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TURN BLUE The Black Keys (Warner) by MARIKO SAKAMOTO
AKIHIRO AOYAMA
June 13, 2014
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TURN BLUE

10年超の活動を経て頂点に上り詰めたロック・デュオの、
ブルーにこんがらがったミッドライフの憂鬱とその超克

ミレニアム直後、ストロークスやホワイト・ストライプスの台頭によって引き起こされた2000年代初頭のロックンロール・リヴァイヴァル。その潮流に乗って世界に発見された数多のロック・バンドがその後の栄枯盛衰に飲み込まれ姿を消す中で、彼らブラック・キーズが残酷な時の流れをサヴァイヴして、ついにはシーンの頂点まで上り詰めるなんて、10年前に一体誰が想像できただろうか。アルバム通算8枚目となるこの最新作『ターン・ブルー』は自身初の全米1位を獲得。2011年から3年連続でグラミー賞にノミネートされ7つの最優秀賞に輝き、コーチェラやロラパルーザといった大型フェスのヘッドライナー・クラスとしてすっかり定着した彼らは、2002年のデビューから実に12年の時を経て、今や北米で最もポピュラーなロック・アクトの1つとして君臨しているのだ。

初期には自宅の地下室をスタジオとして使用し、ローファイな録音環境下でプリミティヴなガレージ/ブルース・ロックを鳴らしていたブラック・キーズにとって、キャリアの転機となったのは2008年の5作目『アタック&リリース』だった。同作で彼らは今も蜜月の関係にあるプロデューサーのデンジャー・マウスと出会い、プロフェッショナルなスタジオを使用したレコーディングに初めて着手。デンジャー・マウスの手を借りることで空間の奥行きを活かしたプロダクションを身につけた同作で彼らは全米14位へと大きくステップアップ。続く『ブラザーズ』でグラミー賞3部門を獲得し、自らに吹き始めた追い風に乗って駆け出すかのような豪放かつキャッチーなガレージ・ロックを鳴らした前作『エル・カミーノ』の成功によって、ついに彼らはアメリカン・ロックの頂へと手を掛けたのである。

作を追う毎に着実なキャリアを重ねてきた彼らの最新作『ターン・ブルー』は、そのタイトルやディアハンターの『クリプトグラムズ』によく似たアートワークにも示されている通り、色んな意味で「ブルーにこんがらがった」アルバムだ。血が滾るように荒々しいギター・リフで幕を開けた『エル・カミーノ』から一転して、本作のオープニングを飾るのは物悲しいアコースティック・ギターで始まり2分超に渡ってむせび泣くようなギター・ソロが続く“ウェイト・オブ・ラヴ”。豪快なリフ一発でぶっ飛ばすような楽曲はほぼ皆無で、全体的にムーディかつサイケデリックで、ゆっくりと燃え盛るような楽曲が並んでいる。本作にメランコリックな影を落としている一番の要因は、本作のレコーディング真っ最中に決まったダン・オーバックの離婚であり、女性への恨み節や終わりを迎えつつある関係についての嘆きが歌詞の端々に登場する。つまりこのレコードは、ダン・オーバックにとっての『血の轍』とも形容すべき1枚と言えるだろう。

ラストを飾る“ガッタ・ゲット・アウェイ”は、ローリング・ストーンズを思わせるギター・リフとオルガンが絡み合い疾走する、作中唯一仄暗いムードを感じさせないナンバー。リリックの面では元妻との縺れた関係が色濃く反映されているものの、そこから逃れるためにアメリカを西から東まで旅するというロード・トリップのモチーフを取り入れることで、どこか能天気なフィーリングを湛えた開放的な締め括りとなっている。ダン・オーバック自身がセラピーのようだったと語る本作が、明るくポジティヴなこの曲で終わる意味は大きい。本作は、10年以上かけて成功を掴み取ったバンドに訪れたミッドライフの憂鬱とその超克を記録した、ブラック・キーズ史上最もパーソナルなドキュメントなのだ。

文:青山晃大

人気シリーズ「ナーズの復讐」も、
第4弾は息切れ気味でした

結成から13年、8枚目にして遂に全米1位を達成。ブレイク作『ブラザーズ』に続き前作『エル・カミーノ』も大ヒット&グラミー受賞と右肩上がりの状況を考えれば順当な流れとはいえ、つい「まじ?」と感じずにいられないのは――非常に乱暴に言わせてもらえば、ブラック・キーズについてまわるアンダードッグの印象ゆえだろう。

