SIGN OF THE DAY

世界との格闘に明け暮れたシャムキャッツの
新たな出発点『Friends Again』を機に逡巡
と決断の10年史をメンバー4人と語る:前編
by SOICHIRO TANAKA October 20, 2017
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世界との格闘に明け暮れたシャムキャッツの<br />
新たな出発点『Friends Again』を機に逡巡<br />
と決断の10年史をメンバー4人と語る:前編

今年2017年の春にリリースされたシャムキャッツの『Friends Again』という作品の真価について改めて考えるには、ちょうどいいタイミングかもしれない。果たしてあなたは『Friends Again』というアルバムをどんな風に聴いただろうか。全11曲45分。はっきり言って、これほど世間のトレンドとは無縁の、孤高の作品はないと言ってもいいだろう。ceroの『Obscure Ride』と並び、2010年代半ばの国内インディ・シーンにおけるトレンドを決定付けた『AFTER HOURS』~『TAKE CARE』と比べれば、シーン全体におけるポジショニングはまったく違っている。勿論、音楽的にも。

では、まずはアルバム全体を音楽的に少しばかり微分して見ていこう。

①サウンドの基調になっているのは何の変哲もない8ビート。何かしら黒人音楽からの影響を受けたシンコペーションを効かせたビートが隆盛を極める時代において、これはかなり特異なことだ。シャムキャッツ自身、2014年の傑作『AFTER HOURS』からヒップホップ以降のビートを取り入れることを主眼のひとつに置いていたことを思えば、間違いなくこれはかなり大胆な転換だろう。

②収録曲11曲の大半がコーラス(=日本語で言うサビ)が存在しないAB形式。それは12小節のブルーズ形式から解き放たれたロックンロール/ロック以降の伝統的な形式であると同時に、90年代以降、所謂ロック・バンドの世界においてさえ、悪名高きコーラス至上主義が蔓延することですっかり失われてしまった伝統でもある。

AB形式と言われてもピンと来ない読者は、この島国のポップ・ミュージックがもっとも豊かだった80年代以前のメガ・ヒット・チューンーーちあきなおみの“喝采”、太田裕美の“木綿のハンカチーフ”、坂本九の“上を向いて歩こう”といった曲の構成を参照して欲しい。

ちあきなおみ / 喝采

太田裕美/ 木綿のハンカチーフ


勿論、中には“Hope”のようなプラスαの展開がある曲、AB形式ながらパートBがコーラス的な役割を果たしている“Funny Face”や“Lemon”のような曲もある。だが、特に本作の印象を決定付けている4曲ーー“花草”、“Coyote”、“台北”、“Travel Agency”といったトラックは純然たるAB形式だ。これもまた2017年においてはかなり特異なことだ。

ただ、夏目との共作も含め、菅原慎一の書いた4曲にはコーラスと呼べるパートが存在する。しかしながら、「コーラスが主でヴァースが従」という派手な緩急を持った展開からはほど遠い。そして、この4曲の存在がアルバム全体に対するコントラストとして機能することで『Friends Again』という作品のトーンを決定づけている。

③プロダクション的には、昨年の『君の街にも雨は降るのかい?』ーーきらびやかなサウンド的な冒険と実験を繰り返し、徹底した多重録音に向かった5曲入りEPとは真逆の、ほぼ4つの楽器と声だけを鳴らした極めてシンプルなプロダクション。かつ、ほぼ全曲で夏目知幸はエレクトリック・ギターをアコースティック・ギターに持ち替えた。つまり、どこまでも装飾を排した「バンド・レコード」。これもまた『Friends Again』の特徴だろう。

だが、おそらく昨年の『マイガール』『君の街にも雨は降るのかい?』の後に上梓された、この『Friends Again』の内容に面食らったファンもいるに違いない。奇抜なアイデアは皆無、ごくごくオーセンティックなロック・サウンドと淡い中間色のトーンにそっけなさを感じたり、肩透かしを食ったと感じたリスナーもいるだろう。総じて、ここ2年、大幅に覇権地図が書き換えられつつあるシーン全体の中で、ともすれば、この『Friends Again』は見過ごされてしまいがちな1枚だったかもしれない。

2015年以降の新世代インディ・バンドのブレイクを見るつけ、キャリアを構築していく上で、何かしらのトレンドの延長線上でそれを拡大再生産することこそが不可欠だったということに異論を挟む者はいないだろう。『Obscure Ride』以降のceroの沈黙を見れば、ドラスティックな変化を嫌う、この島国のポップ・シーンにおいてオリジネーターであることは必ずしも得策ではないことを痛感させられる。

