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CUPID DELUXE Blood Orange (Hostess) by AKIHIRO AOYAMA
RYUTARO AMANO
May 22, 2014
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CUPID DELUXE

10年近くシーンを漂流し続けた根っからのアウトサイダーが
NYの自由な気風に出会い、ついに作り上げた最高傑作

南アメリカ北東部にあるガイアナ共和国からの移民である母と、アフリカ大陸に位置するシエラレオネ共和国出身の父を持ち、イギリスのエセックスという街で多感な時期を過ごしたデヴォンテ・ハインズは、そのマイノリティとしての出自もあってか、幼い頃からアウトサイダー的な気質を持った少年だった。個性的なファッションやネイルを身につけてゲイの友人たちとつるんでいた彼を、街の人々や他の同級生は「faggot(=同性愛者に対する蔑称)」と呼び、喧嘩を吹っかけられることも少なくなかったという。自身はゲイではないにも関わらず、彼がゲイ・カルチャーに惹かれていった理由は、狭苦しい社会性からの逸脱や自由の体現といったものへのシンパシーが幼い頃から心の奥底にあったからだろう。

テスト・アイシクルズからの脱退とライトスピード・チャンピオンとしての活動休止も、傍目から見れば活動がようやく軌道に乗り始めた頃に唐突な発表がされていた。今から振り返れば、それらの音楽遍歴も、一定のコミュニティや文化に安住することを好まず、自ら進んで漂流者であろうとする彼の根っからの性質の表れだったと言える。そんなデヴにとって、ニューヨークという都市はとても理想的な魅力のある場所に映ったに違いない。多様な価値観が多様なままに混在し、その中から多くの刺激的なカルチャーが生まれる街。2007年頃からブルックリンに移住した彼は、名義をブラッド・オレンジに変え、ニューヨークの空気を胸いっぱいに吸い込んでより自由な音楽観を追求し始めた。1stアルバム『コースタル・グルーヴス』のジャケットに使用されたドラッグ・クイーンの写真は、ニューヨークの自由な気風に対する彼の敬愛を上手く象徴している。

そして、ようやく待望の日本盤がリリースされたこの2nd『キューピッド・デラックス』は、デヴォンテ・ハインズの作家性と多岐に渡る音楽愛が1つの極みに達したことを示すレコードとなった。ライトスピード・チャンピオン名義ではフォーク・シンガー/シンガーソングライター的な音楽性を追求していたにも関わらず、自分の声が好きではないとたびたび語っているように、本来の彼は自分の思いを曲として吐き出さずにはいられないソングライターとしてのエゴとプロデューサー志向を併せ持った稀有な作家。その両輪が本作では見事な調和を見せている。

私生活においても親しい関係にあるというフレンズのヴォーカリスト、サマンサ・アーバニが7曲で参加しているのをはじめ、キャロライン・ポラチェク(チェアリフト)とデイヴ・ロングストレス(ダーティ・プロジェクターズ)らをゲストとして招聘。全ての楽曲で複数のシンガーがデヴと共にマイクを分け合い、多層的なヴォーカル・ハーモニーを織りなしている。R&Bを全体の基調としつつも、曲調はファンク/ディスコ寄りのグルーヴィなテイストからマイケル・ジャクソンを髣髴させるバラードまで、実に多彩。また、クイーンズ出身のデスポットと英グライム・シーンで活動するスケプタという2人のラッパーをフィーチャーした2曲――“クリップト・オン”と“ハイ・ストリート”では、前者をスクラッチ・ノイズとブレイクビーツが響くオールドスクール風、後者をミニマルでベース・ヘヴィなグライム風に仕上げており、ゲストそれぞれの出自や個性がよく鑑みられ、尊重されている点も素晴らしい。

本作は、これまでどのシーンに属してもどこか所在なさげな印象があったデヴォンテ・ハインズにとって、自らのありのままに自信を持って受け入れることができた、おそらく初めてのアルバムだったに違いない。本作からのリード・シングル“チャマカイ”のヴィデオは、彼の母方のルーツであるガイアナ共和国で撮影されているのだが、根なし草のように漂流を続けてきた彼がここで初めて自分のルーツを辿ってみせたのも象徴的な出来事に思える。また、彼はこのアルバムで得た幾らかの自信を愛でるように、飼いはじめた犬の名前を「キューピッド」と名づけた。