デビュー期は色のつく三単語のバンド名&ギター+ドラムス編成から(安直に)ホワイト・ストライプスと比較され、そのフェーズを過ぎた後も最大の顧客=ビール好きな野郎/オヤジのシェアをキングス・オブ・レオンに持っていかれがち。そのままハッタリやファッションと無縁な実力派として支持を広げ、JSBXばりに「愛すべき(カルトな)ブルース・ロッカーズ」に落ち着くこともできただろう。しかし作曲にも絡む今や「準メンバー」なデンジャー・マウスとのコラボ金脈を掘り当てた彼らは、カリスマの欠如を音楽IQの高さ&オタクなひねりで補う「攻め」に転じた。方向転換が吉と出たのはその後の快進撃からも明らかで、サーフ・ロックにソウル、ガレージ、グラム・ロックとあらゆる類いのレトロな「グッド・タイム・ミュージック」をブレンドした『エル・カミーノ』の臆面のなさ――覚えやすくキャッチーなコーラスとアンセムの詰まったロック・アルバムという意味で近年でも出色の1枚――は、ある種「音楽ナードの開き直り」を思わせ痛快だった。

しかし新作『ターン・ブルー』に前作の「パーティ番長御用達レコード」なノリは薄く、スローに広がる7分近い1曲目から浮かぶのはピンク・フロイドにツェッペリンと重々しい(英サイケ~プログレ好きで知られるデンジャー・マウスの影響かもしれないし、ムーディ&エピックの試走として前作収録の“リトル・ブラック・サブマリンズ”を指摘することもできるが)。“フィーヴァー”から腰をスウィングさせる粋なグルーヴも若干戻ってくるとはいえ、バンド側が「ヘッドフォン・リスニング向け」と評するように、パンチの効いたフックよりビルド・アップにシフトした、踊るより聞き込むタイプの作品になっている。それだけにプロダクションは凝っていて、比重を増したシンセ/鍵盤およびアコギのアクセントを筆頭に、泣きのギター・ソロやコーラス、エフェクトと様々な質感と仕掛けが塗り重ねられていく。ダークさとファルセットのコントラストが光るソウル曲③、ダンがプロデュースしたドクター・ジョンばりの⑦のジャングル・ビート等、デコラティヴな音作りとソングライティングとのバランスがとれた成功例はちゃんとある。とはいえ多彩なサウンドにメロディが窒息気味な②や⑤⑧の尻すぼみ感(この人達は「コーラスだけの曲」といった変則技が上手いけど、ここではそのミニマリズムが裏目に出ている)、教科書通りのギターで流すごとき⑥、それまでのヘヴィさを一掃して疾走するいささか場違いなフィナーレ⑪等、コントロールの甘さは目につく。

全体を覆うダウナーな雰囲気とスピリットの乏しさは、ドロドロした離婚訴訟でブルーにこんがらがっていたダンの内面が大きく寄与しているらしい。歌詞の多くも失意・不義への迷い・呪詛・捨て台詞めいた演歌チックな内容だし、ここはコールドプレイの『ゴースト・ストーリーズ』のように情状酌量して聴くべきなのかもしれない。が、この人達は既に『ブラザーズ』で同じことをやっていて――こちらはダンではなくパットのドロドロした離婚劇が一部インスピレーションになっていた――ぶっちゃけ「またかい」との思いも。どうせ三行半を聴き手と共有するのなら、フリートウッド・マックの“ゴー・ユア・オウン・ウェイ”くらい辛辣でスパーキーなポップ、あるいはマーヴィン・ゲイの『ヒア・マイ・ディア』くらい強烈なパラノイア&オブセッションを打ち上げてほしい。

――と書いたところで、自分はブラック・キーズの音楽に「リアルなエモーション」を期待していないっけ、と思い当たる。別に「リアル」の欠如は悪いことではない。そもそもポップ・ミュージックの多くはフェイクや混ぜ物で、よく出来ていればそれで正解。特にブルースを原色ではなく差し色として使い始めた『アタック&リリース』以降、メインストリームに駒を進めた彼らの命題はそこだと思う。が、クレバーなポップ巧者:デンジャー・マウスを保持することでその基本を抑えると同時に「ブルース(憂鬱/嘆き)」な深みにリーチしようとした『ターン・ブルー』は、中途半端で居心地が悪い。残念ながら作詞家としてはブルースのクリシェをトレースする素朴な書き手であり、歌い手としてはエモーションの幅が狭いダンのヴォーカルはその相反する二重の課題を支えきれていないのだ。そんな彼の歌声が活きたのが飾りの少ないEP『チュラホーマ』(ジュニア・キンブロウ曲のカヴァー集)だったのを思うと、引き出しの多いデンジャー・マウスのトリックも、4回目にして使いどころを考える時期?その決断に踏み切るか、あるいはグッド・タイム・バンド路線に戻るのか、転換期の1枚だろう。

文:坂本麻里子

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