だが、敢えてシャムキャッツはオリジネーターであることを選んだ。これまで自分たちがやってこなかったサウンド、同時代の誰もがやっていないサウンドに向かった。時代と適切な距離を取ることで、何よりも10年後にも聴かれ続ける新たな代表作を作ることに腐心した。そうした決断が実を結んだのが『Friends Again』という傑作だ。

このレコードの立ち位置を説明するために、筆者はその両側にノーネームの『テレフォン』とヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1stアルバムという二枚の傑作を置きたい。例えばビヨンセのように誰もが自らの言葉を拡声し、顔の見えないマスに大声で語りかける時代にあって、ひとりひとりのリスナーにまるでわざわざ電話をかけて話しかけるような小さな声で、だがしっかりとした言葉で語りかけようとしたノーネームの『テレフォン』。サマー・オブ・ラヴの狂騒の中で、その影の部分にフォーカスを当てることで、時代の別な側面をしっかりと後世まで伝えることに成功した『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&二コ』。その二枚をその両側に置きたい。

つまり、キャバクラ嬢へのプレゼント用の、ギラギラとした原色の花梨を持った過度に品種改良された派手派手しい花ばかりを並べた、深夜営業の花屋のような日本のポップ・シーンにあって、この『Friends Again』は野に咲く白粉花のような美しさ、凛とした気高さがある。

そして、この作品の真価は、前述のような音楽的な形式だけでは言い表せない。その真価は、①②③で述べた形式と、それぞれのリリックの組み合わせによって描き出されたフィーリングにこそある。アルバム全体の基調になっているのは、今にも壊れてしまいそうな儚さ。ほんのつかの間の、瞬間のきらめき。そんな歓喜の瞬間にも消せない不安、静かに忍び寄る暗い影。過去の記憶におびやかされ、未来の不安に翻弄される今。だが、そのかけがいのない瞬間をしっかりと抱きしめようとする身振り。つまり、このアルバムが描き出しているのは、メディアやSNS上には決してその痕跡を残すことのない、誰もが自分の胸にだけしまい込んだような声にならない声だ。だからこそ、とても切ない。儚い。

この『Friends Again』は、四六時中取り憑かれたように聴いてしまうレコードではない。これから10年先もずっと机の引き出しにしまったまま何度も取り出して繰り返し読み返す、大切な友人からの手紙のようなレコード。聴き手に無理やりフックをしかけるアルバムではなく、出会ったばかりの友人をそっと招き入れる暖かい暖炉のようなアルバム。日々のすべてに疲れてしまった時、何かを信じられなくなってしまった時、諦めが静かに手招きする時ーーそんな時のためにポケットの奥に忍ばせておくようなレコードだ。

あなたにとって、この『Friends Again』は、時が経つにつれて、二度と手放せなくなってしまうレコードになるだろう。

ここまで可能な限り、筆を尽くしたが、ここからはメンバー4人の力を借りることにしたい。企画の発端はこうだーー「シャムキャッツの4人でさえ、まさか自分たちがこんなアルバムを作るとは思いもしなかったのではないか?」。5年前の、あるいは、10年前の彼らだったら、この『Friends Again』をどんな風に聴くだろう? そこで我々〈サインマグ〉は、シャムキャッツの10年のキャリアを足早に振り返ってもらいながら、その時々の彼らが残した作品と比較しながら、この作品の位相をまた別な角度から浮き上がらせることにした。是非、楽しんで欲しい。




●『Friends Again』のリリースから数ヶ月が経って、このアルバムに対する何かしらの新しい発見はありましたか?

夏目知幸(以下、夏目)「いまだ気持ちよく聴けるんですけど、やっぱり自分の精神状態によってグッとくる曲が違っていて。ライヴの時も、自分はそれが如実に出るな、っていうのは感じてました。それが発見ですね。聴いてくれた人の感想もみんな違うんで、すごく面白かったし。その人の聴いた時の気持ちがそのまま映る気がしたから、『鏡みたいなアルバムを作ってしまったのかもしれないね』って藤村に言ったら、『でも、アートはそもそも鏡じゃなきゃいけないから』って。それなら正解だと(笑)」

藤村頼正(以下、藤村)「いやもう、圧倒的にしっくりきてるんですよ、このアルバムは」

夏目「レコーディングはかなり冷静な状態でやったんですけど、『もう少しわかりやすく、エモーショナルにさせることも必要なのかな?』と思った時もあったんです。でも、『いや、今作はそういうもんじゃないだろう』と思って」

●じゃあ、やっぱりアルバム単位でも曲単位でも「エモーショナルだったり、大きな緩急をつけたりすることとは距離を置こう」という明確な意識があった?

