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SUN STRUCTURES Temples (Hostess) by AKIHIRO AOYAMA
YOSHIHARU KOBAYASHI
February 14, 2014
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SUN STRUCTURES

生粋のサマー・オブ・ラヴ信奉者たちが鳴らす、
生真面目なサニー・サイドのサイケデリア

現在、多くの若手バンドが頭角を現し活況前夜の様相を見せ始めている英ロック・シーンの中でも、「ノエル・ギャラガーやジョニー・マーが絶賛」という触れ込みと共に登場したテンプルズは2014年最も大きな期待を寄せられているバンドのひとつである。英国ミッドランズに位置するノーザンプトン州のケタリングという街で、ジェイムズ・バグショウ(Vo/Ba)とトム・ウォーズリー(Gu)による宅録プロジェクトとして2012年半ばに産声を上げた彼らは、2012年末にリリースしたデビュー・シングル“シェルター・ソング”1曲のみで爆発的な反響を獲得。そのバズに乗って多くのライヴ依頼が舞い込むようになり、急遽サム・トムズ(Dr)とアダム・スミス(Key)をメンバーに招き入れることで現在の4ピース体制になったという。このバンド・ヒストリーからは、過去で言えばTレックス、現在のバンドではテーム・インパラといったバンドが思い起こされるが、音楽的にもテンプルズはそれらのバンドとそう遠くない志向を持っている。

『霧の5次元』のバーズのような12弦ギターのリフが鳴り響く“シェルター・ソング”を筆頭に、フォーキーなタッチからグラム・ロック風のブギー、アメリカ西海岸のハーモニー等々、本作を構成する要素はどこを切り取っても67年のサマー・オブ・ラヴ前後のサイケデリアを参照したもの。資料によれば、彼らは音楽的な側面に留まらず、ティモシー・リアリーの著作やケネス・アンガーの映画を愛好するなど、サイケデリアにまつわるあらゆる文化――神秘主義や東洋信仰、LSDによる幻覚体験etc――にも関心を寄せているというから、精神的な面でも生粋のサマー・オブ・ラヴ信奉者なのは間違いない。ホラーズやトーイに代表される、クラウト・ロックやポストパンク/ニュー・ウェイヴ、シューゲイザーを影響源とする「サイケデリア」が多数を占めていた昨今の英国の中では、テンプルズの純・60年代主義的な姿勢は特異とも言え、ゴシックな仄暗さを感じさせないサニー・サイドの「サイケデリア」には懐かしさと共に新鮮味も感じられる。

おそらく、彼らはとても生真面目で勤勉なバンドなのだろう。昨年11月〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉で行われた初来日のステージでも、ライヴ活動を始めてまだ1年足らずとは思えないほどの安定したパフォーマンスを披露していて驚かされたものだが、現時点でも新人離れしたプレイヤビリティと確固たるヴィジョンを持ったバンドなのは間違いない。ただ、ひとつ難点を挙げるとすれば、その生真面目で求道的な姿勢が、彼らが目指すサイケデリアの先進性を曇らせ、本作をウェル・メイドな枠組に留まらせてしまっているようにも思う。実際、彼らの音楽からは、60年代サイケデリック・カルチャーへの強烈な憧憬は伝わってくるものの、そこにはかつてのサイケ・バンドにおけるLSD体験のような「逸脱」の感覚はほとんど感じられない。今後、何らかのきっかけで定型から逸脱する瞬間が訪れれば、テンプルズにも本当の意味で知覚の扉が開き、サイケデリアの更なる深淵へと歩を進められるのではないだろうか。

