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COLORING BOOK Chance The Rapper (self-released) by MASAAKI KOBAYASHI
YUYA WATANABE
August 25, 2016
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COLORING BOOK

レーベル契約なし、フィジカルなし。なのに全米第8位の偉業
次世代シカゴの未来をカラフルに彩る新たなピーター・パン物語

なるほど『ピーター・パン』というわけか。チャンス・ザ・ラッパーの3作目のミックステープとなる本作『カラリング・ブック』の6曲目“セイム・ドラッグス”まで来たところで、思わず膝を打った。ピーターという固有名詞こそ出てこないが、「いつ変わったの? ウェンディ、歳をとってしまったの?」という、聞く者の注意を一気に引きつけるような一節でこの曲は始まる。

チャンスにとって幼い頃からのアイドルであり、本作の1曲目“オール・ウィ・ゴッド”の制作/客演でコラボが実現出来たカニエ・ウェストの3作目のアルバム『グラデュエーション』収録曲“ホームカミング”は、「3歳の頃に会った女の子が……」「わたしの名前はウィンディ……」と始まっていた。ウィンディとはウィンディ・シティ、つまり、シカゴのことだが、カニエが、3歳以降自分が育った街を女性に見立てたなら、チャンスは、さらに、そこに『ピーター・パン』のウェンディを重ねてみたのだろう。

となれば、ピーター・パンは、チャンス・ザ・ラッパーだ。ところが、“セイム・ドラッグス”には、「窓は閉められ、ウェンディは歳を取っていた、遅すぎた、遅すぎた、あの影はかつての自分の……」とあり、有名な物語のピーター・パンとは違って、ネヴァーランドに飛び立つどころか、自分の影を取り戻すことさえままならない。

シカゴがいかに変化してしまったか(より具体的には、長閑な子供の頃から、夏が来るたびに若者がギャング抗争の犠牲者になってしまう時代への変遷)については、すでに2曲目の”サマー・フレンズ”で触れられている。そこでは、冒頭から一瞬ドゥワップ、よく聴くとオートチューン対応型のポスト・ボン・イヴェールなドゥワップあるいはアカペラ・ゴスペルが聴こえてくる。これは、フランシス・アンド・ザ・ライツのフランシスが、自分らの曲をサンプルして作ったものだそうだが、一瞬どこか郷愁をさそうものの、実は今でしか生まれ得ない音だ。そして、この原曲のほうでは、ボン・イヴェールとカニエ・ウェストがフィーチャーされていることを知れば、“サマー・フレンズ”からは、シカゴのみならず、オートチューンの「変化/進化」も感じとれずにはいられない(Tペインあるいはフューチャーが参加している曲さえある)。

一方、こうした変化の間に、チャンスは何をしていたかと言えば、成功への道を邁進していたわけで、だからといって、彼の場合、成功した自分の姿を自身満々に見せつけるようなこともなければ、ケンドリック・ラマーのように、精神的に参ってしまった姿をシアトリカルに曝け出すようなこともしない。まずは神に感謝、それがアルバムの大きな基調になっている。そこで、オープニングをオリジナルのインスピレーショナル・ソング的なもの、途中で、既存のコンテンポラリー・ゴスペル(“ブレッシング”)やコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(“ハウ・グレイト”)、そして、1曲目の“オール・ウィ・ゴット”に応じる“ブレッシング(リプライズ)”をラストに持ってくる構成になっているのだろう。

ここで、興味深いのは、始まりとなる1曲目のクワイアが子供たちの声(シカゴ・チルドレン・クワイアによる)なら、本作の一番最後のクワイアは、アンダーソン・パックやBJザ・シカゴ・キッドを含む複数の大人たちによる声で形作られているところだ。そこには、チャンス自身も含まれているし、「成長」が仄めかされているかのようだ。

“セイム・ドラッグ”では、意外なことにウェンディ=シカゴが彼にこう尋ねる「あなたはどこに行ってたの? どこにいたの? 頭がおかしくなってしまったの?」。つまり、時の経過が彼を変えてしまったのか? それとも、シカゴはなんら変わっていないと考えるべきなのか? ということになる。チャンスは、ピーター・パンと同じように、「楽しいことを考えることを忘れないで、一番必要なのは楽しいことを考えること」「いつ飛び方を忘れたの」とウェンディに思い出させる。『ピーター・パン』での「楽しいことを考えれば空を飛べる」というのは、勿論、単なる現実逃避ではない。むしろ、他者がどうこうよりも自分自身で、たとえそれが楽しくないことであっても、強く意識する(自分という現実を知る)ということの重要性が強調されているのではないだろうか。

例えば、それは、リル・ヨッティーとヤング・サグというミックステープ経由で頭角を現した2人を敢えてフィーチャーし、彼らのスタイルを模してまで、一丸となって(フリー・ダウンロードの)ミックステープの重要性を訴える“ミックステープ”、あるいは、彼らの先駆けとなったリル・ウェインと2チェインズを招いた“ノー・プロブレム”でも、レーベルとの契約とは徹底的に距離を置いたチャンス自身のやり方が、強く意識されている(ここで、彼が、2人をよくある「大物」として扱うのではなく、カメレオンの如くこの二人のラップ・スタイルに則り、そのスタイルさえ奪っているように聴こえるあたりにも注目したい)。

それは、単に「いつまでも同じでいられる」ピーター・パン的なものとは違う。“セイム・ドラッグ”とは「いつまでも同じでいられる魔法のクスリ」のことかもしれないが、その効き目は永遠なのだろうか? この曲を聴き進めてゆくと、自分は変わらない、変わったのは、自分以外だ、と自分を偽りたかったと思しきチャンス自身が成長してしまった事実も明らかになる。すぐ前の曲”ブレッシング”で「祝福」されている、彼の娘の誕生だ。