菅原慎一(以下、菅原)「ありました」

夏目「まあ、そういう音楽がちょっとうるさいな、と思っちゃってる時だったというか」

菅原「『マイガール』と『君の町にも雨はふるのかい?』で、自分たちが考えるロックみたいなやり方――より装飾的に音を重ねたり、歪ませたり、空間系のエフェクトを施したり、っていう方向がヒートアップしていく中で、ちょっとそこに飽きたというか、疲れたっていうのはありましたね。だからその反動が起きたのかなって」

●ここ10年、日本のポップ音楽というのは、とにかく音圧を上げて派手にしたりだとか、「ヴァース、ブリッジ、そこからコーラスで一気に盛り上がりを作る」みたいな構成が多いわけですよね。そことも距離を取りたい、それとは違う音楽を作りたい、という部分はあったんでしょうか?

夏目「なるべく多くの人に聴かせようと思うと、どうしてもAメロ→Bメロ→サビみたいな構成になりますよね。(コードは)Cから始まって、FでBメロ、で、またCに戻る、みたいな。でも、何曲かそういうのに挑戦してみた結果、根本的にそういうのが好きじゃないな、っていう気づきはあって。もともとサビなんてなるべくない方がいいと思っている方だから、無理してやるのはやめようって」

●うん。わかります。

夏目「だから、めちゃくちゃ広い人たちにバラ撒いてみて、誰が引っかかるか? とかじゃなくて。どこかに住んでる人に手紙を書くような感じでもいいのかな、と思って。その結果こうなったというか」

菅原「うん、まさに僕もそうでした」

夏目「ただ、知ってる人たちに手紙を送るみたいな感じで作ったから、送られてない人たちからすれば、『ん?』みたいになるのかな?」

●いや、そんなことはないよ。ただ、一見これまでよりもシンプルでストレートなサウンドだし、モードとしても穏やかだから、最初の取っ掛かりを見つけるのが時間がかかるレコードかもしれない。実際、これは説明がすごく難しいレコードでもあると思うんですよ。

夏目「うん」

●なので、何故、この『Friends Again』がこういうレコードになったのか、バンドの最初期からの変遷を振り返りながら位置づけて行きたい、っていうのが今回のインタヴューの趣旨です。

夏目「わかりました」

●じゃあ、遡って訊かせて下さい。最初のCD-R『はないき』を出したのが2007年。それからちょうど10年が経っているんですよね。もし『はないき』を作った頃の自分たちが『Friends Again』を聴いたら、どんな感想を持つと思います?

シャムキャッツ / 魔法の絨毯 (from『はないき』2007年)


菅原「2007年だったら、『妙齢のバンドいるな』って思っただろうな(笑)」

●妙齢のバンドって(笑)。

菅原「でも、なんか匂いというか、『実はここがポイントなんだよね』みたいなところを嗅ぎ取ってくれるんじゃないかなと思いますね」

藤村「最初からとっつきやすい感じではない気がします。でも逆に、『いや、すげえぞ、このバンド!』って盛り上がってそうな気がしないでもないな」

夏目「うん、わかる」

●逆に今の視点で振り返ると、当時の音楽性はどう映りますか?

大塚智之(以下、大塚)「俺が一番最初に夏目の曲を聴いた時の感覚は、『Friends Again』を聴いた時と近いんですよ。今までの中でも一番近い。たぶん、夏目がパーソナルな感じで作ってきた曲だからかな」

●なるほど。

大塚「夏目は今までシャムキャッツの4人それぞれが活躍するようなイメージで曲を作ってきてたと思うんですけど、今回は夏目が普通に書いてきた曲をこの4人でやる、って感じだから」

●ある時期から、夏目くんや菅原くんは、『はないき』の頃のように自分の作りたい曲を素のまま作るというよりは、世の中にシャムキャッツというバンドをきちんと知らしめるという別の目的意識が生まれて、そこと自分自身のやりたいこととの接点を見出しながら曲を作るようになったということでもある?