文:青山晃大

素朴な進歩主義でもなければ、レトロ・モダンとも言い難く、
しかし、懐古的との批判は的外れな、極めて2014年的なバンド

たとえばカニエ・ウェスト『イーザス』の制作陣に抜擢されたアルカがプロデュースを手掛けている、FKAトゥウィグスの素晴らしい『EP2』を聴いていると、今もビートメイカー達はまだ見ぬ新しいサウンドの創出に情熱を燃やしているのが感じ取れるだろう。あるいは、ジュークやトラップやジャージー・クラブなど、ここ数年の間にも様々な新しいサブジャンルが浮上している状況を見るにつけ、クラブ・ミュージックの世界において「新しさ」は今も十分な価値を持っているように見受けられる。この手の音楽が現代のフリー・カルチャーを巧みに乗りこなしていると同時に、意外と素朴に進歩主義的な立場を取っているようにも感じられるのは、自分が決して無料音源のチェックに日夜明け暮れているわけではない部外者だからか。その点はわからないだが、ところで、翻って、昨今のギター・バンドが取っている立場はどうなのか?

今どきマーク・ボランのようなカーリーヘアで、両袖にフリンジが付いたタイトなブラックのカットソーを身にまとったフロントマン、ジェイムズの姿が強烈なインパクトを残したテンプルズのオフィシャル写真は、彼らが単なる懐古主義者であると印象付けるのに十分だった。しかし、11月の〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉で彼らを目にしたときの印象はかなり異なる。わかりやすく今風の出で立ちではないものの、なかなかにスタイリッシュ。彼ら4人はケタリングという小さな町の出身だが、まるでロンドンのエッジーなインディ・クラブで我が物顔をしていてもおかしくないような雰囲気だったのだ。

そして思い起こしてみれば、彼らが契約した〈ヘヴンリー〉には、トーイやチャーリー・ボイヤー・アンド・ザ・ヴォイヤーズも所属している。チャーリー・ボイヤーが〈BBC〉レディオのDJにわざわざ紹介したというテレグラムとも、テンプルズはツアーを周っていた。要するに、テンプルズはホラーズ周辺の人脈図に書き記されるべきバンドの一組でもあるのだ。そう、あの小憎らしいほどスタイリッシュでスノッブな集団の一員として。

テンプルズのデビュー・アルバム『サン・ストラクチャーズ』は、とにかく、圧倒的なセンスの塊のような作品である。『ガーディアン』や『クラッシュ』は「ネオ・サイケデリアの隆盛」といった具合で煽り立てているが、ひとまずそれは横に置いておこう。4人の音楽ライブラリーに所蔵された膨大な60~70年代サイケデリック・ミュージックの中から最良の部分だけを選び取り、見事な手つきで混ぜ合わせた楽曲の数々は、彼らが根っからの音楽オタク&リスナー的感性を持ち合わせていることと、その審美眼の確かさを証明している。60年代LAのサイケデリック・ムーヴメントから生まれた一連のバンドはもちろん、クラウト・ロック、イタリアン・プログレ、近年のモダン・サイケ――さらには私の及び知らないところまで徹底的に掘り尽くしているに違いない。そういったバンドの性格はホラーズに近い。ただ、ホラーズは素朴な進歩主義を標榜していて、そのおかげで3rdではやや停滞気味にもなってしまった。ところが、テンプルズは違う。

ストロークスは、「進歩主義者からは批判されるレトロ・モダンなバンドの時代」の発端とされているような5人組だ。しかし、少なくとも2000年代初頭にあの音が鳴らされる必然性は、強く、あった。だがそれから十数年、昨今のギター・バンドの在り方は変わってきているように思える。テンプルズの素晴らしい1stは、その絶好のサンプルではないか。

例えばオアシスは、ベタにロックンロールをやっているつもりでも結局は記号性をもてあそぶことからどうしても逃れられないという、ポストモダンの典型的な症状に悩まされていた。そして、その中心人物であったノエル・ギャラガーがテンプルズをやけに絶賛しているのは、果たして偶然なのか必然なのか。ほぼ間違いなく偶然だろうが、そこには奇妙な符号を感じずにはいられない。

文:小林祥晴

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