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AS IF !!! (Beat) by RYOTA TANAKA
YUSUKE KAWAMURA
October 13, 2015
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AS IF

胃もたれしないチック? ドロドロ陶酔からバキッと覚醒?
午前3時の、あの体験を導く、ダンス・ミュージック・レコード

チック・チック・チックの前アルバム『スリラー』は、スプーンのジム・イーノも力添えをし、プロダクションの整理とソングライティングの練磨へと焦点を当てた作品だった。とすれば、今アルバム『アズ・イフ』は、プロダクション面でさらに削ぎ落とす方向へと舵を切り、よりダンス・ミュージックとしての機能性の向上を目指した作品と言えるだろう。つまり、ソングと言うよりトラック。それゆえに、彼らの最もバンド的な側面であった、ズブズブ底なし沼のサイケデリアは薄まり、カラッとサラッと、喉越しスッキリ、チック・チック・チックとしては稀に見る、胃もたれしないレコードとなった。

例えば、1曲目に据えられた“オール・ユー・ライターズ”。硬めのマシーン・ビートと、瞼をぱきっと開かせる2拍と4拍のグルーヴ。ボーカル・メロディは1コーラスのループのみで、むしろ飛ばしのエフェクトを効かせたヴォイス・サンプルが曲を牽引している。続く“シック・アス・ムーン”も同様の簡素なテクノ・トラックだ。ここではニック・オッファーもエモく歌ってはいるものの、シンプルなトラックに艶かしい歌がぶっきらぼうに乗せられている様は、ポストパンク以降のバンド文脈より、初期のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノの方法論を思わせる。さらにシカゴ繋がりで言うならば、アルバム最終曲の“アイ・フィール・ソー・フリー”は、チック流のゲットー・テックだ。くぐもった煙たい声と、何かを追い詰めていくかのような切迫したビートでもって、かの地のゲットー・サウンド特有の荒々しい疾走感を、バンドは完全にものにしている。9分強の長尺であることも含め、この曲は“ミー&ジュリアーニ・ダウン・バイ・ザ・スクール・ヤード(ア・トゥルー・ストーリー)”級のアンセムになるポテンシャルがある。

今作のインスピレーション源として、ニーナ・クラヴィツやロウ・ハウスの代表レーベル〈L.I.E.S.〉、故DJラシャドの名前を挙げていたが、彼らが制作時に自らに課したテーマの一つは、それらアクトの体現している、シンプルな構成のトラックへと、プリミティブなファンクネスと暴力的なまでのダイナミズムをいかに注入するか、であったのは間違いない。

今作が真価を発揮するのはやはりダンスフロアにおいてだろう。そして、その効能は、これまで彼らがドロドロのファンクネスと2本のギターによるサイケデリアで誘ってきた酩酊とは異質のはずだ。フラッシュとスモークに視界は阻まれつつ、ビートに呼応してステップは止まることなく反復し続け、ただひたすらに脳だけは冴え渡っていく、あの覚醒の感覚。今作に紐付いているのは、そんなダンス・ミュージックの体験である。

文:田中亮太

タイトなハウス・グルーヴ
ダンス・カルチャーへの回帰

ジュリアーニ市政で荒廃したニューヨークのナイトライフをディスコ・ベースの上でもって中指を立てた“ミー&ジュリアーニ・ダウン・バイ・ザ・スクール・ヤード(ア・トゥルー・ストーリー)”が2003年。前年のラプチャー“ハウス・オブ・ジェラス・ラヴァーズ”やLCDサウンドシステム“ルージング・マイ・エッジ”などとともに、ニューヨークの元気のいいアンダーグラウンドのダンス・カルチャーの存在感を示めしたのが、最早10年以上も前。いわゆる1990年代的なNYディープ・ハウスの勢いも落ち着きを見せていた時期に、ニュー・ディスコや〈DFA〉の流れとともに、ダンスとロック/ハードコア・パンクの間から鵺のようにエネルギーの塊がアメリカから現れたといった感じだった。

そう、あれからもう10年も経ったのだ。そしてリリースされたチック・チック・チックの新作『アズ・イフ』はこれがまたタイトなハウス・グルーヴに包まれた作品だ。“ミー・アンド・ジュリアーニ~”で歌ったダンス・ミュージックへのパッションをいまだ燃やし続けていることを、再度表明した作品と言えなくもない。

2010年代のニューヨークのアンダーグラウンド・ダンス・サウンドは、2000年代初頭のようにやはり面白いことになっている。例えば、イーモン・ハーキンとジャスティン・カーターによるウェア・ハウス・パーティで、ある意味、デヴィッド・マンキューソの〈ザ・ロフト〉など、かの地の正当なディープ・ハウス・スピリッツを継承するミスター・サンデ……じゃなくて〈ミスター・サタデー・ナイト〉勢はDJ、リリースともに世界レベルで勢いがいい。フォー・テットのレーベル〈テキスト〉からリリースしているアンソニー・ネップルスもこの流れに合流している。さらにもっとアンダーグラウンドに目を移せば、インダスリアル・リヴァイヴァルのムードとも共鳴するロウ・ハウス集団〈L.I.E.S.〉まである。ハウスから目を逸らせば、アルカやフューチャー・ブラウン人脈が周辺にたむろする〈GHE20G0TH1K〉もキーワードとして音楽シーンの勢いの良さを示唆する。

ハウスに話を戻せば、そのサウンドはディスコ的な感覚は後退し、いわゆる1990年代初頭のラフなハウスを彷彿とさせるタイトでミニマルなテクノ寄りのハウス・サウンドが中心になっている。あ、いわゆる、ロウ・ハウスってやつです。この感覚は、なんとなく本作のグルーヴとも地続きの感覚がある。そして、アルバムを聴けば、明確にハウス・グルーヴがサウンド・コンセプトとして横たわっていることが如実にわかるのだ。

スプーンのドラマー、ジム・イーノを迎えた前作『スリラー』はどちらかといえばロック色が強く、ブルージーな印象さえある。それこそ本作のハウス・グルーヴによって、照射された印象だ。

アルバムの初っ端“オール・ユー・ライターズ”はディスコというよりも、もはやハウスのグルーヴのそれだし、“シック・アス・ムーン”なんてテクノでしょう。なんだか最近の日本のロック・バンドみたいな、爽やかなダンス・ロック・チューン“エヴリ・リトル・ビット・カウンツ”は置いておいても、アルバムは総体として明確にハウス・グルーヴに標準を定めている。それこそ1990年代初頭のNYのゴスペル・ハウスを彼らなりにディフォルメしたような“アイ・フィール・ソー・フリー(サイテイション・ニーデッド)”で幕を閉じるあたりもまた、ロック的なダイナミックなグルーヴよりも、よりミニマルに、よりタイトにスクエアにといったところではないだろうか。

それこそ〈DFA〉や10数年前の彼らには、その後ろにサウンドの感覚としてニュー・ディスコの流れがあったように、本作にはそうしたダンス・シーンの感覚を彼らなりに捉えたような痕跡が見られる。リズムはミニマルでエレクトロニックで硬質、このあたりの音色はこれまで以上に強調されている作品と言えるだろう。

ロックとダンスの間、ということでいえば、ジェイミー・エックス・エックスが構成として完全なエレクトロニック・ミュージックでありながら、むしろその表現はロック的な「メンタル」へと行ったのに対して、彼らの音楽はバンドでいながらあくまでもダンス・ミュージック的な「フィジカル」なのだ。

文:河村祐介

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