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YOU'RE DEAD ! Flying Lotus (Beat) by AKIHIRO AOYAMA
MASAAKI KOBAYASHI
November 13, 2014
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YOU'RE DEAD !

死にも畏怖することなく、想像力の糧として、
フライング・ロータスのスピリチュアル・ジャーニーは続く

自身の創作のみならず、レーベル〈ブレインフィーダー〉の主宰や〈ロウ・エンド・セオリー〉への出演を通して、ビート・ミュージックからヒップホップ、ジャズを股にかけLAのシーンに革新をもたらしてきたフライング・ロータス。生まれ年を冠したデビュー作『1983』から前作『アンティル・ザ・クワイエット・カムス』に至るまで、彼がこれまでにリリースしてきたレコードは、どれも自身のバックグラウンドや人生観に着想を得たコンセプトの下で、新たな音楽領域へと果敢に足を踏み入れていく野心作ばかりだった。本作『ユー・アー・デッド!』も例外ではなく、ひとつの野心的なテーマに沿った音作りがなされている。今作で彼がコンセプトとして選んだのは、死と死後の世界について、だ。

その着想の発端となっているのは、叔母であるアリス・コルトレーンをはじめとする肉親や親戚、〈ブレインフィーダー〉に所属していたジャズ・ピアニストのオースティン・ペラルタといった近しい人物の死のようだ。しかし、本作は身近な人々の死を沈痛な面持ちで悼むような、ありがちなレクイエム的ムードには陥っていない。印象はむしろ真逆で、今作はフライング・ロータスの作品中でも最も奇妙で、死の先に待ち受ける世界を騒々しく駆け回るように目まぐるしい展開を見せる一枚と言える。『ユー・アー・デッド!』という挑発的なタイトルや、日本の漫画家である駕籠真太郎によるグロテスクなアートワークが、フライング・ロータスが踏み入れた新たなイマジネーションの世界を端的に象徴している。

元々はジャズ・レコードを目指して制作がスタートしたというだけあり、本作にはこれまで以上に強くジャズのトーンが刻まれている。しかし、それはフュージョンの隆盛以降、音楽的な革新性と求心力を失い、カンファタブルなカフェ向けBGMの異名へと貶められていた感のあるジャズという言葉を再定義する、現代的なスピード感と折衷性に満ちた新しいジャズ/フュージョンだ。サンダーキャットをはじめとする馴染みの面々から、ジャズ界の重鎮であるハービー・ハンコック、スヌープ・ドッグやケンドリック・ラマー等のラッパーといった大人数のゲストを楽曲ごとに招き入れながら、貪欲に新たな音楽領域を切り拓きひとつのコンセプチュアルな作品をトータル・プロデュースしていく様は、名うてのプレイヤーを従えバンド・リーダーとして数々の名作を作り上げていった往年のマイルス・デイヴィスさながら。本作のテーマに沿って考えるならば、ここでフライング・ロータスが試みているのは、一度は死んだジャズという音楽を、死後の世界でそれ以降の黒人音楽=ヒップホップやビート・ミュージックの新たな躍動と渾然一体にして甦らせる挑戦のようにも思える。

「我々は永遠に生き続ける」

死の瞬間から始まり、死後の世界を疾走してきた『ユー・アー・デッド!』の音楽ジャーニーは、そんなシンプルな言葉のリフレインを残して幕を閉じる。このラインに、フライング・ロータスの確固たる信念と揺るぎないメッセージが込められているように思う。つまり、肉体的/物質的な死自体は大層なことじゃなく、それよりも大事なのはその先にも脈々と受け継がれていくスピリットであり、それは決して死ぬことも尽きることもないのだと。

