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KiCk i Arca (Beat) by TSUYOSHI KIZU
KOHEI YAGI
July 21, 2020
KiCk i

アイデンティティの探究の果てに――
エクスペリメンタル・ポップの「・」のなかにある自由

本作のリリースに際したオフィシャル・インタヴューを担当したのだが、そこでアルカは自身のジェンダーをノンバイナリーかつトランスジェンダー女性であると話してくれた。それは自分にとって両立するものなのだと。あるいは、〈i-D〉によるインタヴューでは、トランジションを経てなお「ゲイとしての私が完全に消えたと思ってほしくない」と語っている。「ゲイであることというのはひとつの文化的な産物で、それは個人のものでも集団のものでもあるし、私自身はそれを放棄するつもりはない。私はただ、全部手放したくないだけ。」 

SOGI(セクシュアル・オリエンテーションとジェンダー・アイデンティティ、性的指向と性自認)におけるフルイディティ(流動性)やさらなるグラデーションは近年広く認識されつつあるが、アルカの表現ははじめから入り組んだ性にまつわる自己探求であった。無性の生物の象徴とされた『ゼン』(2014)や、異物を自身になぞらえた『ミュータント』(2015)というコンセプトからは、とりわけそのジェンダーやセクシュアリティにおいて、特定の枠にあてはめられることを拒絶するかのような鋭利さがつねに存在していたように思う。

しかしながら、故郷ヴェネズエラのフォーク音楽であるトナーダを参照しつつ幼少期の記憶をメランコリックに引っぱり出した『アルカ』(2017)を経て、60分超えのシングル『@@@@@』と本作『キック i』では変わらぬ攻撃性を携えつつも、明らかに「拒絶」とは異なる開放感と肯定感を纏っている。何しろ本作は、アルカ史上もっともアクセスしやすい「歌ものポップス」なのだから。

歌といっても前作のような物悲しいフォーク・ミュージックではなく、ラテンといってもトナーダではなくレゲトン。ダンサブルでバンガー。インダストリアルとシンセ・ポップとオペラとIDMが入り乱れる様はこれまでと同様だが、初期やミックステープやDJプレイほどのランダム性はなく、(アルカとしては)かなり整頓されている。その傾向はビョークやシャイガール、ソフィーが参加したトラックを聴けばわかりやすく、言ってしまえばゲスト陣の音楽性にかなり寄せているのである。とくにロザリアが参加した“KLK”はスペインとラテン・アメリカという異なるラテンがファンキーに交差するトラックで、ロザリアの存在なしにはありえなかったものだろう。曲によってムードがはっきりとわかれていて、なおかつ、歌のあるトラックは歌は中心に据わる。とてもキャッチーだ。また、ソフィーが参加した“ラ・チキ”だけでなく、全編を貫いているポップスをどのように先鋭的に調理するかという命題は、彼女の作風に影響されたものだろう。

『キック i』には異なる多数のアイデンティティが同時に息づいていて、そのことに対する強い確信がある。特定の枠に入れられることは「拒絶」するものではなく、ただ不可能なものなのだ、と。異なるトーンの声が重ねられ、交錯し、しかしそのすべては「アルカ」の名のもとに自身の官能として解き放たれていく。アルバム冒頭、まさしく彼女が彼女であることを高らかに告げる“ノンバイナリー”では「あなた自身の状態を宣言しなさい」と繰り返されるが、アルカにとっては複数のアイデンティティが自分のなかに同時に存在することこそが「自分自身の状態」なのである。

男/女、実験/ポップ、ルーツ/革新といった二元論を超えた……のではなくむしろ、その「/」の間に本来あるはずのグラデーションを軽やかに行き来するエレクトロニック・ミュージックの自由。アルカが本作で達成したのはそのようなもので、特定の状態に縛られないこと、変化し続けることの興奮がポップ・ミュージックという無限の可能性を持つフォーマット上でこそ表現されている。切実ではあるが、とにかく抜けがいい。本作はきっと、これからの時代の新しいアイデンティティのあり方を示唆してすらいる。

文:木津毅

複数の声と共に切り開く新たなスタート
2010年代屈指のカリスマが迎えたターニング・ポイント

2020年も後半にさしかかった今、もう一度アルカのことを思い出すために、ふたりの音楽家を召喚しながら2010年代を振り返る。ふたりの音楽家とはジェイムス・ブレイクとワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下、OPN)だ。そこにアルカを付け加えると、2010年代の先鋭的なエレクトロニック・ミュージック・シーンをおさらいするのに欠かせない、いわばビッグ3が完成する。彼らは異なる出自から現れて、キャリアを積み重ねていく過程でバラバラに象徴的な動きをしつつも、すこしずつ重なるところがあった。だから彼らについて考えると、2010年代におけるエレクトロニック・ミュージックのフロンティアが持っていた特徴の一片がわかる。

UKのベース・ミュージックからポスト・ダブステップの寵児として現れたジェイムス・ブレイクは、ビヨンセやケンドリック・ラマーをはじめとしたUSのビッグネームと仕事をし、国境やジャンルを軽々と飛び越えて見せた。OPNは、2010年代におけるひとつの大きなアート・ムーヴメント、ヴェイパー・ウェイヴを広めた張本人のひとりであるだけでなく、彼の手掛けたサウンドトラックがその映画と共に高い評価をうけ、インディのエレクトリック・ミュージシャンが劇伴を担当するという現在に至るまでのひとつの流れを可視化させてみせた。そして、ポスト・インターネット世代が産み出したカリスマであるアルカは、ヴェネズエラで生を受け、インダストリアル・テクノ新世代として登場し、音楽を一歩前に進めてみせた。アルカはノンバイナリーのトランスジェンダー女性であると公言していることからもわかる通り、セクシュアリティのトピックについても度々言及しているのもポイントだ。クィア・ミュージシャンが先鋭的なサウンドをクリエイトするという、ポスト・インターネット世代のエレクトロニック・ミュージック・シーンが持つ傾向のひとつの象徴としてアルカがあり、そこと連続するものとして、ソフィーやイヴ・トゥモア、ロティックといった固有名詞があると考えると、整理しやすいだろう。