夏目「そうだよね?」

菅原「うん」

夏目「ただ、『はないき』と今回で明らかに違う点は、当時はライヴをすることすら一切考えないで作ったことで。実際、してなかったし。でも、今回はライヴが頭にあるから。そこはちょっと違うんじゃないかな。でも、それを除けば、共通項を感じる方が強いかも」

●今思い出すと、その頃から『はしけ』(2009年)に至るまでの4人の目的意識はどういうところにあったと思いますか?

夏目「僕は、何にも回収されない音楽というか、すべてのカウンターになり得るものをやりたくて仕方なかったんですよ」

●なるほど。

夏目「でも、全然出来ないんですよね。『また何々っぽくなってしまったー』というヘコみを繰り返す毎日。だから、何かを参照して音楽を作ったりとか、一切しなかったんですよね。それはダサいと思ってた」

菅原「俺らの時って、みんなそうだったよね? たとえ、何かを参照してても絶対にそれを言いたくない、っていう感じはあったと思う」

夏目「まあ、世代的にそうってところもあるのかも」

●当時、同世代のバンドたちはどういった音楽をやっていたか、覚えています?

夏目「俺の印象だと、高校生の時にナンバーガール、くるり、スーパーカーがすごい流行って、ミッシェルもゴーイング・ステディもいたっていう、そういう感じだったんですよ。で、同じ青春時代を過ごした奴らが大学でバンドを組み出したんですけど、『えっ、弟子入りしたの?』みたいな音楽ばっかりやってて。ストロークスも高校の時だったけど、大学に行ったらストロークスみたいなことばっかりやってる奴らがいたりして。『えっ、それなの?』っていう。そういうことはしたくない、っていうのが一番デカかった」

●ただ、2008~2009年くらいになってくると、アメリカのインディが最高に面白くなってくる時期を迎えたわけじゃないですか。そこには何かしらのシンクロニシティを感じたところはあったんじゃないですか?

菅原「個人的にはめちゃくちゃありましたね」

夏目「あったし、好きだったよね。ただ、それを自分たちでやろうと思っても、全然取り入れられないっていう(笑)。ヴァンパイア・ウィークエンドみたいな曲を作ってみたりしたんですけど」

菅原「ダーティ・プロジェクターズが2009年に渋谷クラブ・クアトロに来てるんですけど、それで影響受けまくって。デイヴ(・ロングストレス)がやってる、脱臼した感じのギターをちょっと入れてみたりとか(笑)」

夏目「ディアフーフみたいな曲を作ってみたりとか」

菅原「ペイヴメントをその流れで知ったりね」

夏目「ディアハンターみたいなディレイかけてみたりとか(笑)」

●じゃあ、『はしけ』の頃には、そういうUSインディと共振するようなモードになってた?

シャムキャッツ / 忘れていたのさ(from 『はしけ』2009年)


夏目「マインド的にはもうなってました」

菅原「ただ、お金と機材と技術がないので」

夏目「知識もね」

大塚「何もないじゃん(笑)」

●大塚くんは、当時その辺のマインドはシェアしてたの?

大塚「してない」

●だよね(笑)。じゃあ、当時の大塚くんは、どんな距離感で3人とコミュニケーションを取っていたんですか?

菅原「俺、バンビ(大塚)とコミュニケーション取ってなかったよね、一切」

大塚「だよね(笑)」

●(笑)。

大塚「でも、夏目の『カウンターになりたい』みたいなマインドが共感出来るものだったからこそ、シャムキャッツを続けていきたいと思えたところがあって」

●なるほど。

大塚「当時から自分はマイルス(・デイヴィス)とかが好きだったんですけど、たぶん、そういうのが好きで日本のインディでやっている人はいないだろうな、と思ってたから。だから、自分が日々聴いてるものを挟み込んでいくだけで、カウンター足り得る音楽が出来るんじゃないか、って。僕はそういう気持ちでずっとやってましたね。だから、周りの意見を聞く必要もないというか(笑)。自分がやりたいことを差し込んでいっただけ、っていう」

●今、大塚くんが話してくれたような、当時のシャムキャッツの組織論が続いていくのはいつ頃まで?

