・メタル~ストーナーの始祖たるスワンズの原風景を甦らす楽曲と、ジラがアコギを弾く“リーリング・ザ・ライアーズ・イン”、“リトル・マウス”といったソング・オリエンテッドな楽曲が両極にあり、あるいは“インサイド・マデリン”、“ユー・ファッキング・ピープル・メイク・ミー・シック”(デヴェンドラ・バンハートとジラの愛娘が歌唱)といった楽曲がその中間に置かれる、といった按配だろうか。もっとも、そもそもメンバーのメンツ自体が双方の選抜的な構成というのもあるのだが、そういう意味ではオリジナル・バンドとしてまだあくまで過渡期という印象も強く、それこそ活動休止間際の断末魔の叫びのような大音響を記憶に留めた耳には少々インパクトを欠くかもしれない。
しかし、たとえば『サウンドトラックス~』と異なるのは、そこで多用されていたテープ・ループ/サンプルやシンセ等のエレクトロニック・ノイズの代わりに、6ピースのバンド・アンサンブルを軸としたインストゥルメンタルの構築、ダルシマーやヴィブラフォンやタブラも交えた重厚なレイヤーが『マイ・ファーザー~』では追求されていることであり、“エデン・プリズン”、“ジム”はその最たる成果に挙げられるだろう。さらに、スペシャル・エディション付録のボーナス・ディスクに収録された46分強の“ルック・アット・ミー・ゴー”からは、『サウンドトラックス~』の残響も織り込み、膨れ上がった音のエントロピーがすでに極みを見せ始めていた様子が確認できる。
そして、スワンズの復活を決定的に印象づけたのが、その2年後に発表された『ザ・シアー』だった。「これまですべてのスワンズのアルバムの頂点(culmination)に位置する」とジラが寄せた『ザ・シアー』だが、それは言うまでもなく、活動休止の間も含めた30年、つまりソロやエンジェルズ・オブ・ライトを経て追求された趣向や美学、あらゆるメソッドを総覧した作品という自負にほかならない。2枚組で2時間を超えるヴォリュームは『サウンドトラックス~』も彷彿させるが、『ザ・シアー』の最大の魅せ場は、30分台の“ザ・シアー”をはじめとする長大な楽曲群に尽きるだろう。
活動再開から制作まで短期間だった『マイ・ファーザー~』に対し、ライヴ・セットに組み込みツアーで発展させたうえでレコーディングに臨んだ『ザ・シアー』の楽曲について、ジラは「group songs」と形容する。それらはさながら、その果てなきジャム/インプロヴィゼーションを通じてバンド自身がスワンズの音楽史的記憶を反芻し、新たに再構築していく過程の実況録音も想像させて壮観だ。件の“ザ・シアー”はその極致といえるが、ダーク・アンビエントとドローン・フォークを止揚したアクロン/ファミリー参加の“ア・ピース・オブ・ザ・スカイ”や、ドン・ヴァン・ヴリートが指揮するグレン・ブランカのオーケストラのような“ジ・アポステイト”しかり、さまざまな風景がクロスフェードしながら立ち現われては消えていく重層的なコンポーズ/ストラクチャーは、頂というより、まるで広大な山脈の稜線を眺めるような体験にもふさわしい。また、それらの楽曲が「group songs」としていかに進化/深化を遂げたかについては、そのデモ・ヴァージョンを収録した『ウィ・ローズ・フロム・ユア・ベッド・ウィズ・ザ・サン・イン・アワ・ヘッド』と聴き比べれば瞭然だろう。
加えて、前作『マイ・ファーザー~』ならびに今回の活動再開には不参加だったジャーボーが、ゲストとしてではあるが歌声を提供していることも、キャリアの頂点に『ザ・シアー』を位置づけるジラの確信を担保した大きな要因に違いない(“ア・ピース~”、“ザ・シアー・リターンズ”)。他にも、前述のアクロン/ファミリーしかり、ロウのアラン・スパーホーク&ミミ・パーカー、ヤー・ヤー・ヤーズのカレン・O、シガー・ロスからティム・ヘッカーやコリン・ステットソンとも組むベン・フロストといったゲスト・ミュージシャンの顔ぶれは、それこそ90年代のスロウコアや2000年代のノー・ウェイヴ・リヴァイヴァル、昨今のアンビエント/モダン・ドローンの潮流と、その時どきのシーンやトレンドと切り結ばれてきたスワンズの(再)評価の文脈に補助線を引く証左として興味深い。そして、ラ・モンテ・ヤングのポスト・インダストリアル・ヴァージョンのような“93 Ave. ビー・ブルース”、反復に憑かれた“マザー・オブ・ザ・ワールド”――それはかつて「ロック・ミュージックに真のセックスを探し求めていた」というジラの初期衝動を彷彿させる――といった“原風景”を甦らせ提示された『ザ・シアー』の全貌は、さながらスワンズという曼荼羅かコスモロジーと呼びうるスケールに等しい。
現在のUSアンダーグラウンドの活況も、結局はスワンズの掌で踊らされていただけではないのだろうか――。そんな無力感もつい頭をもたげるくらいに、スワンズ30年史の射程はあらためて遠く、示唆は汲み尽くせぬほど深い。そして、スワンズをその30年史の頂に導いた『ザ・シアー』の楽曲は、リリースから一年を待たず2013年夏前の時点でツアーのセット・リストからすべて外され、以降は新曲中心のライヴが繰り返されてきたと聞く(その模様を記録したライヴ盤『ノット・ヒア/ノット・ナウ』収録の、新曲が組み込まれた40分超の“ザ・シアー/ブリング・ザ・サン/トゥーサン・ルヴェルチュール”の深淵さよ!)。
2014年、その到達地を告げる通算13作目のスタジオ・アルバム『トゥ・ビー・カインド』によって、『ザ・シアー』の眺望が、しかし、山麓からの見晴らしに過ぎなかったことを私たちは知ることになる。
スワンズ再評価5つの理由:人脈篇
自由と開放を希求する気高き白鳥が
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