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PROM KING Skylar Spence (Hostess) by AKIHIRO AOYAMA
RYOTA TANAKA
September 25, 2015
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PROM KING

「ヴェイパーウェイヴ」から、純度100%のポップスへ
インターネット発ポップ・ミュージックの極めて現代的な足取り

「僕は働いていて、頑張っていた/音楽を少しスローにして/自分をアーティストと呼んだ」「あの日、ドリアンのような栄光を感じた/罪を犯し続けたけど聖人(=Saint)のような気持ちになっていた」

スカイラー・スペンスこと本名ライアン・デロバティスは、“イントロ”に続くオープニング・トラック“キャント・ユー・シー”で、そんな言葉を歌う。彼は元々、セイント・ペプシという名前で活動し、盗用音楽との誹りも多々受けたサンプリング・ミュージックの極北的サブ・ジャンル「ヴェイパーウェイヴ」の一角を担う存在だった。彼のプロダクション・ワークのうち、もっとも有名なものの1つに、カーリー・レイ・ジェプセンの大ヒット曲“コール・ミー・メイビー”のピッチを極端にスロー・ダウンしたエディットがある。そのような昔を踏まえれば、上記のラインはヴェイパーウェイヴの名の下に膨大なサンプリングの渦を自身の作品とし、アーティスト面をしていた自身の過去への後悔や懺悔を歌っているようにも思える。過去のインタヴューを見る限り、彼はヴェイパーウェイヴとの関連付けを極端に嫌っているわけではないようだが、本作において彼がある種の過去との決別を意図し、「本物」のアーティストへの転身を試みたのは間違いない。

今振り返って彼のセイント・ペプシ名義での前作『ヒット・ヴァイブス』を聴くと、そこかしこに皮肉や悪意が差し込まれたその他大半のヴェイパーウェイヴ勢とは随分風合いの異なる作風に気付かされる。それは言うなれば、無邪気なノスタルジーや楽天的なヴァイヴといったものだが、本作でそれは更に顕著なものとして全体を輝かせている。特に目を見張るのは、半数以上の楽曲でライアン自身がマイクを取るヴォーカル曲のストレートなポップさだ。彼が音楽の原体験として語っているデュラン・デュランやニュー・オーダー、ABCといった80年代ニューウェイヴ譲りのロマンティシズムが全編を貫き、夏の陽光を思わせるノスタルジックでアップリフティングなムードを形作っている。

勿論、決してスクール・カーストの上位にいた目立つタイプではなさそうなのに『プロム・キング』というタイトルを冠している辺りに、本作に込められた彼なりの皮肉を見出すことは可能だ。ただ、それが決してインターネットの下層に吹き溜まる膿のようなルサンチマンやナルシシズムに絡め取られることなく、外向きに開かれたポップ・ミュージックの煌めきへと純化されているのが本作の肝だろう。スカイラー・スペンスが現在立っているのは、最新作『POSITIVE』にゲスト参加するなどして交流を深める日本のtofubeatsとも共振する地平である。いかにも現代的なスマートさと軽やかな足取りで、彼は仮想空間的なインターネットの深奥から、華々しいポップスの表舞台へと新たな一歩を踏み出したのだ。

文:青山晃大

眩い青春の思い出か学園残酷物語か。スカイラー・スペンスもまた
プロムに魅了される。10年代のジョン・ヒューズの1人として

プロム、それはアメリカの高校の年度末、男子生徒が女子生徒へと同伴のオファーをし、受け入れられてパートナーとなったカップルだけが参加しえるビッグ・パーティ。男子は女子をこの日のためにレンタルしたリムジン(!)で迎えに行き会場へ。いずれも格好はタキシードにドレスとキメキメの正装だ。催しものとしては、ダンス・パーティやコンサートがあるが、参加者の最大の注目は会場内でもっとも輝かしい存在、プロム・キング&プロム・クイーンの選定。つまり、学内における覇者がその晩に決まってしまうのである。そう、プロムはアメリカのハイスクールにおける最大のイヴェントだ。そこに同居する、甘酸っぱいときめきとヒエラルキーを可視化させる残酷さの瞬きが、いつの時代も少年少女を魅惑してきた。

デビュー・フル・アルバム(と果たして言っていいのか)にあたる今作に『プロム・キング』と名付けたスカイラー・スペンスことライアン・デロバティスも、おそらくプロムへのオブセッションを持っている。柔らかなディスコ・ビート。心地よいまどろみの世界へと誘うフィルター。きらびやかなギター・カッティング。絢爛なオーケストレーションを模したシンセ・フレーズ。スカイラー・スペンスのダンス・ポップは、我々が理想化したプロムの舞台へと実によくマッチしている。また、このアルバムで最終曲に収録された昨年のシングル“フィオナ・コイン”とは、大学を舞台にしたカナダの青春ドラマ『Degrassi: The Next Generation』の登場キャラクター。彼女をタイトルに「愛しい人は銀幕のなか/僕が見たなかでもっとも輝く星」と歌う彼は、やはり相当に夢見がちなロマンチシストとして己をキャラクターづけている。

だが、ライアン・デロバティスを単なる青春ノイローゼとするのは早計だろう。前名義のセイント・ペプシ時代から昨年の改名を経て今作にいたるまで、彼は自身のサウンドを絶えず発展させ続けてきた。ヴェイパーウェイヴの一派と見られた2012年の『レイザー・タグ・ゼロ』。サンプリングによる華やかなダンス・ミュージックを確立させた2013年の『ヒット・ヴァイブス』。そして、遂には自ら歌い始め、楽曲をポップ・ソングとして端正なフォルムへと磨き上げた“フィオナ・コイン”から今作と、しかるべき変化を経て、現在のスカイラー・スペンスを確立したのだ。それが如何に不断の努力であったかは、彼のディスコグラフィのあまりの多作さをバンドキャンプ等で確認いただければ一目瞭然だろう。アウトプットへのスピード感をともなう、そのひたむきな勤勉さこそが、〈マルチネ〉や〈トレッキー・トラックス〉といった国内のトラックメイカーと彼をシンクロさせている態度のように思う。

映画『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』で、アメリカの高校生活におけるプロムの重大さを浮き彫りにしたジョン・ヒューズは、同時期に制作した幾つかの学園映画を通じ、高度に階層化された米国のスクール・カーストを世界へと知らしめた。そこには、アメリカの若者たちが学校内で抱える孤独や軋轢がリアルに描かれていた。このあたりに興味がある方は、長谷川町蔵と山崎まどかによる2つの共著『ハイスクールU.S.A.』と『ヤング・アダルトU.S.A.』が最良の参考書となるだろう。だが一方で、ヒューズが主人公たちを学外へと連れ出した傑作の存在も忘れてはならない。「この晴れた日を最高の1日にする」。そう決心した主人公は、高校をさぼり、ガールフレンドと友人を連れ、シカゴの街へと繰り出していく。その作品はこう教えてくれる。校門の外に広がる世界は、こんなにも楽しさで満ちているのだ、と。ライアン・デロバティスの作り手としての真摯さは、彼もまた、全ての生徒が必ずや出て行かねばならぬという学園生活の刹那な眩さとともに、その先にある世界のおもしろさと、そこで生き抜くという興奮を知っているからではないか。筆者にとって、このアルバムは『フェリスはある朝突然に』と同じ魅力を放っている。

文:田中亮太

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