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JUNGLE Jungle (Hostess) by AKIHIRO AOYAMA
MASAAKI KOBAYASHI
July 30, 2014
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JUNGLE

素性が判明してもなおミステリアスな匿名性を醸し続ける、
「ソウルフル」の形容が似合わない不思議なソウル/ファンク

検索窓に文字を入力してエンター・キーを押すだけでありとあらゆる情報が入手できる現代において、素性を隠すことによるミステリアスな演出は過去にも増して人を惹きつけるために有効な手段となっているように思う。音楽とそれに付随する限られたアートワークやヴィデオ、情報が少なければ少ないほど、人は音楽そのものから込められた感情や意図を読み取ろうとし、想像を膨らませる。それは単なるマーケティング上のギミックとも紙一重ではあるが、現代において音楽だけにリスナーの興味・関心をフォーカスさせる在り方としては有用だろう。

昨年末、“プラトーン”と“ザ・ヒート”のたった2曲によって強烈なバズを生んだジャングルもまた、素性不明ゆえのミステリアスさで聴き手を惹きつけてきた新鋭だ。当初公開されていたのは、彼らがロンドンを拠点とする2人組で、イニシャルが「J」と「T」であるという事のみ。緑のジャージのセットアップを着た2人の黒人男性がアーティスト写真として使われ、“ザ・ヒート”のヴィデオでも彼らが息の合ったダンスを披露していたため、当時は彼らこそがジャングルだと思い込んでいる人も少なくなかった(その後、この2人はハイ・ローラズという名前のスケート・ダンス・ユニットだと判明する)。

当初は、僕も彼らが黒人2人によるユニットだと漠然と思い込んでいた。インタビューでの発言によれば、そのミスリードは決して意図したものではなかったようだから、彼らの鳴らす音楽がソウル/ファンクといったブラック・ミュージックに根差したモノだった事実にも起因する聴き手側の勝手な思い込みだったのだろう。本国イギリスだけでなくヨーロッパやアメリカでのツアーも成功させた今、多くの人間がジャングルというユニットが白人男性2人組だということを認識している。ただ、彼らによるデビュー・アルバム『ジャングル』は、素性が知れた後に聴いてもどこか匿名的で、エモーショナルな表現とは距離を置いた抑制を感じさせる不思議な感触を伴ったソウル/ファンク・アルバムだ。

グルーヴィなディスコやファンクのビート、ファルセットと多重録音を効かせたヴォーカルといったこれまでの路線を踏襲しつつも、既発曲以外はシングル群よりもはるかにダークで音数を絞った楽曲が並んでいる。歌モノのソウル・ミュージックを語る際に、最もよく目にする言葉に「ソウルフル」という形容詞があるが、彼らジャングルの楽曲は確かにブラック・ミュージックの正統性を受け継いでいるにも関わらず、どこか「ソウルフル」という言葉が似つかわしくない。彼らの音楽はファンキーでメロディアスではあるが、決してソウルフルではないのだ。それはおそらくソングライティングやヴォーカリゼーションの明確な主導権がないデュオならではのバランスや、自身で「オレ達は何よりもまずプロデューサーなんだ」と語っているようなプロデューサー気質の強さ等から来ているのだろう。

個人的には、ポップ・ソングとしての1曲1曲の強さではなく、全体的な統一感を重視した作風となっている点に少々の不満が残る。しかし、それでも本作は、ディスクロージャー以降の新しい感性を持ったプロデューサー・チームがソウル/ファンク回帰の時流に適応したサウンドを作り上げた、今の旬を切り取る好サンプルの1つには違いない。

文:青山晃大

定型からのズレを留意することで、
独自のサウンドに引き寄せたファンク/ソウル

誰が言い出したのか、インディR&B、という、最近流行り?の日本固有の表現がある。これについては、だいたいこの1、2年の間に登場してきたアーティストで、演っている音楽が、インディ・ロックを中心に聴いている人達の感覚においてのみ、R&Bっぽいもの、をさして言っているのだな、と思うことにしている。

その言い方に倣えば、このジャングルの演っているのは、インディ・ファンクやインディ・ソウルと呼ぶべきものなのだろうか。別にベースがブンブン唸ってるわけでもないし(むしろ、最もキャッチーな“タイム”でも、ベースが弾けすぎないように抑えてる気配すらある)、小気味よいスラップベースやドラミングも聞こえてきたりはしない。それどころか、“ドロップス”では、疑似ホーンとも言うべき代用音が、本来ホーン・セクションが入る場所に入っている(それでいて、単純にチープなイメージには直結できない)。ジャングルの音作りの基盤は、シンセやサンプラーを中心に、実際に楽器をプレイして出した音も加えられている。

そんな中、歌声にファルセットを採用していることと、その歌い回しは“ファンク”や“ソウル”で聴かれるそれに近いだろうか。が、その声の輪郭を敢えて際立たせないような、つまり、声を、より(漠とした)音に近く聞かせるような、と言っていいだろうか(実際、ファルセットと、時おり絡むバリトンも、全く同じ旋律を歌っている)そんな効果が加えられている。また、歌われている言葉の連なりも、あまりにシンプルすぎて、思わず深読みせざるをえなくなるほどだ(生活臭のあるものやオーティス・レディングの有名曲から引っ張ってきたようなのもある)。

さきに代用音という言い方をしてしまったが、彼らの曲では、定型通りに楽器や音色を振り分けないことにも留意してところがある。例えば、N.E.R.Dのデビュー・アルバム及び同じ時期に彼らのうち二人(ファレル&チャド)がネプチューンズ名義で手掛けていた楽曲も、同じような発想/趣向で作られていた。本作も、(当時の)彼らのサウンドのように、どこから聴いても、金太郎飴みたいに同じ音色が聞こえてくる!と言い出す人がでてきそうだが、ジャングルは、今後も、ここで畳みかけるようにアピールしているサウンドを基盤にして(例えば、ファレルのように)創作活動を続けていくのだろうか?本作のリリースに至るまでの一連のMVにおいて、自分達よりも、楽曲ごとに、次々と異なるタイプのダンサー/ダンスを大々的にフィーチャーしてきたのは、ファンク(=肉体臭)を、よりわかりやすく、独自のサウンドに引き寄せる目的があったのか否か。

文:小林雅明

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