彼女のクィアとしての体験が繊細に織りこまれた本作を聴いていると「個人的なことは政治的なこと」というテーゼがつい頭をよぎるが、しかしさらに注意深く聴けば、そもそも「政治的なことは個人的なこと」だったことを思い出す。アイデンティティ政治が吹き荒れた時代のポップ・ミュージックは個人的な感情や経験をどのように社会に還元していくかをモチベーションにしているようなところがあったが、アーロ・パークスはそうではなく、近年過剰に社会化されたモチーフ——メンタル・ヘルスやクィアの性愛——をごくパーソナルなものとして取り戻すように、穏やかで親しみやすいジャズ・ソウルやオーガニックなR&B、ベッドルーム・ポップとともにそっと歌う。たとえば“ホープ”がそうであるように、それは大切な友人に寄り添うような歌であり、ひとりきりの穏やかな午後に溶けこむような詩情である。トム・ヨークやシルヴィア・プラスやロバート・スミスといったある種のデリケートさを表象するリリシストたちが引用されているのもまったく個人的な敬愛が動機であって、時代の流れに対する気の利いたリアクションではない。ファッション・ブランドにフックアップされるなどアイコン化されつつあるパークスだが、何よりもその少し頼りない音楽だけは、小さく揺らぐ個人のエモーションを守護し、聴き手の冷えた胸をゆっくりと温める。(木津毅)
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「アバズレ日記」がいいか、いや「ヤリマン噺」かな。R&B界隈で絶大な信頼度を誇るジャズミン・サリバンの4作目(EPだけど)『ホー・テールズ』の邦題を考えたところ、なかなかひどい。そして、内容も看板に偽りなしだ。「何を飲んだかも誰とどうやって帰ったかも覚えてない」(“ボディーズ”)から始まり、8曲と6つのインタールードで構成される本作は、赤裸々な本音の応酬がボディブローのように効いてくる。大ヒット“ピック・アップ・ユア・フィーリングス”では「感情抜きでヤッただけだから」と言い放ち、アンダーソン・パークが“スモーキング・アウト・ザ・ウィンドウ”(シルク・ソニック)よりさらに酷い体験を語る“プライス・タグス”では女性側も「ヤりたいなら金を使え」と言い切る。だが、それらもすべて背景となる出来事、社会状況があるのだとアリ・レノックスを含めた女友達のインタールードでジャズミンは伝える。浮気や極端な拝金主義も、生い立ちやSNSから伝わる「理想の女性像」からのズレに苦しんだ結果なのだ、と。元々、ヒップホップ・ソウル寄りの曲が得意。今回もバランスよく織り混ぜ、器用に韻も踏んでいる。「私たちみたいな(肌色が濃く、厚みがある体格の)女性は勝ち目がないよね」と歌うH.E.R.との締め曲“ガール・ライク・ミー”も痛切だが、嘘がない分、聴き終わった後は爽快だ。ブラック・コミュニティの問題を軸にしつつ、常に比較、格付けされる現代の虚しさをあいかわらずの超絶歌唱力で歌い切って見事。2021年最重要R&B作品だ。(池城美菜子)
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こんなにもダイレクトに「喜び」を表現することに成功したアルバムが2021年に存在しただろうか。重低音かつbpm 69で鳴り響くノイズまみれのキック。キラキラと天から舞い降りるように甘美な和音を奏でるアンビエンス。ドリーム・ポップを思わせる夢見心地のコーラス。突如その合間から立ち上がる強烈なフィードバック・ノイズ。高速の2ビート、轟音と不協和音を基調にしながら、このアルバムは創作という名のユーフォリアを爆音で鳴らしている。音楽におけるヘヴィネスはその直接性がゆえに常に様式化/商品化され、その内部ではひたすらサブジャンル化が進み、時には何かしらの党派性を帯びてしまう危険性に晒され(ただ、閉じたコミュニティを形成すること自体は決して悪いことではない)、その外部からはカリカチュアライズされた記号として消費されることも多々ある。このアルバムにおける赤面するほどにあからさまなポップネスはそうしたメカニズムに対する批評として機能すると同時に、誰もが生み出しえなかった新たなサウンドを生み出すことに成功した。コミュニティからも飛び出し、名ばかりのポップにも回収されないという離れ業を成し遂げたのだ。もはや完全にセレブリティ・カルチャーの一部へと堕したポップ音楽の世界で「作品だけに耳をそばだてろ」という言葉はもはや虚空に漂う胡蝶の夢にすぎない。だが今ではコンヴァージやメッツ、クイーンズ・オブ・ザ・ストーンエイジ、スクリーミング・トゥリーズといったヘヴィ音楽を牽引してきた錚々たるバンドのメンバーもここに名前を連ねていることが判明してはいるものの、それでもジ・アームドは匿名的なコレクティヴであり続けている。スピーカーから溢れ出す音に耳をそばだて、暗闇の中スクリーンを見つめる時、まるで自らの民族やジェンダー、世代や国籍といった社会属性から解き放たれたかのような感覚を与えてくれる作品こそがもっとも優れた表象作品ではなかったか。ジ・アームドはいまだそれが不可能ではないこと、アートと創作を通じた楽園が存在することを証明した。もし仮に、ほんの100人にしか目撃出来ない場所でこそ育まれてきたハードコア・コミュニティがパンデミックによってその場を奪われたことがこの作品を生み出した一助だとすれば、それは皮肉以外の何ものでもない。だが、2021年、ごく下らない憂さに足を取られた時に必ず鳴らしていたのはヘヴィ音楽とインディペンデントを再定義したこの崇高なアルバムだった。おそらくまた茹だるような暑さになるだろう来年の夏もこのアルバムを爆音で鳴らしたい。(田中宗一郎)
