SIGN OF THE DAY

ラップ・ミュージックとキリスト教の関係を
巡る、山下壮起と小林雅明による往復書簡④
〜ルクレイと『イーザス』を主な題材に〜
by MASAAKI KOBAYASHI
SOKI YAMASHITA
December 23, 2019
ラップ・ミュージックとキリスト教の関係を<br />
巡る、山下壮起と小林雅明による往復書簡④<br />
〜ルクレイと『イーザス』を主な題材に〜

ラップ・ミュージックとキリスト教の関係を
巡る、山下壮起と小林雅明による往復書簡③
〜DMXを主な題材に〜



小林 先程出てきたカニエの“ジーザス・ウォークス”には戦略的な面が含まれてはいたものの、カニエからは誠実な印象を持ちました。ほどなくして成功すると、ゴールドのチェーンに、キリストの頭部をかたどったジーザス・ピースをぶら下げ、それを高価な宝飾品で飾りたてるようになります。カニエがやりはじめたものではありませんが、個人的には違和感を拭えません。山下さんは、ジーザス・ピースというものを、どのように捉えているのですか?

山下「小林さんがおっしゃるように、わたしもジーザス・ピースについては違和感のようなものはあります。しかし、それは宗教的モチーフを宝飾品で身に纏うということよりも、なぜイエスの顔を模したトップ部分をデザインしたのかという点についてです。プロテスタント教会の礼拝堂は講壇と会衆席という極めてシンプルな造りになっています。なかには、十字架さえ置いていない礼拝堂もあります。一方で、カトリックや正教会の礼拝堂はステンドグラスやイコンなどを用いてイエスやマリア、天使などを描き、信徒たちもそうした人物像を模した装飾品を身に着けています。ですので、プロテスタントでは十字架をトップにしたチェーンを身に着けることはあっても、イエスの顔を模したチェーンをぶら下げるのはカトリック的に感じます。しかし、ジーザス・ピースを身に着けるラッパーたちは敬虔なカトリック信者というわけでもありません。それゆえの違和感であり、ジーザス・ピースはいつしかヒップホップ的なものになったといえます。

そのジーザス・ピースを最初に身に着けたのはノトーリアス・B.I.G.だと言われています。〈ジーニアス〉でザっと『Jesus Piece』で検索すると、何人ものアーティストがジーザス・ピースについてリリックのなかで触れていることがわかります。なかには、リック・ロスやザ・ゲームのようにジーザス・ピースを曲のタイトルにしているラッパーもいます。

Rick Ross / Ten Jesus Pieces ft. Stalley


ラッパーたちがジーザス・ピースについてラップするとき、その内容は『俺のジーザス・ピースはいつもきれいに輝いている』といったものがほとんどです。このことから、光り物であるジーザス・ピースは、ラッパーとして、あるいは、ハッスルで成り上がり、成功者となった証しとして用いられていることが見えてきます。それゆえに、コダック・ブラックが“ロール・イン・ピース”で「He don't even believe in Jesus / Why you wear Jesus Piece(彼はジーザスを信じてもいない。なんでお前はジーザス・ピースを身につけるんだ?)」とラップするように、クリスチャンでもないのにジーザス・ピースを身に着けることを疑問視する者もいます。

Kodak Black / Roll In Peace ft. XXXTentacion


一方で、ラッパーたちがジーザス・ピースを身に着けるのは、それを最初に身に着けたとされるビギーが暗殺されたことに結び付けて象徴的に捉えられるようになったという側面もあるのではないでしょうか。この点について、ザ・ゲームの『ラックス』収録の“マイ・ライフ”でのリリックは示唆的です。ザ・ゲームは『From a block close to where Biggie was crucified. That was Brooklyn's Jesus, shot for no fuckin reason. And you wonder why Kanye wears Jesus pieces? Cause, that's Jesus people and Game, he's the equal(ビギーが十字架に架けられた、そこに近いブロックから連れ出してくれ。ブルックリンの救世主だったやつが、理由もなく撃ち殺されてしまった。なら、カニエがなぜジーザス・ピースを身につけているか不思議に思うんだ。カニエはイエスを信じているから。そして、俺、ゲームも、キリストみたいなもんだ)』とラップし、西海岸全盛期の時代にニューヨーク・ヒップホップに勢いを取り戻し、ブルックリンの救世主となったものの暗殺されてしまったビギーを、民衆の救い主でありながら十字架で殺されてしまったイエスに重ねています。

