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  • グリーンルーム(2015) directed by Jeremy Saulnier by TSUYOSHI KIZU January 30, 2017 1
  • たかが世界の終わり(2016) directed by Xavier Dolan by TSUYOSHI KIZU January 30, 2017 2
  • LOOKING(2014‐2015) created by Michael Lannan by TSUYOSHI KIZU January 30, 2017 3
  • タンジェリン(2015) directed by Sean Baker by TSUYOSHI KIZU January 30, 2017 4
  • 沈黙 ―サイレンス― (2016) directed by Martin Scorsese by TSUYOSHI KIZU January 30, 2017 5
  • 2016年が世界にとって大きなターニング・ポイントになったのは間違いないが、この映画を観ていて、ではその前年の2015年がどういう年だったか思わずにはいられなかった。タランティーノの『ヘイトフル・エイト』、イニャリトゥ『レヴェナント:蘇りし者』、そしてジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。それらの作品ではもはや思想や価値観がはがれ落ちた地点で、むき出しの殺戮と生存を懸けた死闘が繰り広げられている。本作『グリーンルーム』は『ブルー・リベンジ』(2015)で注目を集めた気鋭ジェレミー・ソルニエ(1976年生まれ)の長編3作めで、ここでもまた、ネオナチ連中に不幸にも命を狙われてしまったハードコア・パンク・バンドの決死の脱出劇が描かれている。彼らは「たまたま」ネオナチの巣窟のライヴハウスで演奏することになり、「たまたま」殺人現場を目撃してしまったために絶望的な状況に追い込まれることになる。そこに因果はない。けっして爽快ではないが、少しばかりの(そして、気の効いた)ユーモアと生々しい痛みがある。誰もが「たまたま」酷い状況に追い込まれ、その結果自らの生存のために血を流していた、そんな時代を象徴するソリッドなシチュエーション・スリラーだ。激烈ヴァイオレントかつ陰鬱だが、若手監督らしいスタイリッシュな軽さがどこかで残っているのがいい。

  • 「神童」グザヴィエ・ドランももう長編6作目。ドランはその作品において主人公を自らの化身としつつ、ごく身近な人間関係(多くは母親である)でのすれ違いというテーマを変奏させてきたが、本作もまさにその流れを継いだ一本だ。家族に自らの死期を告げに帰省したゲイの青年が、しかしそのことをなかなか告げられないまま家族同士のディスコミュニケーションに翻弄される様が、ドランらしい親密で感傷的な画面で映される。原作戯曲があるために初期作に比べれば対象との距離はありつつも、そこはあくまでもドラン節。前作『Mommy/マミー』(2014)ではオアシス“ワンダーウォール”のあまりにも不敵な挿入にやられずにはいられなかったが、本作ではまさかのO-Zoneの“恋のマイアミ”が唐突に流される(そしてそのシーンこそが映画のもっとも躍動的な瞬間である)。世界的に有名なキャストを揃えた本作においても、ドランはそのセンスを誇示しながら自分のテーマを深めるばかりである。人と人はお互いを愛するがゆえにこそ、いつだって分かり合うことができない。そう、これはたかが世界の終わり――そんな感傷的な想いを青年は胸に秘め続け、映画を観る人間とだけそっと共有するのである。

  • スタートするやいなや海外のゲイ・インディ男子たちと萩原さんと木津が超絶盛り上がっていたドラマがついに日本に上陸しました。サンフランシスコを舞台に世代の異なるゲイたちの日常と恋を描いた本シリーズの何が魅力的だったといえば、何よりもその「普通さ」です。ゲイであること自体がさして特別なことではなくなった時代における、それでもゲイならではの悩みや喜び、ときめきと切なさをこんなにも自然に描いたドラマはじつはそれまでなかなかなかったのです。モノガミーやオープン・リレーションシップの問題、ヘテロ・ノーマティヴ、人種間の微妙な誤解やHIV、権利運動、経済格差やビジネスとしてのセックス・ワークなど現代的なモチーフを盛り込みながらも、あくまで恋とセックスを中心に普通のゲイたち(おもにアラサーかな)の悲喜こもごもをポップに見せているのもいいし、音楽ではジョン・グラントやヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェア、それにイレイジャーを使ったりとゲイが細かいです。重要なエピソードの監督は以前紹介した『ウィークエンド』の気鋭のゲイ映像作家アンドリュー・ヘイが担当していることもあり、まさにゲイ・ポップ・カルチャーの現在をたっぷり吸いこんだ記念碑的ドラマです。

  • そして革命はいまでもストリートで起こっている。だって、ほら、陽光が照りつけるLAの「偽物」のクリスマス・イヴの雑踏を行き来するトランスジェンダーたちの実存を、全編スマートフォンで撮影した映画だなんて、それだけでワクワクしてこない? 売春をしながら辛うじて生計を立てているトランスジェンダーの彼女たちの一日は、ボロボロだけれどけっして悲惨なんかじゃない。彼女たちには恋も友情も夢もある。そうして汚い言葉を遠慮なく吐きながら、様々な人種や様々な階層の人間がごった返すLAの街を颯爽と歩き続けている。カメラは――スマートフォンはそれを追い続ける。その動きこそが映画の生命力となって脈動している。イヴの一日を描きながら群像的なスケッチがラストに集約されていく脚本もよく練られているし、何よりも街とそこで日々を逞しく生きる人びとのリアルな息づかいが聞こえてくるのが気持ちいい。真のインディペンデント映画であり、若い作家が街に飛び出して新しい表現を探している点で、これもまた現代の「新しい波」だろう。今日もまた、愛と欲望はストリートで交わされているのだから。

  • なぜマーティン・スコセッシが30年近くも本作の映画化にこだわり続けてきたか、見ればその答えはおのずと明らかになるだろう。彼が初期作――とくに70年代から描いてきたような、どうしようもない苦しみを抱えた人間が、それでも「強く」生きるにはどうすればよいのか――そのような問いが、本作では信仰というモチーフを据えながら繰り返されているからだ。物語自体は遠藤周作の原作を丁寧に踏襲していると言えるが、特筆すべきは文字通りの「沈黙」が映画のなかの重要な箇所で何度か訪れることだ。押しつぶされそうな苦しみに地面を睨んでも、あるいはそれでも救いを求めて空を仰いでも、神の声は聞こえない。だが、ふいに訪れるその静寂のなかで、ロドリゴとわたしたちは自らのなかの「声」に耳を澄ますのである……お前の信じているものは何なのか、と。この映画が2016年に公開されたことがたとえ偶然だとしても、つい「見えないもの」に感謝したくなってしまう。進歩と科学が世界を破壊し、その反動で安易な精神主義が蔓延る時代に、しかし信仰とは何かを真っ向から問う一本だからだ。キャストは日本勢が出色で、笈田ヨシやイッセー尾形が達者なのはもちろん、俳優・塚本晋也の身体的な説得力が素晴らしい。

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