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ATROCITY EXHIBITION Danny Brown (Beat) by AKIHIRO AOYAMA
SHIHO WATANABE
November 18, 2016
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ATROCITY EXHIBITION

ドラッグまみれの意識の中、内なるデモンが自己破壊へ誘う
彼は現ヒップホップ・シーンのヴィランなのか、それとも?

「もしヒップホップがスーパー・ヒーローやグッド・ガイばかりだとしたら、俺はヴィランだ」。前作『オールド』発表時の〈ローリング・ストーン〉誌によるインタヴューで、ダニー・ブラウンはそんなことを言っていた。確かに今、アメリカのヒップホップ界はスーパー・ヒーローで溢れ返っている。

警官による黒人青年射殺事件の多発が問題となり、「ブラック・ライヴス・マター」という社会運動が生まれたのは、ちょうど『オールド』のリリースと時を同じくする2013年。公民権運動以来とも言える、アフリカン・アメリカンの抑圧に対する反対運動の高まりは、近年黒人アーティストたちにも奮起を促してきた。その機運に突き動かされるように、ヒップホップ/R&Bシーンからは次々と傑作が生まれ、ケンドリック・ラマーやチャンス・ザ・ラッパーのような若きカリスマが新たなリーダーシップをとるようになった。確かに彼ら(特に上記の2人)は、インテリジェントでタフなイメージとヴィジョンを持った、グッド・ガイでありスーパー・ヒーローだ。では、その2013~2016年の間に、ダニー・ブラウンは一体何をしていたのか? そう、まるでマッド・サイエンティストのごとく、デトロイトの自宅で一人きり、この悪夢のようなレコードを作り続けていたのだ。

「レイヴにいるみたいに汗をかいてる/3日間もこの部屋にいる/声が聞こえるような気がする」。冒頭から、彼が口にするのはパラノイドに支配された自分の病的な状態だ。この“ダウンワード・スパイラル”という楽曲名は、ゴスのカリスマとして君臨していたナイン・インチ・ネイルズが1994年にリリースした代表作のタイトルと同じ。また、本作のタイトル『アトロシティ・エキシビション』は、イアン・カーティスの自殺直後にリリースされたジョイ・ディヴィジョンの2nd『クローサー』の1曲目から引用されている。つまり、本作のトーンを決定付けているのは、ある意味で白人ロック的とも言える、内なる不安と陰鬱、そして自己破壊への誘惑である。

テーマとして頻出するのは、ドラッグの売人だった過去を持つ彼の定番であるドラッグにまつわるトピック。ただ、本作におけるそれは、前作『オールド』のサイドAにおける回顧録的な視点ではなく、目に映るもの全てがドラッグの作用による幻覚と不安定な精神で歪んだような状態として描かれる。どこまでも孤独に、自分の内面へと潜航していく意識。勿論、本作がヒップホップ・レコードであることは間違いないのだから、形式的な意味で孤独というわけではない。ここには、長年のコラボレーターでもあるロンドン出身のポール・ホワイトをはじめとするトラックメイカーの参加があり、ケンドリック・ラマー、アブ・ソウル、アール・スウェットシャツとマイク・リレーを見せるクラシックなポッセ・カット・スタイルの“リアリー・ドウ”も収録されてはいる。しかし、それでも本作は、現在のブラック・ミュージック全般に通じる団結意識とは徹底して切り離され、あくまでもダニー・ブラウン個人の苦悩と痛みを突き詰めた作品となっている。

では、ダニー・ブラウンは本当にヴィランなのか? 彼は今のヒップホップ・シーンに冷や水を浴びせかけ、全てを台無しにしようとしているのか? 勿論、答えはノーだろう。むしろ、ここで彼は、ケンドリックやチャンスとは全く別の形で、ヒップホップの未来を切り開こうとしている。特に、テクノ的ともポストパンク的とも言えるビートと、発狂したようにまくしたてるラップが絡み合う6曲目“エイント・イット・ファニー”以降のトラックは、仄暗いフィーリングをまといながら聴く者の心を突き動かし身体を踊らせる、今まで誰も聴いたことのないようなヒップホップだ。彼はスーパー・ヒーローでもなければ、ヴィランでもない。現在のヒップホップ・シーンにおける、たった1人のアンチ・ヒーローなのである。