The Game / My Life ft. Lil Wayne


では、そのビギーがなぜジーザス・ピースを身につけたのかは、わかりません。ただ、ビギーが殺されたのは24歳というとても若い年齢です。青春時代にインナーシティでの死と隣り合わせの過酷な現実を経験しなければならなかったビギーが、イエス・キリストに何を見たのか。それについて考えてみるのも面白いと思います。

ビギーの死後、多くのラッパーたちがジーザス・ピースを身に着けるようになったのは、音楽で成功したことの証しとしてだけでなく、ビギーと同じくらいジーザス・ピースを身に着けるに相応しいリリシストであると考えているからかもしれないですね。

カニエ自身、2004年にヒップホップ・アーティストに宝飾品を作ってきた宝石商のジェイコブに頼んでジーザス・ピースを作っています。おそらくカニエも他のラッパーたち同様、自らの商業的成功を証明するためにジーザス・ピースを作って身に着けるようになったと考えられます。今では多くのラッパーが成功を誇示するためにジーザス・ピースを身に着けるようになりましたが、それについてザ・ゲームのように象徴的な意味を見出すラッパーもいます。どんなことでもラップの対象にするヒップホップの面白いところですね。そして、イエスを模した宝飾品が造られたということは、ラッパーたちにとってもイエスが何らかの魅力を持っているということを示していると思います。


小林 そうこうしているうちに、2008年には、ゴスペル・アルバム・チャート史上初めてヒップホップ・アルバムが1位になります。ルクレイの『レベル』です。

Lecrae / Rebel


2008年というタイミングで、こうした結果が出たのはなぜだと思いますか? もちろん、これはラップというスタイルが初めてゴスペルで受け入れられたということではなく、この10年ほど前には、ゴスペル・アーティストのカーク・フランクリンによるニュー・ネイションというプロジェクトで、すでにラップは取り入れられていました。そして、そこから今現在に至るまでフランクリンは、アルバムを出せば毎回総合アルバム・チャートの上位にランクされるほどの人気と知名度を有しているわけですが。

山下「以前の質問でお答えしたように、カーク・フランクリンの楽曲は、エネルギッシュなペンテコステ派のコンテンポラリーなスタイルです。それゆえに、黒人教会の礼拝スタイルがペンテコステ派化を遂げた90年代以降、カーク・フランクリンの楽曲は黒人教会の信徒たちに幅広く受け入れられたことで、チャート上位の常連になったのだと思います。モンゴメリーの高校に留学していたときに、同級生の女子学生がフランクリンの“コンカラーズ”のサビの『We are conquerors!』というフレーズを口ずさんでいたのを思い出します。

Kirk Franklin, The Family / Conquerors (Live)


一方で、カーク・フランクリンがラップを自身の楽曲に取り入れながらも、ゴスペル・ラッパーのアルバムがゴスペル・チャートで1位になったのが2008年となったのには別の要因があると思います。一言でいうなら、ラップというスタイルがようやく受け入れられたということです。『ヒップホップ・レザレクション』でも引用したゴスペル・ギャングスタズ(Gospel Gangstaz)のインタヴューでは、教会においてラップそのものに対するネガティヴなイメージやそのファッションへの偏見ゆえに、ゴスペル・ラップが受け入れられなかったことが指摘されています。このインタヴューが行われたのは1999年ですから、ルクレイがゴスペル・チャートで1位を獲得するまで、ラップするアーティストが教会に受け入れられるのにそれからさらに9年という時間がかかったということです。

