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WALLS Kings of Leon (Sony) by TAIYO SAWADA
YUYA WATANABE
November 25, 2016
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WALLS

懐古主義的なファンの声を力強く振り払い、
確固たる決意と確信でつかみ取った「新たなサウンド」

「アリーナ・バンドになることによって、ファンからの強い反感を買い続ける」。こうした図式は、ロックの世界では古今東西繰り返されているものだが、今現在、全世界を見回しても、キングス・オブ・レオンほど、これに陥っているバンドもいないだろう。もう、かれこれ8年、2008年にアルバム『オンリー・バイ・ザ・ナイト』、シングル“ユーズ・サムバディ”が特大ヒットして一躍世界的人気バンドとなって以降、彼らには批評家やファンからの不満と嘆息を叩きつけられている。

実は僕とて例外ではなかった。2003年から07年にかけての、いわば「土臭い田舎のポストパンク・バンド」だった頃は、クリーデンス・クリアーウォーター・リヴァイヴァルみたいなアメリカンでスワンピーなロックンロールが、ジョイ・ディヴィジョンやピクシーズなどのフィルターにかかったような予測不能な意外性に満ち、その摩訶不思議さがスリリングなものだったが、08年以降は「バラッディアーとしてのU2」の路線を、コールドプレイに追随するかのように追ったようにも解釈された。もっともケイレブ・フォロウィルのハスキーでソウルフルな歌いっぷりにはハマる路線でもありはしたのだが、しかし「それがKOLをここまで大きくして来たわけではなかったのだが……」と戸惑う自分がいた。

だが、2014年10月にサンパウロで彼らのライヴを見た時に、その考えが少し変わった。当地でも彼らはフェスのヘッドライナー・クラスの重要なバンドのひとつなのだが、そこで見た彼らは、2010、2012年と、アリーナ・バンドになって日が浅かったときと比べて随分たくましく見えた。路線としては、ポリッシュされたミディアム〜スローの楽曲が多くはなっていたものの、演奏そのものにこれまで以上にどっしりとしたスケール感が芽生え、とりわけマシュー・フォロウィルの、高音フレーズにフランジャーをかました幽玄なギター・プレイは、ケイレブのしゃがれた喉と同様にバンドを牽引する原動力となっていた。彼ら自身が今後どういう方向に行きたいのか、僕はそれが見えたような気がした。

そして、その予感は今作『ウォールズ』を聴いた時に「的中した」と思った。今作には、初期の作品のような驚きはない。だが、同時に「停滞」も「迷い」も感じなかった。そこに感じられたのは、彼ら自身による「こういう音を鳴らしていきたいんだ」という強い意思の込められた、1曲1曲それぞれに表情の違う10曲が並んだということだ。

案の定、海外大手メディアの批評や古くからのファンからは今回も辛口な意見が飛び交っている。わからないではない。今回でも初期のような変則的なポストパンクを演じる姿は戻っていないし、さらに言えば、今作は、これまでの中でも、持ち味のアーシーっぽさもだいぶ後退し、その分キラキラで艶艶なサウンドが前面に出ている。難色を示される要因があるとしたら、この2点だろう。

ただ、僕にはこの方向性に彼らの「決意」のようなものを見た。忘れて欲しくないのは、今作がはじめて、彼らのデビュー当時からのプロデューサーが絡まなかった作品であるということだ。デビューしたての頃、まだ平均年齢が20歳にいくかどうかだった彼らには世話役的なプロデューサーが2人いた。一人はイーサン・ジョンズで、もうひとりがアンジェロ・パトラグリアだ。イーサンは3枚目まででその役目を終えたが、それ以降、変則ポストパンク色が消えたことを考えると、その方向性のカギがどこにあったのかは想像出来る。それ以降の成熟路線はアンジェロと築いていたわけだが、興味深いのは今回、それも解消したことだ。ケイレブは今作のインタヴューで「これまでどこか、自分たちのコンフォート・ゾーンに陥っていた気がした」と話している。つまり、プレイしやすい、クセになっているパターンで曲を書いていた、ということだが、脱皮の願望が既に芽生えていたということだろう。

そこで今回、プロデュースに、アーケイド・ファイアやコールドプレイで知られるマーカス・ドラヴスを迎えたわけだが、僕には合点の行く内容に聴こえた。ドラヴスが活かしたのは、前述したマシューのクリア・トーンのギターで、そこを基調にした新しいサウンド像だ。しかも、ただ洗練されただけではない。ソフィスティケイトと言っても、ミディアム~スローの曲は実は10曲中3曲とそこまで多いわけではなく、メインとなるのはむしろロックンロールだ。ただ、それは懐古的という意味ではない。前作『メカニカル・ブル』では、2008年以降の批判を気にしたか、初期っぽいガレージ・ナンバーもありはしたが、「路線が変わって来ている中、ちょっと無理しているな」とどこか窮屈な聴こえ方もしていた。だが、同じ曲調のロックンロールでも、今の彼らの質感にあったサウンドにしてあるので、地に足の着いた進化に聴こえる。先行シングルの“ウェイスト・ア・モーメント”がいい例だ。また“アラウンド・ザ・ワールド”のような、マシューのカッティング・ギターを活かした、これまでにないリズム・パターンも見られる。この曲に代表される軽快さと“ファインド・ミー”のようなハードさと、硬軟のバランスもいい。また、スロー系では、レディオヘッドの“ノー・サプライゼズ”を思わせるケイレブのファルセットを活かした“コンヴァセーション・ピース”や、これまで以上に壮大なバラードの“ウォールズ”など、“ユーズ・サムバディ”のU2路線とはまた違う表現も出来るようになっている。その発展した方向性に関しての好みはあるとは思うが、ドラスティックでこそないものの、曲調に幅が出て来たのは見て取れるし、彼ら自身が自分たちの意思でもって、名匠ドラヴスの知己を得て、方向性の定まった成長をしたことも確かだ。それはただ単に「丸くなった」と一面的な理解で済ますものではない。

