分断と衝突の時代にすべての人々を社会の
外側へと誘う究極のポップ『カラーズ』の
真価をベック本人との会話で紐解く:前編
ここからのパートは主に、アルバム『カラーズ』におけるサウンドとプロダクションの問題、彼がどんなフィーリングをキャプチャーしようとしたか、会話の話題はそれを巡るものだ。ここでもベックは何度も繰り返し「自由」という言葉を使っている。だが、ここでの自由はあくまでリバティではなく、フリーだということに注目して欲しい。つまり、それは社会の外側に存在するものだ。
これまでもベックは、アートは100年後も残るものだし、ゆっくりと、だが確実に世の中に作用していくものだ、自分はアートの中に積極的に政治的なメッセージを持ち込みたいとは思わない、という自らのスタンスを明言してきた作家でもある。こうした彼の価値観は、アルバム収録曲“ノー・ディストラクション”のリリックにも表れていると言えるかもしれない。「余計な気持ちの動揺なんかいらない/邪魔しないでくれ/いいよね?/君と一緒にいてもいいよね?/誰かが君を右に引っ張ったり/左に引っ張ったり/君をいろんな方向に引っ張り込もうとする」。こうしたラインを今のアメリカの現状と切り離して考えるのは難しいのではないか。
つまり、この『カラーズ』という作品は、ベック本来の非政治的な視点をこれまでになく全面に押し出したという意味において、非常に政治性を帯びることになった作品だと言えるかもしれない。
●これまでの君のレコードにはいろんな音楽的なレファレンスがあった。本当にいろんなものをかき集めてきて、まったく違う新しい音楽を作ってきた。ある意味、ダダイズム的っていうか。特に初期には強く傾向としてあったと思うんだけど。でも、今回はそんなには明確な音楽的なレファレンスが見えてこない。
「うん」
●ただ、例えば、“ワウ”のハイハットの使い方とか、トラップからの影響があるとも言える。ただ、実際はどうだったんですか?
「あの曲はとにかくトーンダウンしようとしたんだ。いろいろと削ぎ落として、シンプルなパーツだけにした方がトラップっぽくなるし」
●確かに。
「でも、あの曲に関して言うと、『オディレイ』を作ってる時、プロデューサーのダスト・ブラザーズが808ドラムマシンを持ってたんだよ。で、1曲でそれを使ったんだけど。でも、実は、最初の僕のアイデアは、全部808マシンとラップだけで作ろうってことだったんだ。つまり、それって、基本的にはトラップのレコードだよね(笑)」
●うん(笑)。
「ていうのも、90年代は誰もが古いヴァイナルから、いろんなサウンドをサンプリングして、レコードを作ってたから、すごく音が多くて、とにかくカラフルだった。だから、『逆にさ、808ドラムマシンと声、それからキーボード一台だけで作ったらすごくない?』って話してたんだ。それって、よくよく考えると、ほとんど最近のヒップホップなんだけど。でも、まさか20年後にはヒップホップがそんな風になるなんて、僕は夢にも思ってなかった(笑)。だから、僕にとってはあのサウンドは特に新しいものじゃないんだ。“ワウ”っていう新曲にはなってても、僕には新しいわけじゃない。20年の間、ずっと考えてたこと」
●なるほどね。ただ、実際のところ、今回、明確な音楽的なレファレンスっていうのはあったんですか?
「このアルバムで? スタイル的には……う~ん、わかんないな。人によって、それぞれ違うものが聞こえると思うけど。ただ僕としては特に具体的なものは目指してなかった。僕はただひたすらいい曲を書こうとしてただけだと思う。だから、とにかくたくさん曲を書いて、時たま『オッケー、これはレコードになる』って思えるようなスペシャルなものーー聴くと、すぐに感覚でわかるような曲だねーーそういうものを僕らは見つけようとしてた。だから、もし『このバンドっぽいな』っていうのがあったとしても、事後的なんだ。答えになってるかな?」
●うん。じゃあ、前作に続いて、グレッグ・カースティンと一緒に仕事したことは、このアルバムにどういう影響を与えたと思いますか?