文:青山晃大

ジャズやプログレをフレッシュに聴かせんとする気概の陰で
いつになく明瞭に浮かんでくるリファレンスの数々

“歌”というよりも声をひとつの楽器として表現すること、いわば、ジャズで言うところのヴォーカリーズに通じる趣向を自らの音楽で活かす意図が、前作『アンティル・ザ・クワイエット・カムス』を通じて施されていたことを、本作から先行公開された“ネヴァー・キャッチ・ミー”を聴きながら思い出した。そもそも、ここでのケンドリック・ラマーのラップ・スタイルも、例えば、同じLAのラッパー、バスドライヴァーが10年前から演っているものだ(おそらく、この曲のフリースタイルを誰よりも早く演るべきなのは彼だろう)。ヴォーカリーズが無意味な言葉の羅列であるのとは逆に、二人のどちらも、ライムはテクニカルで語彙も豊富でかなり緻密だ。この曲以外にも、“ザ・ボーイズ・フー・ダイド・イン・ゼア・スリープ”では、フライロー自身が、キャプテン・マーフィー名義で、このヴォーカリーズ・インスパイアードなフロウと歌を念頭に入れた表現に徹しているくらいなので、このスタイルに慣れていないスヌープの“デッドマンズ・テトリス”でのフロウは、出来上がっていた楽曲に合わなかったため、後からビートのほうを手直ししたという見込み違いのような現象が起きている(マーフィーのフロウもできるだけスヌープのそれに近いものに(補正?)しているし、この曲が本作中で一番浮いているように感じたら、そこが原因だろう)。前作では、ヴォーカリーズにして自分のサウンドに融合させるのは歌のみにとどめていたフライローが、今回はそれをラップでも試してみたのは、前作と本作との間に、彼自身もキャプテン・マーフィー名義で声を操るラッパーとしての表現活動に力を注いでいたこととも関係しているのだろう。

そのキャプテン・マーフィー名義のミックステープ『デュアリティ』で、フライローは、アレハンドロ・ホドロフスキー監督自身が自作『エル・トポ』のために書き下ろした楽曲にライムを乗せていたし(他にも、様々なジャンルの曲に、作品全体を通じてマーフィーがカルト・リーダーになりきっているその様子に、同監督による『サンタ・サングレ』を重ね合わせたリスナーも多かったに違いないし、)フライローが、本作のタイトルを当初『ホドロフスキー』としていたことと結び付けることもできる。ちなみに、件の『エル・トポ』だけでなく、ホドロフスキー作品の多くは、死は勿論、復活/再生を扱っている。この『ユー・アー・デッド!』で、ケンドリックが、メタファーとしての死を常に匂わせている(おまえらは俺のスキルで既に殺されている、バトル的な)のに対し、スヌープもキャプテン・マーフィーもストレートに死/死後の世界を扱っているのは、やや意外な気もする。

ただし、思い起こしてみれば、フライローは、前々作『コスモグランマ』で既に、死後の世界(アフターライフ)に踏み込んでいたわけで、ヴォーカリーズの援用にしても、二作にわたって試みていて、今回はベタなことに、エンニオ・モリコーネがダリオ・アルジェント作品に提供した音楽からスキャット(ヴォーカリーズ)を大胆にサンプリングまでしている。フライローが、テーマとその変奏を、本作を含む三枚がかりで行なっている、とも聞き取れるわけだが、このベタなサンプリングに象徴されるように、彼の作品としては、異様にリファレンスが見えやすい、というのが本作の大きな特徴のひとつではないのだろうか。実際、本作を耳にしての第一声が「今回もいかにもフライング・ロータスらしい(音楽)!」と言う前に、ジャズだ、プログレだ、あるいは評者のようにフランク・ザッパっぽくないか? などという声のほうが大きいのも、彼の作品にしては珍しいことだろう。勿論、収録曲全曲を約40分ほどの1曲として聴いた場合に、音楽家としてのフライング・ロータスは大きく迫り出してくるのはわかるけれど、聴いていて、(例えば、前作比でも)どうにもリファレンス側に引っ張られてしまう部分が気になる。ま、ひとつの捉え方としては、既にヒップホップ・イズ・デッドと言われて久しい2014年に、「ユー・アー・デッド!」呼ばわりされやすいジャズやプログレッシヴ・ロックを、フライング・ロータスにしかやれないやり方で、復活/再生し、フレッシュなものとして聴かせたかった、という気概は大いにあったのかもしれないが。

(追記:本稿を書き終え、寝かせておいた間に、バスドライヴァーが“ネヴァー・キャッチ・ミー”を使ったフリースタイルを発表していた。)

文:小林雅明

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