成熟が必ずしも後退を意味しない。それは本作をじっくり丁寧に聴くことで感じられるはずだ。どうやら彼らとドラヴスとの相性は良さそうなので、よりケミストリーが進むであろう次作以降の方が、僕の主張していることがハッキリと現れた作品になるのでは、という気もしている。

文:沢田太陽

00年代インディ・ロックの覇者に、いまだ死角なし
キングス・オブ・レオン、3年ぶりの王座奪還作

ロック・バンドは不遇の時代だって? へえ、そうなんだ。ま、俺らにはまったく関係ないけどな! とでも言わんばかりのチャート・アクションである。00年代インディ・ロックの覇者ことキングス・オブ・レオンの3年ぶりとなるニュー・アルバム『ウォールズ』は、またしても欧米諸国の総合チャートを席巻。意外にも全米での一位獲得はこれが初だったようだが、いずれにせよ、この安定した人気ぶりには驚かされるばかりだ。

それにしても、オーセンティックなロックがほとんど聞こえてこなくなった現在のアメリカにおいて、なぜ彼らだけは例外的にここまで支持されるのだろう――なんてことをいうと、それは些か大げさだと思う方もいるかもしれない。たしかに最近はヒップホップやR&Bのソロ・アクトばかりが目立つけど、いまだに売れまくっているロック・バンドなら、他にも大勢いるじゃないかと。

じゃあ、ここは試しにマルーン5の最新シングル“ドント・ワナ・ノウ”でも聴いてみてほしい。ベニー・ブランコを中心としたプロダクション・チームのもと、流行のトロピカル・ハウスを取り入れたあの曲は、それこそ現在のメインストリームにおける「バンド」の在り方を如実に物語っているのだから。要するに、今のようなポップ全盛の時代に対応していくのであれば、なにはともあれ、プロデューサーありき。固定メンバー間のケミストリーを優先していくような旧来のやり方では、あまりにも効率が悪すぎる――90年代以前から活動をつづけている大御所は別としても、現在の北米チャート上で勝ち残りをかけているようなバンドはいま、一様にしてそうした現状と向き合っているのだ。

もちろん、それはキングスとて同じこと。前述したマルーン5に限らず、トレンドを意識するあまりに本来のバンドらしさを放棄してしまった例も少なくない中で、キングスだけがのんびりとしていられる理由はひとつもないのだ。それを自覚してのことか、今作ではデビュー以来ほとんどの作品をバンドと共に手掛けてきたアンジェロ・ペトラグリアをプロデュース役から外し、代わりにマーカス・ドラヴスを起用。この判断からして、バンドがなにかしらの変化を求めていたことは明らかだ。

ちなみにこのマーカスは、コールドプレイの音楽的な転換期となった2作『美しき生命』『マイロ・ザイロト』を、ブライアン・イーノとともに手掛けた人物。となれば、どう転ぶにしても、彼がキングスに与える影響は小さくないだろう。というか、オーヴァー・プロデュースされてバンドが足元を見失う可能性も十分にあったはず。しかし、結果としてはむしろその逆。マーカスの指揮は、このバンド本来の魅力を着実にアップデートさせている。

具体的にいこう。今作はこれまでと同様に、ギター、ベース、ドラムでほぼすべてのサウンドを構築した、極めてオーソドックスなアリーナ・ロック・アルバムだ。だが、それでいてこの作品からは、過去のキングスが持ち合わせていなかったはずのリズム感覚もいくつか伺える。なかでも印象的なのが、リード・トラック“アラウンド・ザ・ワールド”のイントロで確認できるステッパーズ風の四つ打ちや、“ムチャチョ”における軽快なルンバのリズム。ここでキングスの4人がD.R.A.M. あたりを意識していたのかどうかはともかく、近年はラテン音楽の新たな解釈が注目されているだけに、これはなかなか的確なアプローチだと思う。

そして、リリック。こちらはサウンド面のカラッとした印象とは対照的な、非常に重苦しい内容が大半を占めている。特に、パパラッチに追い詰められた末に首を吊ってしまうロック・スターをモチーフとした“オーヴァー”は、現在のケイレブ・フォロウィルが抱える苦悩をそのまま反映させた、なかなかショッキングな1曲。とはいえ、いま思えばケイレブの歌詞はいつだって赤裸々だった。すなわちそれは、成功への野心、セックス&ドラッグ、あるいはそうしたワイルドな生活からの逃避。つまり、“オーヴァー”はそうしたロックンロール・ライフの行き着く先を、当事者であるケイレブの視点から描いた曲なのだ。

大きな成功を手にしたロック・バンドが、そこで感じた苦悩をひたすらエモーショナルに歌い上げる――正直、いくらなんでもベタすぎやしないか、という気もしなくはない。でも、こういう古典的なロック・バンド像を背負える存在がいま、キングスの他にいるのかといえば、やはりその答えはノーだ。ロック不遇の時代に、あえてその王道を歩んでみせたグラマラスな4人組、キングス・オブ・レオン。そのロック・バンド然とした在り方がいまだ有効であることを、『ウォールズ』という作品は見事に証明している。

文:渡辺裕也

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