夏目「やっぱり『たからじま』(2012年)までじゃない? その後から、何かが変わったような気がする」

大塚「うん、『たからじま』までは、本当に内緒で入れてく感じでしたね」

菅原「それに気づいて、お互いにちゃんと補完し合えるようになったのは、『AFTER HOURS』(2014年)から徐々に、って感じで。バンビがやってることは基本的に変わってないと思うんです。でも、今は僕たちがそこに気づいてるから、『おお、ありがとう!』みたいな気持ちを持ててる(笑)」

大塚「なるほどね(笑)」

●(笑)じゃあ、『はしけ』の頃になると、シャムキャッツはライヴハウスでも頻繁に演奏するようになりますよね。その現場からのフィードバックがバンドに刺激を与えたところはあったんですか?

藤村「『はしけ』を出して、ライヴ力を上げていかなきゃってことで、2010年は〈東京ボアダム〉とか、ハードコア・シーンにちょっと入ったりしてて」

藤村「そこで『負けらんねえな』っていうか、そういう人たちにも面白がってもらえるようになりたいっていう意識がありましたね。実際、俺はその頃から明らかに音がデカくなったと思う」

夏目「対バンがそういう感じだったからね(笑)」

●(笑)。

夏目「でも、自分で昔のことを振り返った時も、その時期のことはよく思うかも。なぜか〈レスザン〉の影響化でバンドをやってる人たちとか、〈秋葉原グッドマン〉でやってるようなパンク/ニューウェイヴから出てきた人たち、ちょっとスカム入ってるような人たちと絡んでたんですよね。っていうか、その人たちに受け入れてもらえてた(笑)」

菅原「そう、そこが居場所だったよね」

大塚「結構、今を形成した時期かもね」

●なるほどねー。音楽的には自分たちとは違うんだけど、そのシーンにはどこかしっくりくるところがあった?

夏目「しっくり来たというか、そこにいる人たち全員が例外だから、自分たちがそこに入り込んでも例外みたいに扱われない、みたいな」

菅原「普通に受け入れてくれる」

夏目「そうそう、心が広いよね」

●わかる気がします。

夏目「で、2010年後半くらいから、俺たちみたいな厄介者が、いろんなところから少しずつ集まり始めたんですよね。それがアルフレッド・ビーチ・サンダル、王舟、cero、昆虫キッズとか。他にもたくさんいるんですけど。そこでやっとやりやすくなったというか、自分たちがどういうバンドなのかも少しわかってきた」

●なるほど、なるほど。それが2010年とかの話だ。

菅原「彼らと一緒に3マンとかやっても、お客さんがめっちゃ入るっていう。そういうのは結構、希望だったから」

夏目「それはかなり感じてたかも。友達のバンドが出来ると、二つのバンドがどっちも好きな人とか、お客さん同士の繋がりも目に見える感じで現れてきて。そうすると、現場の空気がただの発表会じゃなくなるんですよね」

●確かに。

夏目「それまではライヴになると、こっちからお客さんに向けてるだけだったけど。『ああ、俺、こういう社会で生きてるんだな』っていうのは、その時期に初めて感じたかもしれない」

●じゃあ、周りのバンドだけじゃなくて、当時のお客さんも含めて、何かしらコミューナルなものを感じ始めたのが2010年後半。で、2011年には“渚”をシングルでリリースするわけですよね。

シャムキャッツ / 渚 (2011年)


●この曲はシャムキャッツの最初の代表曲にもなったわけだけど、確か以前にも夏目くんはこの曲のリリース自体にも、あまり乗り気じゃなかったと話してくれた記憶があります。

藤村「俺がウミネコサウンズの古里おさむさんのところでたまにドラムをやってたんですけど、その時に古里さんに“渚”のデモを聞かせたんですよ、そしたら、『これは絶対に出した方がいい』と言われて。俺も『これは響くんじゃないかな』って思ってたんです。で、おさむさんのテープMTRで録り直して、今もエンジニアをやってくれてる柏井日向さんがミックスしたら、『どエラいもんができたぞ!』っていう」

●じゃあ、藤村くん主導のアイデアだったんだ?

夏目「うん、そうだよね。俺はもう、やれと言われたからやった、っていう感じ」

●菅原くんは、当時あの曲をレコーディングすることに関しては、どれくらい乗り気だったんですか?

