SIGN OF THE DAY

ラップ・ミュージックとキリスト教の関係を
巡る、山下壮起と小林雅明による往復書簡③
〜DMXを主な題材に〜
by MASAAKI KOBAYASHI
SOKI YAMASHITA
December 22, 2019
ラップ・ミュージックとキリスト教の関係を<br />
巡る、山下壮起と小林雅明による往復書簡③<br />
〜DMXを主な題材に〜

ラップ・ミュージックとキリスト教の関係を
巡る、山下壮起と小林雅明による往復書簡②
〜ゴスペル・ラップとカニエを主な題材に〜



小林雅明(以下、小林) 話は少し戻りますが、2パックの影響力の大きさは、彼が亡くなったあとのDMXの記録的なヒットでも説明できると思います。アルバムには毎回彼が全身全霊で祈る“プレイヤー”が入っていますが、もしあれがなかったら、あそこまで売れなかったのでは?(今もワールド・ツアーが成立するほど世界各国に熱狂的なファンがいますが)と思いました。あれだけ支持され、今も世界中に彼のファンが大勢いるのは、『ヒップホップ・レザレクション』でご指摘されている「ビップホップにおける神義論」にかかわってくることなのでしょうか? 今、あらためて、あの現象をどうみますか? DMXは、2000年以降は主に自ら引き起こしたトラブルで警察裁判所刑務所に定期的に面倒をみてもらいながら、トランジショナル・ディーコン(注:「ディーコン=教会執事」を経て牧師として按手を受けるための過渡期の状態)という立場であるようですが。

山下「DMXほど不思議な魅力を持っているアーティストはあまりいないと思います。彼の破天荒な、ときに破滅的に見える生き方は、幼少期に母やそのパートナーから受けたDV、それゆえに家出をした孤独という経験に起因すると分析することもできるでしょう。彼自身が幼いころに受けた痛みや傷をとおしてラップする言葉の持つエネルギーが、多くのリスナーの魂を揺さぶってきたのだと思います。

そして、1stアルバム『イッツ・ダーク・アンド・ヘル・イズ・ホット』収録の“プレイヤー”では、痛みを受け、その痛みを高らかにラップすることで同じ境遇にある者にそれでも希望があることを伝えることを自らの使命として見出したと祈りのなかで語っています。そこにDMX自身の信仰という命を見つめる眼差しがあるのだと思います。

DMX / Prayer


それは、小林さんが感じておられるように、『ヒップホップにおける神義論』からDMXが導き出した答えだと言えます。神義論とは、神が全能であるなら、なぜこの世界に悪が存在するのか、なぜ善良な者が苦しめられるのかといった現実に対して、神の正しさを証明する議論のことです。DMXは自らの痛みの経験のなかで、神に徹底して向き合うことによって、自らに与えられた痛み、痛みを負い続ける経験の意味を見出そうとしてきたのだと思います。そして、祈りのなかで、痛みをラップすることを神に与えられた使命として受け止めたということです。

アルバムごとに祈りを献げながら、ストリートの現実をハードにラップするDMXのリリックは神義論的である一方で、建前の信仰をぶちやぶるものであると思います。それゆえに、多くの人びとを魅了するのかもしれません。建前の信仰とはどういうことかというと、『ヒップホップ・レザレクション』でも問題にしていますが、教会が自らの権威を維持するために理想的な信仰の在り方を押し付けてきたことに関係するということです。

信仰とはそれぞれの個人に与えられた神との関係と言い換えることができます。その神との関係を通して自分や他者の命を見つめるのが信仰的な視点です。それゆえに、神との関係のなかで生きることは本来それぞれの形があり、自由であるべきです。それなのに、教会に通うクリスチャンは『真面目』『清く正しい』、品行方正という固定化されたイメージで見られてしまいます。それは、教会が歴史を通して、イエスへの従順や神の支配といったことを説き、また、悪事を働けば地獄に堕ちるとしたことで、信徒は純潔や道徳的であることを自らに課したからです。でも、教会が信徒に従順や服従を説くのは、教会の定めた規範に従わせることで、教会や宗教指導者の権威を維持するためです。

その観点から見るなら、何度もドラッグや傷害などで逮捕されているDMXは出来損ないの信徒です。しかし、DMXは過ちを犯してしまう自分をありのままに受け止めて生きています。そして、同じように過ちを犯してしまう者の側に立ち、そのような者のために祈りを献げています。そのようなDMXの信仰の在り方は、建前の信仰、教会の権威を気にする信仰ではなく、徹底して自分の生に向き合うものです。だからこそ、その祈りの言葉にリスナーは救いを見出すのだと思います。そう考えるなら、DMXはストリートの祭司です。そして、型破りな信仰者としてのDMXの姿は、理想化された信仰者の在り方とその背景にある教会の権威を問うものです。この点において、DMXは『ヒップホップ・レザレクション』でも指摘してたトリックスターでもあるといえるでしょう。

余談ですが、そんなDMXの姿から、ふと『寅さん』を思い起こしました。そして、日本のキリスト教の牧師や神父のなかには、イエス・キリストを寅さんに重ねて論じる人もいます。ご参考までに。

「寅さんは愛に根ざして真理を語る」 横浜YWCAで関田寛雄牧師が講演

米田 彰男『寅さんとイエス』(筑摩選書)


小林 ここまで、かなりかいつまんで、ヒップホップと主にキリスト教との関係について、時系列でうかがってきました。このあたりで『ヒップホップ・レザレクション』を著すに至った具体的なきっかけについて教えてください。