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『モンテロ』で奏でられるのが「悪魔のコード」というのは、できすぎてるくらいだ。キリスト教に敬虔な環境で「地獄に堕ちる同性愛者」自認で育ち苦悶してきたリル・ナズ・Xが、天界で同性と交わる「禁忌」を犯し地獄へと追放されるものの、悪魔相手にセクシーに踊ってみせる……セクシャリティを大胆に誇った表題曲のMVは2021年最大級ヒットとなったわけだが、ここで鳴らされているのが、歴史上長らく「悪魔のコード進行」と忌避されたフリギア旋法だというのである。つまりコンセプトが「悪魔」なら音まで「悪魔」なわけで、まるで神が味方しているかのような結実ではないか。『モンテロ』は、ポップ・スターのデビュー・アルバムとしてほぼ完璧だ。豪華絢爛なヴィジュアルのもとユーモラスなヒット満載で、情緒的な人生譚もある。ラップからロックまで多様なサウンド適応を魅せると同時に、中東ライクな前出フリギア旋法は今や「リル・ナズの音」のように認知されているのだから、音楽家としての個性も打ち出している。リル・ナズ・Xは、2020年代を代表するスター、言うなれば“インダストリー・ベイビー”であることを立派に証明してみせた。本作を通して時代精神を感じとるとしたら、その一つは、不安定で不平等なこの世を「地獄」と捉える視点かもしれない。だからこそ、このアルバムの「地獄でも踊ってやる」気概、その勇気が、世界に光をもたらす。(辰巳JUNK)
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このアルバムを60年代半ばから70年代半ばにかけてのブラック・ミュージックの単なるパスティーシュと呼ぶことは容易い。否定的な意味で気軽にレトロスペクティブと呼ぶ間抜けもいるだろう。だが、まずは1曲ごとのスネアの音色がそれぞれのグルーヴに合わせて周到かつ的確に使い分け/録り分けられているという事実に耳をそばだてて欲しい。この一点においてのみ本作を傑作と呼ぶことに何の躊躇もない。そう、このレコードは、生音のバンド録音を軸としたレコード文化黄金期である70年代前半~半ばのレコーディング・セッションのふくよかさをロール・モデルとした、バンド全員がセッションを重ねた結果の録音であると同時に、2010年代を通過した緻密なポストプロダクションの鋭利なキレを見せつけもする。サウンドのみならずリリックのここかしこにジミ・ヘンドリックスやマイケル・ジャクソンを筆頭に過去のソングからの引用があることもまた、彼らの音楽を気軽にパスティーシュと呼ばせてしまう所以でもあるに違いない。だが、裏を返せば、それもまたこの作品が2021年にしか生まれなかったことの証明だ。しかも、誰もが必要以上にシリアスに、過剰にエモーショナルにならざるを得ない2021年にこのレコードには最高のユーモアがある。腹を抱えて笑えるのだ。性的な衝動や行為をほのめかすスタイルがもはや完全に女性が牽引する文化となった時代に、この二人はスリリングな恋の鞘当てを描いたエロティックなラヴ・ソングを難なく乗りこなしてみせる。珠玉の先行シングルが持つ「ずっとドアは開けとくぜ」というタイトルは、この曲のナレーターにおそらく愛想を尽かして出ていっただろう愛する女性に向けた少しばかり虚勢を張った懇願であると同時に、「万人に扉は開かれている。誰をも拒むことはない」というポップ・ミュージックが目指す理想の姿のアナロジーでさえある。シルク・ソニックと過ごす一晩だけ我々はひとつになることが出来る。全9曲31分という理想的な長さ。いつだって最高の夜は短く、夜の魔法が溶ければ我々はまた離れ離れだ。だが、必ずまたこの場所で出会い直すことが出來る。我々が目指す場所はここ以外にない。(田中宗一郎)
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2021年 年間ベスト・アルバム
1位~5位
2021年 年間ベスト・アルバム
11位~20位
2021年 年間ベスト・アルバム
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