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  • Vood(oo) Rone by MASAAKI KOBAYASHI May 25, 2016 1
  • À la recherche du rap perdu (Lyric Video) Sages Poètes de la Rue by MASAAKI KOBAYASHI May 25, 2016 2
  • Eggshell Adult Jazz by MASAAKI KOBAYASHI May 25, 2016 3
  • Like What Tennyson by MASAAKI KOBAYASHI May 25, 2016 4
  • Piece of Me MK feat Becky Hill by MASAAKI KOBAYASHI May 25, 2016 5
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    歌詞のない曲に、映像をつける。5分という長さの中で、主人公は人間ではないのに(人間ではないから? か)、スリルと、安堵感というかカタルシスが押し寄せてくる、異様にタイトで経済的な作りなので、作り手としては、よほど、このストーリー(陳腐! と言う向きもあるだろう)を映像化したかっただろう、とも思った。ただ、タイトルが、“Voodoo”ではなく、“Vood(oo)”となっているので、もしかしたら、このローンが昨年発表した“(oo)”とつながりがあるのかもしれない。と、考えてみれば、数か月前にこの欄で取り上げた“(oo)”のMVは、クラッシュ・テスト・ダミーにも人間のような命が宿り、感情があるはずだ、というアイデアが見てとれるものだった。それを、今回は、犬に置き換え、(密室から)全編野外ロケへと、戸外へ連れ出した、精神的な連作(ただし、映像作家は異なる)なのでは? とも想像出来る。そして、何よりも、小曲だった“(oo)”を、ストリングスで肉付けするなどして新展開させ、新たな息吹(ライヴ感)を吹き込んだのが、そもそも、この曲だったのでは? という当たり前のところに落ち着き、また、このMVへと……。

  • 一方、映像に文字通り歌詞を敷き詰めたのが、このMV。1995年の映画『憎しみ』のインスパイア・アルバムにも曲を提供していたベテラン・ヒップホップ・グループ、サージュ・ポエット・ドゥ・ラ・リュの復帰作からの先行カット。この映像のアイデアは、グループ名(街の賢い詩人たち)に、ストリートを意味するリュが含まれているから、というところに起因していると、まずは想像出来る。と、同時に、これを観ていると、ヒップホップ/ラップは、ストリートとは切っても切れない関係にあるのに、なぜ、これまで、この手法でMVが作られなかったのだろうか、と虚を突かれたような思いもしたし、これなら、リリック・ヴィデオなどと断る必要もなかったのでは、と余計なことまで考えてしまった。一番最後に、彼らが、具体的には(パリ及びブーローニュの森に隣接する)ブーローニュ=ビヤンクールの出身であることを無理なく自然に伝えられるという締め方も美しい。

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    ミニマリズムと言えば、ジェシー・カンダとアルカの二人が産み落としたのとは、また別のミュータントを、このMVで登場させたのは、アダルト・ジャズ。制約ゆえの意外な可能性や成果を期待するミニマリズムではなく、マキシマリズムへの土台作りとしてのミニマリズムを念頭に置いている、というようなことを前作発表時に、彼ら(4人組)は語っていた。それゆえに、このMVのような表現なのだろうし、白目は勿論、口の動きに対して、観る者の目を惹きつけさせようとしている辺りは、サウンド同様、歌詞への注意を喚起しているかのよう。この曲を含む〈トライアングル〉からのリリースとなる新作アルバム(通算2作目)は、エレクトリックな方向に傾いているだろうか。

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    生まれた時から全盲のニキータちゃん(12歳)が、この曲を聴いて思い描いた映像を組み立ててみました、という趣向のMVを発表したのは、テニソン。サウンドクラウドやバンドキャンプ界隈で人気のこのカナダの男女二人は、最近では、スクリレックスの“ストレンジャー”のリミックスに起用されている。勿論、このMVに写し出される映像は、映像作家が介在しているわけだから、ニキータちゃんの想像通りのものではない。そして、そこからさらに根源的な方向に考えが及んでしまう。このMVを見ていて、頭の中に渦巻くのは、生まれた時から自分の生きている世界を自分の目で一度も見たことがない人の想像力は、どこからどう喚起されるのか、という大問題のほうだ。実際のところ、テニソンの曲を聴いていると、こんな風景あんな風景が思い浮かぶ、とかいう、ある意味のどかな話題だけに、決して腰を落ち着けていられないのが、このMVの強さかもしれない。

  • 「人間に代わってコンピュータが運転をした場合、手の空いたドライバーはセックスを始める可能性が高く、一度セックスし始めてしまえば、道路状況に注意を払わず、危険な状況に陥る可能性がある」とは、カナダの自動運転車研究センターが、5月2日付けの英〈デイリー・メール〉紙に発表した見解だ。その半月前に発表されたこのMVを撮った、カルロス・ロペス・エストラーダによれば、(ストリート・アートの)ラディカル! の『カー・クラッシュ・エンブレイス』(評者未見)という作品を見た時から何年も温めてきたものを映像作品化したのがこれだという。それにしても、人間を(タイトルにある)“ピース・オブ・ミー”へと還元させるやり方が(もしも、そういう解釈が成立するとしたら、の話ではあるが)ありえない(笑)。還元出来たとしても、結局、種の保存としてのセックスなのか、なんなのか、という疑問提示になっているようにも思えるラストだ。ちなみに、この曲で歌っているベッキー・ヒルは、ルディメンタルの“パワーレス”にもフィーチュアされていた。

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