菅原「夏目が思ってることと、ヨリさん(藤村)が思ってることの半々くらいでした。個人的な話をすると、初めて曲作りに積極的に参加した曲で。コーラス・ワークを自分で考えてプレゼンしたり。だから、みんなで作業した感じがあの曲にはあるかな。ただ、あの時期はホントいろいろあって」

夏目「うん。2010年はデモを3枚出して、ライヴをいっぱいやって地力をつける、っていうのを目標にしてやってきたんです。で、2011年はシングルを自主で出して、その後に〈Pヴァイン〉と契約して、年内にはアルバムを出すっていう計画だった。でも、シングルを出した二日後に震災があって」

●ああー。

菅原「ちょうど〈Pヴァイン〉のディレクターと夏目がミーティングする予定だった日で」

夏目「その日のミーティングはおじゃんになって。で、結局、〈Pヴァイン〉から出すのは一年遅れるんですよ。『たからじま』は2012年の12月ですから。だから、ずっとこういう感じなんですよ」

●つまり、何か光明が差してきたと思った瞬間に、何か厄介なことに直面してしまう?

夏目「『手伝ってくれるみたいだから、一緒にやってみようよ』みたいになると、そこで何かが起きてダメになる。『じゃあ、自分たちでやるしかないな』と。そういうのを繰り返してるね(笑)」

●じゃあ、〈Pヴァイン〉との話が延期になった段階で、その先の一年をどうするか、また考え直したっていう?

夏目「そうですね」

菅原「ただ、“渚”の反応はすごくよくて。『お客さんが増えてきてるな』っていうのは感じてました。それはライヴの動員でもそうだし、知名度的なところでもそう。地方でも名前が知れ渡ってきた時期で。たぶん、その時に初めてタナソウさんとも会ったんですよね?」

●俺が初めてシャムキャッツを観たのがーー。

藤村「『サマー・ハイ』(2011年8月)のレコ発ですよね? 下北沢シェルターでの(2011年10月3日)」

シャムキャッツ / サマー・ハイ(teaser)[2011年]


●そうそう。当時の自分の話をすると、新しい海外のインディ・シーンに夢中になってて、同時に、日本のメインストリームでやってるバンドにホント辟易していた時期で。

夏目「うんうん」

●だから、当時はいろんな人に「いま日本のバンドで誰がいいの?」って訊いてたのね。そしたら、曽我部くん、ザ・ビーチズのヒサシくん、それと当時は〈クラブ・スヌーザー〉のレジデントで、今は〈Mikiki〉編集部の田中亮太の3人がそれぞれ口を揃えたかのように「シャムキャッツ」って答えるっていう話があって。それでライヴを観に行ったんだ。でも、ごめんね、あの時(笑)。

夏目「アハハ(笑)。いやいや、全然ごめんねじゃないですけど」

菅原「ん?」

●俺、そのライヴでやらかしたのよ。

夏目「あの日のライヴは最後に“サマー・ハイ”をやったんだけど、タナソウが『最後の曲以外はよかったなー』と言ってたっていう(笑)」

菅原「ああ! それは知ってる(笑)」

●ライヴ終わった後に「いや、めっちゃよかったわー! 最後の曲以外は」って言ったら、自分の前にいたお客さんが5人くらい、パッと俺の方を振り向いたからね(笑)。

藤村「そんなに大きな声で言ったんだ(笑)。その時はみんなで、『タナソウっぽいなー』って言ってたけど(笑)」

夏目「でも俺は『ああ、わかるな』と思ったけどね」

菅原「まあ、その通りだよね」

夏目「実際、あの曲はもう一生やらなくていいだろうと思ってたんですけどね。結構よく言われるんですよ。この前もMONO NO AWAREのギターの子に『今日、“サマー・ハイ”やらないんですか?』って。それで『え!』みたいな(笑)」

大塚「よく知ってるよね、みんな(笑)」

●でも、どこかでやるタイミングがある気もするけどね。まあ、俺が言うなって話だけど(笑)。

夏目「(笑)一応、一年に一回くらいはやるようにしてるんですよ」

●ただ、“渚”をシングルを出したことでシャムキャッツにまず最初の注目が集まった。で、「次にもう一枚シングルを出そう」となった時に作りたいものは明確だったんですか?

