LCDサウンドシステムのジェイムス・マーフィーは、かつてこのような名言を残しています。名作1st『LCDサウンドシステム』をリリースした2005年当時、敬愛するブライアン・イーノを巡る会話の中での一言でした。
「ただ、ブライアン・イーノにも嫌いなところはあってね。っていうのも、時々、彼はちょっと知的すぎるっていうか、イギー(・ポップ)が足りないんだ(笑)」
なるほど、これはよくわかります。イーノとは、アンビエント・ミュージックの提唱をはじめ、思いもよらぬ角度から思いもよらぬ発想を投げかけてくるアイデアの人。偉大なるコンセプト・メイカー。でも、マーフィーの言う通り、時に知的すぎる存在。一方のイギーとは、意味や理屈をすべて吹き飛ばすような豪放さを持ち、無尽蔵のエネルギーの爆発によって問答無用に人々を惹きつけてしまう人物/音楽のこと――といったところでしょうか。そして、言うまでもなく、イーノとイギーというその両極を奇跡的なバランスで兼ね備えていたのが、かのデヴィッド・ボウイでした。
では、そのボウイ亡き後、2016年のポップ・シーンにおけるイーノとイギー、そしてボウイのバランスはどうなっているのでしょうか? ここで少し、その状況を確認してみたいと思います。
2010年代のインディ・シーンには、優れたイーノがたくさんいる。という見立ては、決して見当外れではないでしょう。アニマル・コレクティヴ以降のUSインディの磁場から頭角を現したバンドたちは、どれも少なからずイーノの遺伝子を受け継いでいます。勿論それ以外でも、OPN、アルカ、ニコラス・ジャー、あるいはジュリア・ホルターやホーリー・ハーダンなど、名前は幾らでも挙げることが出来る。乱暴に位置付ければ、〈ピッチフォーク〉が積極的にフックアップする傾向があるのは、優れたイーノたちだと言っていいかもしれません。まさに今はイーノの時代なのです。
続いて、ある種のワイルドさと知性、もしくはプリミティヴな衝動と実験性を兼ね備えた存在――つまり、もっとも理想的なポップとしてのボウイの系譜を継ぐアーティストはと言うと? それは今、ヒップホップ/R&Bの世界で多く活躍しているのではないでしょうか。そう、考えてみて下さい。カニエ・ウェスト、ケンドリック・ラマー、ミゲルなどは、その資質においてはボウイ的だと位置づけられます。
もっとインディ寄りのアーティストで考えるならば、グライムスもボウイの系譜にあります。ウィアードネスを祝福する存在という意味でも、まさにそう。ただ勿論、彼らがボウイの高みにまで達しているかどうかは、これからの歴史が証明することになるでしょう。
では、果たして2010年代のイギーはどこにいるのでしょうか? 我々〈サイン・マガジン〉が熱を上げたガール・バンドを筆頭とする、いわゆるラウド・アンド・エクスペリメンタル勢? いや、彼らは「ラウド」と「エクスペリメンタル」という言葉のバランスからもわかる通り、どちらかと言えばボウイの文脈。イギーのようなアーティストは、いるようでいて、なかなかいないのです。
やっぱりガツーンと来るロックが聴きたい!
そんな気分にぴったりな7組をご紹介。
今、時代はラウド&エクスペリメンタル!
それでも強いて挙げるならば、アクセル、スラッシュ、ダフが揃った再結成ガンズ・アンド・ローゼズでしょうか。一時はあれほど冷ややかな視線を浴びせられていた彼らですが、近年、間違いなく世間の期待は高まっています。これはやはり、「イギーが足りない」現状を少なからず反映してのことでしょう。
しかし、はっきり言って、彼らでは物足りない。イギーの足元にも及びません。なぜなら、イギーとは、ただのロックンロール・バカのことではないからです。マーフィーの「イギーが足りない」発言を受け、〈スヌーザー〉で田中宗一郎も書いていました。「レッド・ツェッペリンは『ただの馬鹿』だが、ザ・フーは『無意味(筆者注:つまりイギー)』。この違いは、とても微妙なようでいて、実はとてもデカい」。イギーへの道は、思いのほか険しいようです。
このようにして見てみると、2016年のポップ・シーンは圧倒的に「イギーが足りない」状況だと言えるでしょう。イーノやボウイの意志を継がんとする者はいる。でも、イギーだけが足りない。だからこそ、イギー・ポップの7年ぶりとなるソロ・アルバム『ポスト・ポップ・ディプレッション』は、2016年の音楽シーンに欠けていると同時に、イギー以外は誰もはめることが出来なかった重要なパズルのピースなのです。
既に報じられている通り、このアルバムはクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ/イーグルス・オブ・デス・メタルのジョシュ・ホーミが全面的にバックアップした作品。彼が声をかけたことで、ドラムにはアークティック・モンキーズのマット・ヘルダーズ、ベースにはデッド・ウェザー/イーグルス・オブ・デス・メタルのディーン・フェルティタが参加しています。これは現行のロック人脈における最強の布陣であるだけではなく、考えうる限りもっともイギー成分が高めのミュージシャンを招集して作られたアルバム。と言っていいかもしれません。
しかし、御年68歳のイギー。これがラスト・アルバムだと各所で口にしています。その真偽は、これから待ち受ける未来のみが知ることでしょう。ただひとつだけ確かなのは、それくらいの意気込みで完成させたからこそ、『ポスト・ポップ・ディプレッション』はイギーにとって約40年ぶりの会心作になったということです。
バンドの演奏は、ずっしりと重たくもファンキーで、空気を切り裂くように鋭い。そして、それに触発されたかのように、イギーの調子もすこぶる良いことが窺えます。その歌声には歳相応の哀愁を感じさせる瞬間が随所にあるものの、まったく枯れていない。いや、むしろ、アルバムのラストを飾る“パラグアイ”での鬼気迫る咆哮を聴くと、いまだ尽きることのないイギーの焼けつくようなエネルギーが感じられるでしょう。
実際、彼のソロでの代表作を3枚選ぶとすれば、まずはボウイとのタッグで作られた『イディオット』と『ラスト・フォー・ライフ』の2枚。続いて、この『ポスト・ポップ・ディプレッション』を挙げることに異論を挟む余地はありません。
ちなみに、『ポスト・ポップ・ディプレッション』というアルバム・タイトルは、本作のレコーディング終了後、「イギー・ポップとの仕事が終わってしまって寂しい」という意味でディーンが言った言葉からつけられたもの。つまり、これは「イギーが足りない」という意味でもあるのです。でも、ディーンの気持ちもわかりますよね。だって、2016年の今、私たちにも圧倒的に「イギーが足りない」んですから。
約40年ぶりの傑作ソロ・アルバム誕生!
2016年の今こそどうしても聴いておきたい
イギー・ポップ全人類必携の7枚:前編