また、教会や信徒たちがラップというスタイルを受け入れるのに時間がかかったことについては、もう一つ理由があると思います。カーク・フランクリンのようなクワイヤーのスタイルや、一般的なロックの影響を受けたCCM(注:コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)は歌を歌う音楽であるので、聴衆も一緒に歌って参加できるという要素があります。それに対し、ヒップホップは極めて個を主張する、個の経験を語る音楽です。また、会衆による賛美という観点からは、ラップというスタイルが会衆全体としての賛美には向いていない、礼拝のなかでみんなで一緒に歌う曲として使いにくいということも関係があるかもしれません。

『ヒップホップ・レザレクション』ではゴスペル・ラップをCCMの流れのなかに位置付けて論じています。CCMの起源は1960年代末に福音派の牧師がヒッピーに宣教したことに遡ります。その音楽的特徴は世俗で流行する音楽のスタイルを積極的に取り入れたことです。そして、伝統的な、ときに古臭いとみなされる讃美歌とは異なり、世俗で流行する音楽スタイルを取り入れたことで、新しい賛美の歌として若者たちに受け入れられていきました。ポピュラー音楽の歌詞は福音派的信仰的に相容れないけれども、その音楽スタイルが若者たちのあいだで福音派的価値観を共有するための手段となったということです。福音派の若者にとって、CCMは彼ら・彼女らが楽しめる世俗音楽の代用としての役割を果たしてきたわけです。ゴスペル・チャートがそのCCMの動向を表すものだと見るならば、ゴスペル・ラップが1位を獲得したということはアメリカ主流社会にもラップというスタイルが受け入れられていったことの証左ではないでしょうか。2000年代に入ると、ラップが〈ビルボード〉のホット100の1位になることも珍しいことではなくなり、CCMを聴く層にとってもラップというスタイルが受け入れられるようになったということです」


小林 このルクレイの6作目のアルバム『グラヴィティ』(2012)が、今度はビルボードの総合アルバム・チャートで3位を、7作目『アノマリー』(2014)については、1位を記録します。そして、リスナーはあまりダブっていないと思いますが、この2作のリリースの狭間の2013年に出たのが、カニエ・ウエストの『イーザス』でした。収録曲の“アイ・アム・ア・ゴッド”は、リリース前の時点で教会側から憂慮されてましたが、リリック、そしてゴッドの概念は、個人的には、「ブラックマンは皆ゴッド」というファイヴ・パーセンターズ的な、ラキムが使うゴッドに近いもののような気がしました。ただし、正式なクレジットでは、この曲はフィーチャリング・ゴッドとあり、アルバム・タイトルが『イーザス』であることを考えあわせると、カニエがジーザスであるかのようです。

Kanye West / I Am A God


カニエ・ウエストの打ち出したイーザスとはいったい何なのでしょうか? セレブ信仰と宗教的信仰、セレブではあっても黒人であることに起因する苦悶や受難とイエスの苦悶や受難、そういった比較を促そうとしているようにも見えますし、カニエというセレブがさらなる注目を浴びることを狙った宗教のコモディティ化のようでもあります。

山下「まず、カニエの“アイ・アム・ア・ゴッド”についてですが、わたしはあまりファイヴ・パーセンターズ的なニュアンスを感じませんでした。というのも、ファイヴ・パーセンターズは彼らの思想を厳格に受け止めているからです。たとえば、彼らの用いる『Supreme Mathematics(注:ファイヴ・パーセント・ネーションの基本概念のひとつ)』の理解を少しでも間違えると、偽者のファイヴ・パーセンターズと見なされてボコボコにされるということがあります。それゆえに、カニエが他のファイヴ・パーセンターズのラッパーたちに対して失礼にあたるようなことをするとは思えません。

この“アイ・アム・ア・ゴッド”というタイトルの『ア・ゴッド』という表現が、この曲、そして『イーザス』というアルバム・タイトルを理解するヒントとなっているように思います。カニエは『I am a God』とラップしていて、『I am God』とは決して言っていません。この『a god』と『God』には大きな違いがあります。