「彼はずっと前に僕のバンドにいたんだけど、当時、グレイトなパートを思いつくのはいつも彼だったんだよ。ギターのパートとかね。だから、彼のアイデアと僕のアイデアを出し合えば、必ずベストなアイデアになるのはわかってたんだ」
●なるほど。
「あと、今回、僕はソングライティングにおいてちょっと新しいことをやろうとしててーー例えば、“ワウ”は唯一、グレッグとじゃなく、僕一人で作った曲なんだけどーーレコード制作では別の誰か、『これどう思う?』って意見を聞いたりできるような人に側にいて欲しかったんだ。つまり、普段やってることの外にあるようなことを僕はやろうとしてたから、そういう人が必要だったんだ」
●それが一番の理由?
「それにグレッグは本当にいいソングライターなんだ。あと、ちょっと僕と似てるんだよね。僕も彼もアイデアが次々と出てきて、すぐに曲を書く。思うんだけど、グレイトなソングライティングのパートナーって大抵二人なんだよ。僕の好きな曲の多くは二人が作曲したものだったりする。だろ?」
●確かに。
「だから、自分ともう一人いるっていうアイデアがすごく気に入ってるんだ。それと、とにかくグレッグは僕に自信をくれるんだよ(笑)。あるアイデアが馬鹿げてないことを保証してくれるっていうか、『それいいよ、やってみよう!』って言ってくれる。僕、ビートルズについていろいろ読んだんだけど、いつもポールが『こんなのダメだ』って言ったら、ジョンが必ず『いや、最高じゃないか!』って言ったりするんだよね。で、グレッグとやる前から、ずっとそういう相手が欲しいと思ってた。『いや、やってみよう』って言ってくれるような人がね。
●じゃあ、ビートルズでいう、ポール・マッカートニーに対するジョン・レノンの役をグレッグがやってくれたってこと?
「うん、まさにそう。例えば、“アップ・オール・ナイト”って曲は『君とずっと起きていたい』って歌ってるだけなんだけど、僕、ジョークのつもりで作ったんだよ。アホな曲だと思ってて」
「でも、グレッグが『いや、この曲はすごくいいから!』って言ってきて。でも、僕は『ホントに?』って言ってた。多分、僕だけだったら、『こんなの使えない』ってボツってたはず。クレバーじゃないってね。つまり、時にはただ、『これはいい』って言ってくれる人が必要なだけっていうか(笑)」
●いや、そこはすごく重要なポイントだと思う。
「あと『モーニング・フェイズ』は僕一人でやっただろ? プロデューサーも誰もなしに。だから、すごく孤独だったし、強烈だった。何ヶ月も一人きりで、話しかける相手もいなくてさ(笑)。自分が自分のボスっていうか、エディターにならなきゃいけなかったんだ」
●なるほど。じゃあ、歌詞について。例えば、“ドリームス”のヴァースの最初のところに「Come on, out of your dreams(ほら、夢から出てきて)」ってラインがあるんだけど、あれは今回アルバムでキャプチャーしようとしたフィーリングと何かしら関係はありますか?