文:青山晃大

鬼才が吐露するアップ&ダウン
奇抜ながら人間臭い一面も

ダニー・ブラウンといえば、出世作『XXX』(2011年)からずっと、過激でドラッギーな描写や、ハチャメチャでナンセンスなライムでも知られる存在。心機一転、はたまた新装開店よろしく〈フールズ・ゴールド〉から〈ワープ〉に移籍してドロップした新作『アトロシティ・エキシビション』も、期待を裏切らずキマりまくって一線を超えたようなリリックに満ちた仕上がりだ。

ただ、ドラッグの使用には「アップ」があれば「ダウン」もある。今回のアルバムでは、これまで以上に「ダウン」タイムに焦点を当てると同時に、ダニー流「ブラック・ライヴス・マター」と言うべきテーマも見事にラップへと昇華しており、これまでの享楽的なイメージとは少し違った一面を見せている。

事実、ダニー自身、周りが自分に求めるドラッギーでクレイジーなイメージには辟易していたようで、イメージの「理想」と「現実」の間で苦しんだこともあったようだ。その様子は、一曲目の“ダウンワード・スパイラル”からも読み取れる。ここでは、マリファナやドラッグに溺れながらも退廃的なトラックに乗せて「一人の時はマジ孤独で、どうでもいいって気持ち。真っ逆さまのスパイラルから抜け出さなきゃ」と、もがく様子が語られる。そして、疾走感溢れるビートが特徴的な“エイント・イット・ファニー”では「どうしてこうなった? ドラッグが切れるとパニックになる。誰も答えてくれない」とファストにスピット。本作をリリースする際のオフィシャル・インタヴューでは「もともと、俺はドラッグを売りながらサヴァイヴしてきた。今はラッパーになってその頃よりももっとドラッグを使ってる。なぜこんなことになったんだ? って歌ってるのが“エイント・イット・ファニー”だ」と語っていたダニーだが、ここ数年は常に成功者/表現者ゆえの苦悩やプレッシャーに苛まれてきた人生だったのだろう。

また、罪のない友人がいきなり銃殺されてしまう様子や警察に追われながら日々を過ごす様子を歌った“テル・ミー・ホワット・アイ・ドント・ノウ”、地元デトロイトが荒廃していく様子を描きつつ、ローカルなパーティ・シーンも描いた“ホエン・イット・レイン”、ストリートでの厳しい現実を描いた“トゥデイ”などでは人種問題に端を欲する社会的な描写も顕著で、彼の新たな所信表明のようにも聴こえてくるし、同時にリリシストとしての新たな魅力に気付かされる一面でもある。

とはいえ、いつものダニー節も勿論、健在だ。中盤、“ゴールドダスト”から“ダンス・インザ・ウォーター”へと続く享楽的な楽曲群の数々は「もう殺してくれ!」とでも言いたくなるほどにハイなヴァイブスに包まれる。「アソコを舐めると彼女はマカレナを踊り出す」(“ニューモウニャ”)など、エッジの効いたダニーの言葉遊びも非常に雄弁であり、一気にジェットコースターのてっぺんまで昇っていくような、スリリングなサウンドスケープを楽しむことが出来る。

スリリングといえば、ケンドリック・ラマー、アブ・ソウル、アール・スウェットシャツという西海岸の名MCを招いた“リアリー・ドウ”はキラめくビートに四者四様のフロウが輝く白眉曲。西海岸つながり(?)で、“ゲット・ハイ”では大御所、サイプレス・ヒルのB・リアルを招いてピース&リラクシングな世界観をラップしている。余談だが、他に“フロム・ザ・グラウンド”に参加したケレラといい、アートワークを手掛けたクリエイター・チーム、ブレイン・デッドなど、やけに西海岸色が強く感じるのは気のせいだろうか?

「残虐行為展覧会」のタイトルに相応しく、ドラッグ使用に伴うダウンタイムの痛々しい描写や、暴力的にも聞こえる昨今の社会が抱える問題をも真っ向から表現した今作。一枚を聴き終わる頃には、絢爛たるトラックとともに、これまでよりも人間臭いダニーの魅力に気が付いているはずだ。

文:渡辺志保

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