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HAVE YOU IN MY WILDERNESS Julia Holter (Hostess) by AKIHIRO AOYAMA
YUYA SHIMIZU
November 02, 2015
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HAVE YOU IN MY WILDERNESS

現LAシーンきっての才女が4作目にして見せた、
ポスト・クラシカルなアートから「ポップ」への軽やかな飛翔

ジュリア・ホルターが前作までに鳴らしていた音楽をよく知っている人ほど、本作のオープニングを飾る“フィール・ユー”で見せる、憑き物が落ちたように軽やかな表情に驚かされるはずだ。ハープシコードの旋律とアンビエントな多声ハーモニーが折り重なるイントロを追って聴こえてくるのは、はっきりとしたビートを刻むドラムと、伸びやかに主旋律を歌い上げるヴォーカル。彼女がこれほどまでに正統なポップスの構成に則ったソングライティングに挑戦するなんて、そしてその成果がこれほどまでに素晴らしいものになるなんて、何と嬉しい驚きだろうか。

LAを拠点とするジュリア・ホルターは、これまでに3枚のアルバムを発表しており、中でも〈ドミノ〉への移籍後リリースされた前作『ラウド・シティ・ソング』は批評家筋での絶賛を獲得した飛躍の1枚となった。これまで彼女の音楽を特徴づけていたのは、ピアノやストリングスにエレクトロニクスの不協和音をも織り交ぜたポスト・クラシカルな素養の豊かさ、明確な主旋律を持たない和声の連なりが織り成す多重奏、全体を包む静謐なアンビエンスとリヴァーヴ等。それらにジャズのコンテンポラリーなビート感覚や時に調性に抗うようなヴォーカリゼーションの手法を加えることで、彼女のコンセプチュアルなアート性が極みに達したのが『ラウド・シティ・ソング』だった。ただ、ポップ愛好者の自分にとっては、飛躍的にアクセシビリティを増した同作でさえも、いまだに少しばかりとっつきにくい印象が拭えなかったのも事実ではあった。

『ラウド・シティ・ソング』にも、桁違いのポップさで1曲だけ異彩を放つ“ディス・イズ・ア・トゥルー・ハート”という楽曲が収録されている。「これが本当の心/激しく聞いて/これが本当の言葉/激しく話して」と歌われる同曲は、その音楽的なポップさと共に、それまで神話や戦前の小説、ミュージカルを題材にして作品を作り続けてきた彼女にとって、自分自身の心象を率直に露わにしようとした初めての楽曲だったのではないかと思う。そして、本作『ハヴ・ユー・イン・マイ・ワイルダーネス』は同曲で見出した新たな方向性を拡張し作り上げた作品と言っていいだろう。

本作には、上記の“フィール・ユー”を筆頭に、かつてないほどにポップ・ストラクチャーの伝統を踏襲した「ポップ・ソング」が多数収録されている。ビーチ・ボーイズからリッキー・リーまでを繋ぐシンプルなバラード“シー・コールズ・ミー・ホーム”、小気味いいシャッフル・ビートが印象的なカントリー風味の“エヴリディ・ブーツ”等は、以前のジュリア・ホルターからは考えられなかったほどにキャッチーな仕上がりだ。勿論、前作までのポスト・クラシカルな音楽性と地続きの“ルセット・ストランディッド・オン・ジ・アイランド”や“ヴァスケス”といった楽曲もあるものの、以前のリヴァーヴィなタッチはほとんど薄れ、晴れやかな音像が親しみやすい新たな表情を加えている。

本作全体を貫く軽やかなムードには、共同でプロデュースを務めたコール・MGNの貢献も大きかったと聞く。本作における生みの苦しみは以前とは比べ物にならないほどだったと言うが、それも彼女が他者との交流を通して新たな表現に向き合い、自らの殻を破ることに見事成功した証と言えるのではないか。どこまでもパーソナルで親密、と同時にヒューマニティとアートの無限の可能性を祝福し明るく照らす、万人に開かれた掛け値なしの傑作の誕生だ。

文:青山晃大

様々な文学/音楽作品からの引用に隠された
ひとりの女性の再生の物語

〈ドミノ〉移籍第1弾であり、シドニー=ガブリエル・コレット原作のミュージカル映画『恋の手ほどき』を下敷きにしたシアトリカルな前作『ラウド・シティ・ソング』で、その評価を揺るぎないものにしたロサンゼルスの女性シンガー・ソングライター、ジュリア・ホルター。カリフォルニア芸術大学で作曲を学んだ才女であり、アリエル・ピンクやナイト・ジュエルらが所属したインディ・レーベルでインターンとして働き、伝説のサイケデリック・フォーク・シンガー、リンダ・パーハックスの復帰作でサポートを務めたという彼女のキャリアを知る人からすれば、最新作となる『ハヴ・ユー・イン・マイ・ウィルダネス』は、驚くほどシンプルで、親しみやすいアルバムになっている。

彼女自身も、今回はこれまで以上にパーソナルで脈略のない楽曲が並んでいると語っており、そういう意味では前作よりも、本作と同じようにジュリアのポートレイトをあしらった2012年の出世作『エクスタシス』に近い作品と言えるのかもしれない。実際、本作に収められている“シー・コールズ・ミー・ホーム”や“ベッツィー・オン・ザ・ルーフ”といった曲は5年近く前からライヴで披露されていたレパートリーであり、前作で見られたコンセプチュアルな作風からは距離を置いたようにも思えるが、そこにはやはり、一貫した意識の流れのようなものも感じられるのだ。

その根底にあるのは、具体的に言うと彼女が経験した別れなのだが、その相手というのが、何を隠そうリアル・エステイトのギタリストで、ダックテイルズ名義でも活動するマット・モンダニルだったというのだから驚きだ。レーベル・メイトで同じ年齢ということもあり、共通点が多かったというマットとジュリア。失恋を綴ったダックテイルズの新作『セイント・キャサリン』にもジュリアが作詞とコーラスで参加しており、いわばこの2作は、鏡のように対になっていると言っていいだろう。

けれども、同じ事柄を歌っていながら、この2作の視点は実に対照的だ。ジュリアが参加した『セイント・キャサリン』収録の“ヘヴンズ・ルーム”では、二人の関係がまだ良好だった頃、まさに天にも昇る想いだったマットの感情が歌われており、アルバムはこの“ヘヴンズ・ルーム”のリプライズで幕を閉じる。この辺りからもマットの方がジュリアに未練たっぷりなのは明らかだが、ジュリアのアルバムにはマットが全く参加していないどころか、むしろ振り払うべき存在として描かれているような気がしてならないのだ。

前作同様、コレットの短編『ホテルの部屋』の登場人物をモチーフにした“リュセット・ストランデッド・オン・ジ・アイランド”は、スコット・ウォーカーの作品を思わせるようなドラマティックなストリングス・アレンジが聴ける本作のハイライトだが、そこで描かれているのは、恋人の首を鉈鎌で斬り付け、孤島に置き去りにする男の姿だ。バラードが並ぶ中で異彩を放つロカビリー風の“エヴリタイム・ブーツ”が、「このブーツでアンタを踏んづけてやるわよ」と歌われるナンシー・シナトラの代表曲“ディーズ・ブーツ・アー・メイド・フォー・ウォーキン(邦題:にくい貴方)”を連想させるというのも、余計にそんな印象を強くさせる。

夢から醒めない男と、夢から醒めた女。いつの時代も取り残されるのは男の方なのかもしれないが、“シー・コールズ・ミー・ホーム”でひとり海を泳いでいく勇敢な女性の姿は、まさに今のジュリア・ホルターそのものだ。

文:清水祐也

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