“セイム・ドラッグ”のアウトロでは、「はみ出ないように塗って、色を滲ませないで、縁取りの内側、内側を塗って」と出てくる。表題にある“カラリング・ブック”(=塗り絵)で遊んでいたのは、彼の娘だったのだ(娘の存在も本作のテーマの一つである)。これは、娘の成長を励まし、そして、次代のシカゴを支える子供たちへの、現実的なメッセージ(限界や境界を無理に超えるな)であり、“セイム・ドラッグ”の効力をよく知っているウェンディを超えた、新たなウェンディ、新たなシカゴの登場を強く望んでいるのだろう。

となれば、『カラリング・ブック』そのものがシカゴだとも言える。例えば、“フィニッシュ・ライン/ドローン”でのノーネーム・ジプシー改めノーネームをはじめ、“ブレッシング”でのジャミラ・ウッズ等々、この作品では地元勢を積極的にフィーチャーしている。大事なのは、これからのシカゴを誰がどう塗ってゆくかだ。

成功したラッパー特有の、(精神的に)悶々とした、内側に閉じた姿は『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』に至るまで、既におなじみのものだ。それが、本作での、チャンス・ザ・ラッパーのように、まだ、23歳だというのに(あるいは、23歳であるがゆえ?)、終始一貫ネガティヴに陥ることなく、むしろ、素直に感謝の気持ちを表明した上で、ポジティヴに「次代」を見据えている清々しい姿は、めったに見られるものではない。

文:小林雅明

シカゴの若きリーダーが示した、ゴスペルの現在地

果たしてこれはゴスペルか否か? 今から12年前、カニエ・ウェストのデビュー作『ザ・カレッジ・ドロップアウト』を巡って、一部でそんな論争が巻き起こっていたのをご存知だろうか。というのも、当時あのアルバムはゴスペル・ミュージックの権威とされる〈ステラー・アウォード〉の最優秀ゴスペル・ラップ・アルバム賞に、ほんの一瞬だけノミネートされていたのだ。結局、ノミネートは選考委員の反対によって取り下げられているのだが、その後のカニエがどんな音楽的変遷を辿っていったのかは、おそらく周知のとおり。彼のゴスペルへの傾倒は作品を重ねるごとに激しさを増していき、それは最新作『ザ・ライフ・オブ・パブロ』によって、ひとつの到達点を見せている。

さて、そんなカニエをみずからのヒーローとし、『ザ・カレッジ・ドロップアウト』がヒップホップ原体験だったと公言しているのが、チャンス・ザ・ラッパーことチャンスラー・ベネット。彼にとってもゴスペルは非常に大きな音楽的要素のひとつ。というか、新作『カラリング・ブック』のオープニング・トラックにして、そのカニエがプロデュースを手がけた“オール・ウィ・ゴット”と、チャンスが参加した『ザ・ライフ・オブ・パブロ』の冒頭曲“ウルトラライト・ビーム”を並べてみれば、この両者をつないでいるサウンドがゴスペル・クワイア的な和声であることは明らかだ。

では、そもそもゴスペルとは何か。それはアメリカ大陸に強制連行されたアフリカ人たちが密かに口ずさんだ歌「スピリチュアルズ(黒人霊歌)」を原型とする音楽。言うまでもなく、それはキリスト教における神に捧げられた音楽であり、世俗化し、商業化する以前の音楽だ。チャンスがそのゴスペルを自身のルーツとして定めていることは、そのまま彼の作品すべてが無料提供されていることにもつながってくる。『カラリング・ブック』の収録曲“ブレッシングス”で、彼はこうラップしている。「俺はフリーで音楽をつくってるんじゃない/フリーダムのために音楽をつくってるんだ」。行き詰まった産業から音楽を解き放とうとしているチャンスにとって、ゴスペルとはまさにその「フリーダム」の象徴なのだ。

もうひとつ言えるのが、ゴスペルは黒人音楽の起源でありながら、同時にブルーズやジャズ、そして勿論ヒップホップといったさまざまなジャンルと並走し、互いに影響されながら進化してきた音楽でもあるということ。そうした見方でいくと、チャンスを「ヒップホップ的な視座からゴスペルをふたたびアップデートさせたアーティスト」として位置付けても、さほど強引ではないはず。それこそ昨年にドニー・トランペット&ザ・ソーシャル・エクスペリメント名義でリリースされた曲“サンデイ・キャンディ”における、ゴスペル・マナーにシカゴ・ジュークの高速ビートを組み込んだ構成が示していたように、チャンスは音楽の過去と現在をつなぎ合わせることにいつだって意欲的なのだ。

いわばそのジューク讃歌ともいえるメロウな1曲“ジューク・ジャム”。ケイトラナダのプロデュースによって、80年代のシカゴ・ハウス的なイーヴン・キックを取り入れた“オール・ナイト”。そして、オーセンティックなゴスペル・クワイアにオートチューンの変調がブレンドされた“ハウ・グレイト”。このアルバム後半におかれた3曲の流れにも顕著なように、チャンスはゴスペルをひとつの起点としながらも、地元シカゴの文脈に則ることによって、黒人音楽史のゆたかな歩みをここに示している。音楽とは歴史である――そんな事実を今これほど明晰に伝えている作品は、この『カラリング・ブック』をおいて他にない。

文:渡辺裕也

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