夏目「明確ではなかったですね。〈Pヴァイン〉と一緒にやるのは、シングルを2枚出してからっていう話だったんですよ。で、『次はどうしよう?』ってなった時に、『アルバムには入らないような感じの曲がいいんじゃないか?』っていう話になって。だから、わかりやすくスローなバラードで、サビがあるっていう。当時の俺からしたら一番やりたくない曲なんだけど、『たぶん、こういうのは金輪際やらないだろうから、逆にやっとこう』みたいな感じで作った記憶があります」

●あの日のライヴはホント衝撃だったんだけど、実際、当時のシャムキャッツのライヴって、それまでにハードコア界隈で培ったものがあり、のちに「東京インディ」と呼ばれるような共通項があるバンドたちとの出会いもあり、なおかつUSインディっていうロール・モデルがあるっていう、そのすべての流れが集約されていた感じがあったよね。

夏目「そうそう。そう言われると、見事にそれが混ざってましたね」

藤村「ちょうどその一ヶ月後くらいにceroと昆虫キッズと3マンを渋谷WWWでやったり。それが2011年の11月だったと思う」

菅原「いま思えば、『届いてるかも?』って無邪気にワクワクしているところがあったな。自分が一方的に知ってる人たちも観に来てくれたり、っていうのもデカかったし」

夏目「そう言われるとそうだね。それ以前と較べたら」

●で、そのライヴから間もなく、ミニ・アルバム『GUM』(2011年11月)を出して、その一年後に〈Pヴァイン〉から『たからじま』(2012年12月)を出す。この頃は、それぞれの作品でどういうものをアウトプットしたいっていうアイデアがありました?

シャムキャッツ / GET BACK(from『GUM』2011年)

シャムキャッツ / No.5(from『たからじま』2012年)


藤村「『GUM』はわりと寄せ集めっぽかったかな」

大塚「俺は、『GUM』も『たからじま』も寄せ集めな感じだったと思ってるんだけど」

夏目「うん、俺も。どういうものをアウトプットしたいっていう具体的な形はなかったかな。新しいものを作りたいっていう気持ちとか、エネルギーだけはたくさんあったけど。それ以外のものはないというか。センスだけで押し切る感じだったから(笑)。でも結構、辛かった思い出があるな」

●というのは?

夏目「最初にCD-Rを出した2007年から4~5年経ってるから、『今度はこういうのをやるぞ』みたいなものもなくなってきてるし、周りから『じゃあ、こういうのを作ってみたら?』みたいに言われるのも、なんかちょっと違う感じだったし。わかんないなっていう。でも、自分のキャラクターとしては、ちょっと張っていかなきゃいけないというか(笑)」

●とにかく気合いを入れていかなきゃならない、っていう?

菅原「その時の夏目って、スケジュール面とか、これからバンドをどうしていくか、っていう仕事もきっちりやってくれてたよね。社長寄りの気質がより強く出てたっていうか」

大塚「リリースのスケジュールも基本的に夏目が考えてた」

●じゃあ、ソングライターやフロントマンとしての役割とは別に、バンド運営についても考えてたし、考えざるをえなかった時期?

夏目「正直、2010年くらいからそんな感じで、それが『TAKE CARE』(2015年)を作り終わるくらいまで続くんです。長い病気の始まり(笑)」

●う~ん、なるほど。

夏目「これは少し前にTHE NOVEMBERSの小林くんと話したことなんですけど、やっぱり曲を作るのは蝶々を捕まえるようなものだから、ちゃんと網を持って蝶々が来るのを待ってなきゃいけないし、来ない時は歩いて探さなきゃいけない。でも、『蝶々はあそこで取れるかもしれないから、ここにレールを引くぞ』みたいな作業をしなきゃいけない時があって。でも、レールを引くための工事をしてたら、いつの間にか蝶々はどこにもいなくなってた、みたいな。そういう感じだったんですよね」

大塚「運営が大変で、クリエイトする部分に集中出来なかったってことね」

●じゃあ、『たからじま』の10数曲を集めるのは大変だった?

夏目「超大変。全然出来ない。あの時はホント、なんで出来ないのかも全然わかんなかったんだよね」

菅原「リード曲の“なんだかやれそう”も、結構、直前に出来たりして」

シャムキャッツ / なんだかやれそう(from『たからじま』2012年)


●確かあの曲は最後に書いた曲なんだよね?

夏目「そう。プロデューサーのおさむさんから、『夏目くんはどう思ってるの? 本当に思ってることを曲にした方がいいよ』って言われて。それで振り絞ったのが『いやー、大変ですけど、なんだかやれそうな気はしてるんですよね』っていう。『じゃあ、そういう曲にしなよ』って言われたから、『これはもう、そういうものなのかな』って思って頑張ってみたんです(笑)」

●逆に『たからじま』以前の夏目くんは、どういうメカニズムでソングライティングをしていたの?