その後彼の身に起きたことを知っている人からすれば、それはとても悲劇的に聞こえるかもしれない。昨年12月、自宅のアパートが火災にあい、彼の持ち物は全焼。愛犬キューピッドも亡くなってしまった。さすらい続けた男がようやく見つけたありのままでいられるホームと、自分の最高傑作にちなんで名付けた小さなパートナーを失った痛みは、他人には計り知れない。しかし、この素晴らしい『キューピッド・デラックス』を後世に残る作品として形に残せた事実は、彼にとって何よりの救いとなるだろう。

文:青山晃大

ブラッド・オレンジがニューヨークで紡ぎだす
愛と痛みの複雑な物語を掬い上げる現代的なR&B

『キューピッド・デラックス』のジャケットを飾っている人物は女性(身につけているものは女性っぽい)?それとも男性(骨格は男っぽいが、うーん、股間は膨らんでいない)?多くの人はこのクィアな写真から、男性/女性という二分法では単純に分けて考えることのできない複雑な性差の問題、根深く、しかしだんだんと共有されつつある社会的な問題が横たわっていることを直感的に読み取るだろう――つまり、性的少数者=LGBTの問題を。それについてここでどうこう言おうというつもりはまったくないけれど、いまだバラエティ番組で「オネエ」がある種嘲笑の的にされているこの国の空気に少々の違和感を感じ取っている人にとっては(あるいはフランク・オーシャンの『チャンネル・オレンジ』のような作品に感じ入るところがあった人にとっては)、ブラッド・オレンジ=デヴ・ハインズのこの素晴らしいR&B/ソウル/ファンク・アルバムを聞く価値はあるんじゃないかと、僕はそう思う。

この作品について語る原稿で必ず言及されるのは、3曲目の“アンクル・エイス”である。ニューヨーク市の中心で誰からも見放され、寝る場所もなく孤独に夜を明かすホームレスの性的少数者の若者たちにとっての雨風をしのぐシェルターである地下鉄A線/C線/E線(=ACE)は「エイスおじさんの家(Uncle ACE’s house)」と呼ばれているらしく、この曲はそれにちなんでいるからだ。ノイジーに汚れ、ファンキーにループするビートの上でデヴ・ハインズはまるで語るように歌っている――「他の女の子たち(the other girls)とちがって」と。これほどまでシンプルなラインでセクシュアルな問題を抱えた者の孤独をさらっと描き出しているのは見事としか言いようがない。ハインズの優れた詩的センスが伝わってくるラインだ。

さて。話を戻すと『キューピッド・デラックス』のジャケット写真は1970年代から1980年代にかけてタイムズ・スクエア/42丁目におけるセクシュアルな真実を切り取ってきたビル・バターワースによるもので、このグラマラスで怪しげなスナップはアルバムの雰囲気によく合っている(CDのブックレットに載せられた数枚の写真はハインズがニューヨークで撮ったものだが、バターワースの写真と時代性の違いを感じさせないような、若くパワフルで問題含みなキュートネスがある)。弾むビートはニューヨークのオールド・スクールなヒップホップから、シンセサイザーの音色は80'sのニューウェイヴから借用しながら、デヴ・ハインズはギターからドラムスまで様々な楽器を操って音の空隙を見事にデザインしつつ、実に現代的なR&Bを生み出している(もちろん本作はデヴ・ハインズだけの手によるものではなく、多くの優れたミュージシャンたちによる客演を得ているのだが、その解説は別項に譲ろう)。

デヴ・ハインズはブリティッシュだが、ブラッド・オレンジの音楽はニューヨークのそれである――ルー・リードの音楽がそうであったように、というのは言いすぎかもしれない。でも、『キューピッド・デラックス』が『トランスフォーマー』の隣に置かれていてもなんら違和感はない。ブラッド・オレンジは複雑な性差の問題を抱えている者も抱えていない者も平等に直面する愛にまつわる様々な痛みやトラブルをドラマティックに掬い上げ、それを見事な音楽的センスでもってシルキーなR&Bに仕上げている(それはフランク・オーシャンの音楽にも通ずる点でもある)。いくつかの痛切な物語が収められた『キューピッド・デラックス』は、ワイルド・サイドを歩かざるをえなかった者たちの愛の形を描きだしている。

文:天野龍太郎

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