一神教での神は唯一の神であるので、Godは神の名を表す固有名詞となります。ですから、カニエが『I am a god』と言っても、その『a god』は唯一の神を意味するのではありませんし、自分を全能の神とみなす発言にはならないわけです。カニエが『I am a god』という表現を用いたことについて、MTVでのインタヴューでこんなことを述べています。『今では人種差別だけでなく、階級差別がはびこり、自己嫌悪によって多くの人が苦しんでいる。そんななかで、“俺は神だ”って言えば、“こいつは自分のことを何様だと思ってるのか”って言われるだろう。でも、俺は自分のことをそう思うから、そう言ったんだ。じゃあ、俺がI am a niggerとか、I am a gangstaとか、I am pimpっていうタイトルの曲を作ったほうがいいっていうのか?」と。黒人が自らをネガティヴなイメージで語ることは問題視されないのに(黒人社会、特に公民権運動世代からはそうしたヒップホップの楽曲への批判はありますが)、I am a godと言ったときには神を冒涜するものだと非難される。カニエはあえて自らを『神』と呼ぶことで、黒人にネガティヴなイメージを押し付け続ける人種差別を可視化しようとしたわけです。

カニエは『I am a man of God. My whole life in the hand of God. So y'all better quit playin' with God』とラップしています。カニエは自分は神に従順な者であり、神に命が守られているとラップしたうえで『quit playin with God』とラップしています。これは、自分が決して神を冒涜しているのではないということを伝えるのと同時に、人種差別が神の意志に反するものだからもうやめろ! と訴えているのだと思います。そして、このアルバムが出たのが2013年ですから、トレイヴォン・マーティン少年の射殺事件をはじめとする黒人の命が軽視される状況への批判だとも取れます。

また、先述のように、カニエはそれまでラッパーたちが自らに課してきたネガティヴなイメージを克服する新しいアイデンティティとして『a god』を用いた答えていますが、それは聖書的に考えることも可能です。つまり、神に属す者としての人間像を打ち出そうとしたということです。旧約聖書の創世記1章27節には『神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された』(新共同訳)とあります。この言葉から『神の似姿』(イマゴ・デイ/Imago Dei)というキリスト教における人間理解の中心概念が生まれました。

簡単に言うなら、イエス・キリストをとおして罪の赦し、神との和解が成立することで、人間は『神の似姿』へと変えられるというものです。神の前に進み出て、人種差別という罪を告白し、新しい生き方へと方向転換することで、『神の似姿』を与えられた者たちがこの世界を神の望むものへと変えていく働き手となると、カニエが考えているとも推測できます。

その点からフィーチャリング・ゴッドについても考えることができます。つまり、カニエは、自らを唯一の神から言葉を託され、この世に「quit playin with God(神を弄ぶな)」とのメッセージを発する預言者と捉えているということです。一方で、全ての人は自分と同じように神に属す者であるのだから、神に立ち返ろうというメッセージとも取れます。全ての人が神に立ち返るときに、この世界に救いが成就するという考え方です。好意的に捉えるなら、カニエは自らをその救いを伝える預言者イーザスとして描き出そうとしたのではないでしょうか。

しかし、この自己理解に基づく発言や行動が、自分への注目を集めるためのものとして見られてしまうのでしょう。カニエとしては、自分には神様から音楽という賜物を与えられているので、それを用いて神の国作りに貢献するのは当たり前だと意識してのことなのだと思います。ただ、その際に、自分をイエスになぞらえてイーザスと呼んだりすることを、多くの人は涜神的であると考えるのでしょう。また、イージー(Yeezy)を売って金儲けするための話題作りであるとみなされて、宗教のコモディティ化とも受け取られるのも仕方がないと思います。ただ、そのようにして得た収益をカニエがどのように使っているのかが明らかになれば、カニエの『預言者』としての本気度も見えてくるのではないでしょうか」


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