夏目「かわいい女の子と出会ったら、その子の曲が出来たり。ちょっとしたフラストレーションがあったら、それが叫びになったりとか。そういう感じで出来てたと思う」

●つまり、自分自身の経験から感情の突端を切り取ってやって、それを起爆剤にしていくっていうスタイルですよね。でも、“なんだかやれそう”は、それと違うやり方だった?

夏目「そうですね。やっぱりアート作品を作ってるわけだから、自分の中にある何かを爆発させないと意味がない。でも、“なんだかやれそう”は、『爆発してるぞ!』ってところを見せたいだけのように感じるから。だから、本当に爆発してないんだよね、俺としては。爆発してますよ、っていう張り紙を自分の前にたくさん貼っただけ」

●素直に自分の中から出てきたものじゃないと感じる?

夏目「うん、だと思う。それが曲としていいかどうかは、別なのかもしれないけど」

●じゃあ、今、改めて『たからじま』を振り返ると、どんな風に評価しますか?

菅原「僕は、すごくバンドっぽくて、最高のレコードだと思ってます。ある意味、『AFTER HOURS』よりも気に入ってるくらい。なんていうか……全部いい曲なんですよね、あれ」

夏目「ハハハッ!(笑)」

菅原「大きなレーベルから出す初めてのCDだったし、あそこにはフラストレーションも含めて、色々こめられている感じがしてて」

●俺がよく覚えてるのは、「このアンサンブルって、本当にアンサンブルと呼べるのかな?」みたいなことを4人に話したことで。

夏目「言ってた、言ってた(笑)」

interview with Siamese Cats - ドヴェンチャーしないとね!

●それは裏を返すと、ひとりのソングライターやプロデューサーがバンドを導いてたら、絶対にこんなレコードは出来ないってことなんですよ。どう考えても、このアンサンブルと構成で、このアレンジに落ち着くわけはないだろうと。だから、バンドにしか作れない、理想的な「バンド」のレコードだっていう。

藤村「そんな感じですよね、あれは」

菅原「でも、それがいいよね。俺は好きだな」

夏目「あの時は、デモもそんな真面目に作ってなかったよね?」

菅原「1フレーズを持ってきた状態で、まず4人で完成させて、レコーディング当日に初めて歌詞とメロディを知る、みたいなことも結構あって。詞とメロディを知らずに、オケを作ってたんですよね」

夏目「その頃の俺は、社長業が忙しかったから(笑)」

●(笑)じゃあ、さっきと同じ質問。『たからじま』の頃の自分たちが『Friends Again』を聴いたら、どんな感想を持つだろうと想像しますか。

夏目「どうなんだろう? たぶん、俺はちょっと物足りなく感じるんじゃないかな。というか、『はしけ』の時でも『たからじま』の時でも、どの時代の俺が『Friends Again』を聴いても、絶対に俺は『今の俺がやりたいことじゃないな』って言うんじゃないかな」 大塚「ああ、それは俺もそうだね。どの時代の自分もそう言うと思う」

●(笑)それだけ以前の自分たちからは想像もつかないレコードだってことだよね。

菅原「僕は、『はしけ』の時の自分ならめっちゃ共感したけど、『たからじま』の時の自分だったらあんまり好きじゃないかも。やっぱり普通過ぎるし、波風立ってないから、物足りないと思うのかもしれない」

藤村「僕もそうかもしれないですね。『たからじま』の時だったら」

大塚「確かに『たからじま』はレコーディングを振り返ってみても、ハプニングというか、その場での発想が多い時期でもあったので。だから『Friends Again』を聴いたら、『これ、別に今やらなくてもいいんじゃない?』みたいに思うかもしれない。でも、曲単位でいくと、なにかしら『Friends Again』に近いものも見つかるだろうとは思います。共感出来るところはもちろんあるはずで」

夏目「ちょっと羨ましいな、とは思うかもしれない。『たからじま』の頃の俺が『Friends Again』を聴いたら。無理してなくていいなって(笑)」

●いかに『たからじま』時代は無理をしてたかってことだ?(笑)。つまり、夏目くんにとっては、『Friends Again』のサウンドやフィーリング、それぞれの曲のキャラクターの考え方が、当時の自分には受け入れられないだろう、みたいなところもある?

夏目「うんうん、そうですね(笑)。なんなら、そこが表裏一体なのかもしれない。『羨ましい』と『受け入れたくない』がほぼ一緒の感じなのかな」


世界との格闘に明け暮れたシャムキャッツの
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と決断の10年史をメンバー4人と語る:後編


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