「うん。でも、面白いのは、コーラスではこう歌ってるんだよね。『つらい時には夢の中に滑り込めばいい』って。だから、ある意味、すごく混乱した曲なんだ。別のことを同時に言ってるんだから(笑)。ていうのも、僕、あの曲のヴァージョンをいくつも作ったから、いろんな視点から歌詞を書いてて。だから、歌詞に関しては、たとえ別のことを言ってても、結局、一番気に入ったパートを残したんだよ」
「ただ、歌詞の内容について話すと、自分の生活で精一杯で、世の中のいろんなことが見えなくなるーーそういう内容なんだ。そういうことってあるよね。だろ?」
●今の世の中のいたるところで起こっていることだよね。
「でも、世の中に目を向けさせる方法として、音楽ってすごくパワフルだと思うんだ。“導管”としての音楽が人に頭を上げさせてくれるっていうか。ある曲のちょっとしたサウンドでさえ、誰かが聴くと、『あ、今こんなことが起きるんだ』っていう可能性に気付くきっかけになったり。そのサウンドが何かをリプリゼントしてるんだよね。だから、歌詞のアイデアとしては、僕が音楽としてやろうとしてることについて。『音楽にはコミューナルなところがあって、人がそれぞれの生活から飛び出して一緒になれるんだ』ってね」
●君はこれまでも歌詞のモチーフに、社会で起こってるモチーフをさりげなく取り入れてきたよね? 例えば“セックス・ロウズ”だったら、誰もが美しくなるために整形するっていう所謂フォトショップ・カルチャーに繋がる現象だったり。“モダン・ギルト”だったら、毎日おびただしい数で捨て続けられる携帯電話だとか。今作の場合、そんな風に同時代の世の中の動きをピックアップしたモチーフってありますか?
「今回のレコードの主なテーマは、音楽っていうのが、僕らの心において唯一残されたスペース、ある種の自由をリプリゼントする空間になってるってことかな。だから、さっき“ドリームス”で言ったようなことだね。つかの間だけは自分の生活から抜け出せるっていうね」
●なるほど。
「で、ある意味、むしろそっちのほうが自分の本当のヴァージョンなんだよ。レコードを聴いてる時やコンサートで音楽を聴いてる自分の方が、5歳の時の自分に近い。本当のコアな姿に戻れるんだ。だから、このレコードの多くでは、その自由を見つけることについて歌ってると思う。文字通りの自由じゃなくて、精神的な自由について。人生のある瞬間において、自由だと感じるそのフィーリング、エナジーを見つけようとしてる。それこそが本当の幸せと結びついてると思うから」
●じゃあ、例えば、“ワウ”のビデオクリップのヴィジュアルには、20世紀のダダイズムのスタイルも、80年代にデジタル・カルチャーが始まった頃のスタイルも、60年代のサイケデリアのスタイルも使われていて、すべてがひとつになってる。それぞれの時代のスタイルというのは、やはり君にとって、何かしらの自由を象徴するヴィジュアル・スタイルなのかな?
「うん。思うのは、そういうフィーリングって、ホントいろんな音楽の中に存在してるんだよね。このレコードには、“カラーズ”っていう曲があるんだけど、作った後、一緒に作ったグレッグと『この曲って一体何なんだろうね?』って話してたんだ。自分たちでもわからなかったんだよ」
「で、『もしかすると、これが一番近いんじゃないか?』って、僕らが思いついたのが、ビートルズが『サージェント・ペパーズ』を作ってる時に、いきなりそこにマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズが入ってきた――みたいな(笑)。つまり、80年代ヴァージョンの変なサイケデリック・ポップなんだよね。つまり、アイデアとしては、自由が存在する音楽っていうのは、それぞれに違う時代、違うリプリゼンテーションに解釈されてるってこと」
●なるほどね。
「あと、“アイム・ソー・フリー”っていう曲では、何かしらのエモーションから自由になろうとすることについて歌ってる。ネガティヴなフィーリングや、人生におけるそういう時期から自由になって、ただの自分になろうとすること。だから、ある種のエクスタシー、喜びの探求でもあるんだ。ニューエイジ的な意味じゃなくて、もっと日常的なものとして」
●より具体的に言うと?
「例えば、ただ道を歩いてると、日が暮れてくる時の感覚とかね。そういうフィーリングって、すごく重要だと思うんだ。ただ時間が流れていくっていう。この5年、僕はそれについて考えることがすごく多かった。だからこそ、そういう考え方、そういうフィーリングを詰め込んだレコードになったんだと思う」
この後の会話は、より今の社会における『カラーズ』という作品の位相、関係を巡るものだ。是非、併せて読んでほしい。
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分断と衝突の時代にすべての人々を社会の
外側へと誘う究極のポップ『カラーズ』の
真価をベック本人との会話で紐解く:後編