これは何度でも繰り返しておきたいのですが、学術書としてとらえるべき著作ではありますが、研究目的とかいうのが先立っているのではなく、今、これを読んでくださっている多くの方と同じように、山下さんがまず第一にヒップホップ・リスナーであり、そこから生じた疑問から考察を重ねてゆくあたりが、例えば、宗教がそうであるように、ヒップホップが生活に密着したものというのが常に根底にあって、ヒップホップってものすごい力を持っているんだな、とあらためて思い知らされた、というのが読後感でした。


山下「『ヒップホップ・レザレクション』を書いたのにはいくつかのきっかけがありますが、やはり最初のきっかけは黒人解放神学のパイオニアであるジェームズ・コーンの『黒人霊歌とブルース』との出会いでした。モアハウス・カレッジ3回生の冬休みで帰国していたとき、牧師である父からこの本を渡されました。高知で暮らす祖母に会いに行く電車のなかでその本を読んでいると、コーンの議論はヒップホップにも通じるものだと直感しました。というのも、モアハウス在学時に2・パックのリリックにおける宗教的側面について周りの友人が議論しているのを何度も聞いたり、あるいは、友人たちのフリースタイルセッションでも『ゴッド』という言葉が出てきたりしたからです。

また、『黒人霊歌とブルース』を初めて読んだ直後、モアハウス・カレッジのアフリカン・アメリカン研究科での演習科目も大きなきっかけです。その演習科目では学生が自由にテーマを決めて、そこでのフィールドワークをもとにペーパーを書くというものですが、私はモアハウスの近くのウェスト・エンド地区でアフロセントリズムに基づいたチャータースクールで子どもたちとヒップホップについて考えるということをしていました(ちなみに、『ヒップホップ・レザレクション』あとがきにも書きましたが、4回生のときのルームメイトのトーマスは、同じ演習科目のフィールドワークとしてアトランタ刑務所に収容されていた2パックの義理の父ムトゥル・シャクールを何度も訪れてペーパーを書いていました)。

「わたしがフィールドワークを行った学校には、いわゆるat-risk youth(注:生活環境などの理由で学業不振の危機にさらされている青少年)のような子どもも来ていたのですが、その子に好きなアーティストとその理由を聞いたことがありました。すると彼はこう答えました。『俺はスリム・サグを気に入って聴いてる。ドラッグとか暴力のネガティヴなことだけじゃなくて、神のことについてもラップしてるから』。この言葉を聞いて、多くのアーティストが神に言及しているということに気づかされました。それは、少し前の質問でいただいた、ラジオではイエスや神といった言葉を含む曲をかけたがらないというカニエのコメントにも繋がると思います。アーティストはアルバム収録曲で神についてラップするけれど、そうした曲はプロモーションされにくいということです。

わたしは中学2年生くらいからヒップホップを聞くようになり、高校生くらいからレコードを買い始めました。その頃はまだ全然ヒップホップのことがよくわかっておらず、〈FRONT〉や〈Woofin'〉を読みながら色々知るようになっていきました。そして、当時はいわゆるコンシャスなラッパーたちの曲を気に入って聴いていました。ですから、最初の質問でお答えしたように、コモンの“G.O.D.”というタイトルを見たときにも、さすがコンシャスなラッパーは神について考えているんだなあと思ったわけです。

ですが、高校時代の交換留学で『ラップ・シティ』(注:ブラック・エンタテイメント・テレヴィジョン、通称BETにて1989年から2008年にかけて放送されていた番組)を観ていたとき、モス・デフがリル・トロイの“ワナ・ビー・ア・ボーラー”というヒップホップの成金主義みたいな曲を最近気に入っていると答えたときには驚愕しました。つまり、ラッパーたちをコンシャス、ギャングスタ、成り上がりといったカテゴリーに分けて線引きすることはできないと、それまで勝手に抱いていたイメージが崩されていきました。そして、ラッパーたち自身、そのような線引きを超えてコラボしているのを見て、コンシャスと物質主義のような二元論でヒップホップを捉えるべきではないと考えるようになりました。

さらに、コンシャス・ラッパーだけでなく、むしろギャングスタ・ラッパーが神についてラップしていることの方が多いと気づきました。ヒップホップを聞いているうちに、そのような神への視点があることに気づいていきました。(モブ・ディープの)プロディジーが“シュック・ワンズ・パートII”で『When the slugs penetrate, you feel a burnin' sensation / getting closer to God in a tight situation(銃弾が肉体を貫通して、燃えるような感覚になる/命がギリギリの状況のなかで神に近づくんだ)』とラップするように、死が身近にある現実を生きるからこそ、神の存在を感じたり求めたりする瞬間があるのだと思います。

Mobb Deep / Shook Ones, Pt. II


小林さんがおっしゃるように、神学研究の対象として面白いからヒップホップを選んだのではなく、神学研究を通してこれまで大好きで聴いてきたヒップホップへの理解をより深めることができると考えました。そして、おっしゃるように『ヒップホップが生活に密着した』ものであることは、そこには生への視点があり、それゆえに音楽において、また、リスナーの間に生きることに関わる様々なテーマについての対話を生み出してきたということです。そして、生への視点とはまさに、神との関係をとおして命を見つめるものである信仰にも通じます。だからこそ、ヒップホップには宗教的側面を帯びるようになったのだと私は考えています。


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