こうやって3人の動きをざっくりと振り返って見ると、2010年代におけるエレクトロニック・ミュージック・シーンの、現在まで連綿と続くエキサイティングな部分がうっすらと見えてくるだろう。もちろん共通点もある。ジェイムス・ブレイクがUSメインストリームでビヨンセと仕事をしたように、アルカはカニエ・ウエストと、OPNはザ・ウィーケンドと仕事をしていたし、そもそもOPNは『エイジ・オブ』にジェイムス・ブレイクを迎えている。そしてその『エイジ・オブ』でOPNがはじめて大々的にリード・ヴォーカルを担当したように、アルカは前作『アルカ』でその歌声を披露した。少し離れながら、それでも様々なところでリンクする3人。誰かひとりのことを考えると、他のふたりについて考えることにそれなりの価値がある。だから、アルカの新作『キック i』についても同じように考えてしまう。

ぼくはこの3人が、自分の殻を破った、ブレイクスルーのタイミングがあると思っており、それが重要なことに思えてならない。そのタイミングは、フィーチャリング・アーティストの召喚である。ジェイムス・ブレイクは2作目『オーヴァーグロウン』から、OPNは今のところの最新作『エイジ・オブ』で、フィーチャリング・アーティストが顕著になった。このふたりのキャリアにおいて、自身のソロ・アルバムに客演を迎えるということがひとつのブレイクスルーになっていることは改めて注目すべきところだ。ジェイムス・ブレイクの音楽活動の範囲が膨張してゆくのは『オーヴァーグロウン』以降だし、OPNは『エイジ・オブ』をひとつのきっかけに、M.Y.R.I.A.D.という初のバンド・セットを軸にしたマルチメディアのコンサートをやったり、この2作のビフォアー・アフターは、間違いなく彼らの音楽的変遷、そしてキャリア形成においてひとつキーになっている。

そうやって見たとき、『キック i』はアルカが、自分以外のヴォーカルをはじめてソロ・アルバムの楽曲に取り入れた作品だということの重要さが際立つ。本作は間違いなくアルカにとってのターニング・ポイントだ。実際、音楽的には前作『アルカ』とは大きく違っている。『アルカ』は自分自身の出自やセクシュアリティをはじめ、自分というパーソナルな物語と向き合った、リリックにおいてもサウンドにおいても非常にメランコリックな作品だった。それに比べ、同じく大々的にヴォーカルが取り入れられた『キック i』は、アルカお得意のハードで刺激的なインダストリアル・テクノのエッセンスが存分に注ぎ込まれつつも、前作にあったメランコリアとは違ったアプローチで作曲されている。本作を説明する際にアルカが「レゲトン」というワードを用いていることからもわかるように、ドライでありつつもどこか朗らかな陽気すら漂う瞬間もある作品になっている。

その変貌は冒頭から著しい。ヘヴィなボトムとダンサブルなリズムが入り混じるオープニング・ナンバー“ノンバイナリー”におけるアルカのヴォーカリゼーションはどこか、ケンドリック・ラマーを彷彿させる部分があるのが興味深いし、アルカがシンセ・ポップに舵を切るとこうなるのかという驚きに満ちた“タイム”、オリエンタルなシンセとブルータルなリズムの交雑が印象的な“Mequetrefe”など、はっきりとポップな方向へサウンドを展開していることがわかる。逆に、ビョークが参加している“アフターワーズ”などはアルカがプロデュースした『ユートピア』のときとそこまで楽曲の方向性に変化が見られず面白い。

フィーチャリング・ヴォーカリストが多い本作の楽しみ方のひとつに、アルカが自身の特徴を出しながら、どのようにして招いたヴォーカリストにマッチしたサウンド・メイキングをしているかを考えるのがいいかもしれない。たとえば、ジェイムス・ブレイクの最新『アシューム・フォーム』にも参加しているロザリアが参加している“KLK”は、無音にも近い空白をトラックに導入するアルカの特徴が、おそらくレゲトンを意識しているだろうラテン風味のカラッとした楽曲にマッチしており、アルカの応用力が楽しめる。ソフィーが参加する“ラ・チキ”やシャイガールの参加する“ウォッチ”もそのように分析していくと色々見えてくる。

『キック i』におけるアルカのような変化をぼくはおおいに肯定したい。正直、これが成長や進化といった類いのものなのかはよくわからない。『ゼン』をはじめとした彼の初期のサウンド、もしくは『キック i』がリリースされる少し前に発表された『@@@@@』のようなロング・ミックスにおける過激さにこそアルカの本質があるといった意見もありうるだろうし、ぼくの中にもその気持ちは十二分にある。しかし、アルカが『キック i』でヒップホップやシンセ・ポップ、レゲトンのコスプレをし、それをコスプレ以上のものにしてゆく才覚が魅力的に映るのも確かだ。次の面白いうねりを生み出してゆく可能性の萌芽がここにはある。本作におけるアルカのブレイクスルーは、ジェイムス・ブレイクやOPNのように、きっと今後のユニークな展開に繋がってゆくだろう。

文:八木皓平

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