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HONEST Future (Sony) by MASAAKI KOBAYASHI
AKIHIRO AOYAMA
May 12, 2014
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HONEST

ヒップホップにおけるオートチューンの意義
そしてフューチャーが見せたその使い方とは?

フューチャーがライムしている時の声、特にフックの部分は、たいていオートチューンで加工が施されている。

すでに、今から10年前には、Tペインがこのスタイルに先鞭をつけていて、2005年には「シンガーに転身したラッパー」なるタイトルのアルバムを発表し、そのヒットによって、オートチューンを使ったシンガー、正しくは、本来の目的から逸脱させた形でオートチューンを使うことにこだわったシンガーが、瞬く間に知名度を上げていき、この使用法にポップ・ミュージック・リスナーの耳も慣れていった。

このオートチューンの使い方を面白がったリル・ウェインも一時期かなりハマっていたが、2008年の初秋にレコーディングされた『808’s&ハートブレイク』は、元カノへの未練を、ほぼアルバム一枚を費やして、地声で表現するのは、さすがに「恥ずかしい」と感じたのか、カニエ・ウェストが、オートチューンをTペインなみに使ったことで、エモさの表現手段としてのオートチューン加工声との認識も広まっていったようにも思う。

本作の先行カットのひとつで、そのカニエと共演している“アイ・ウォン”でのフューチャーは、妻へ捧げる歌い出しからオートチューン加工声でエモさを際立たせようとしているし(そもそも、これは、社会的に成功した美人妻を娶った点で共通する二人の男のドヤ顔ラップ共演曲なので、カニエは出だしから地声だ)、その妻への思いをしたためた“アイ・ビー・ユー”は、極めつけだし、栄光をつかむまでの苦労を思い浮かべる“ブラッド・スウェット・ティアーズ”もまた然り。

フューチャーの今から10年前の音源を聴くと、別に地声でラップしているだけだ。彼によれば、2010年頃からオートチューンを使い始めたのは、ストリート・ライフを扱う自分の曲にあわせて、ラッパーとしての自分の声に粗さを出したかったからだという。本作(のデラックス盤)にリミックスが収録されている“カラテ・チョップ”には、「Choppin bricks like Karate」(空手チョップを食らわせるかのように、ヤクのデカい塊りを砕いてゆく(=小分けしてゆく))とあり、現時点での最新カットはタイトルも“ムーヴ・ザット・ドープ”だ。ただ、「ヤクの卸し」がフューチャーのペルソナであるとしても、後者にフィーチャーされているプッシャTとは違って、彼は気の利いたラインがビシバシ出てくるタイプのラッパーでもないので、剥き出しのラップだけで聴かせるのも気が引けたのかもしれない(それどころか、フューチャーの曲には、正直、声を加工し過ぎ?で、何を言っているのか聴き取りにくい部分さえある)。先の“アイ・ビー・ユー”に至っては、1曲通しで歌っているし、ちょうど昨年の今頃エース・フッドの“ブガッティ”があれだけ受けたのも、フックでフューチャーが「I woke up in a new Bugatti」とオートチューン声で歌っていたからだろう。ここでのブガッティは、あくまでも「成功の象徴」に過ぎないようだが、肉声ではないフューチャーのあの声だからこそ、逆に、単なる絵空事や自慢ではないものとして響き、ある種の生き方のモットーとして広まったのではないだろうか。

この“ブガッティ”が出た頃、Tペインは、オートチューンの使い方を間違っていないかとフューチャーをディスったのだが(お株を奪われた、との思いもあっただろう)、本作リリース後に、その発言を撤回し、一定の評価を与えている。撤回の理由について詳細は語っていないが、フューチャーもまた、本作を経て「シンガーに転身したラッパー」に限りなく近づいていると思われやすくなっている。

そして、昨年のミックステープ『F.B.G.The Movie』に続いて、本作のほぼすべての曲で「成功」について取り上げてはいるものの、それが、ストリート・ライフと地続きである、というよりも、音楽アーティストとして勝ち得たそれのほうが大きくなってゆくなか、フューチャー自身のなかでも、オートチューンの意味や位置も恐らくは変わってきているはずだろうし、昨年来注目され、今ラップ・シーンで最も話題を集めているヤング・サグには、より突然変異的なラップ・スタイルと気まぐれなオートチューン使用を自身のスタイルとして固めてきた元リル・ウェインの(フロウの)フォロワーのようなところがある。それでも、あまり、この二点に気を取られることなく、本作は、むしろ(ユーモア・センスが後退した以外は、上に書いたことも含め)2012年のデビュー・アルバム『プルート』をなぞるようにして作られている。

ちなみに、ちょうど今現在のヤング・サグと同じように、フューチャーが最初にもてはやされたのは、オートチューン声で、トォニ・モントゥァーナ、トォニ・モントゥァーナとあまりに唱え続けるものだから、(『スカーフェイス』の)トニー・モンタナを自己同一視するあまり、この人、どこか具合が悪くなってしまったのか、と笑ってしまった2011年の夏の“トニー・モンタナ”だった。思えば、ラップ・シーンも2010年代に入ってから、その前の10年に比べると、わかりやすいヘンな感じ(特異性)(それを個性と呼ぶべきなのかもしれない)が、総じて、結果的に、(無意識に?)評価のウェイトの多くを占めるようになってきている。こうなると、「ヘンな感じ」がラジオなどを通じて大量露出されたあと、どこがヘンなのかよくわからなくなってしまった時に、コアなファン以外に、どれだけのリスナーをひきつけていられるのか、そこで、初めてアーティストとしての「本当の」真価が表れる、なんていうことも増えてきているのかもしれない。

文:小林雅明

サウス・ヒップホップ界きっての売れっ子が2作目で踏み出した
いちラッパーに留まらないアーティストとしての一歩

1990年代から2000年代前半にかけて、サウス・ヒップホップの象徴として一時代を築いたダンジョン・ファミリー。ビッグ・ボーイやシー・ロー・グリーン、キラー・マイクといった面々は、それぞれソロとしていまだ第一線での活躍を見せているものの、アウトキャストが活動を休止した00年代半ば以降はコレクティヴとしての求心力を失ったかのように見えていたが、昨年辺りから再びその名前を目にする機会が増えてきた。昨年2013年には、シー・ローの復帰によりオリジナル・メンバー4人が14年振りに再集結した、グッディー・モブの最新作『エイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』がリリース。今年にはいよいよアウトキャストが再結成を果たし、世界各地のフェスを回るツアーを敢行中だ。

そんなダンジョン・ファミリーの怒涛の復活劇に、このフューチャーがここ数年間で見せてきた獅子奮迅の活躍が与えた影響は少なくないんじゃないかと思う。現在30歳のフューチャーは、ダンジョン・ファミリーの中心的プロデューサー・チーム=オーガナイズド・ノイズの一員、リコ・ウェイドの従弟にあたり、直接的な血縁関係の意味でもダンジョン・ファミリーの正統な末子と言えるラッパー/シンガー。2012年にリリースしたデビュー・アルバム『プルート』と同作に収録された“ターン・オン・ザ・ライト”のヒットを足掛かりとして、現在では他アーティストの楽曲への客演を1年で30近くもこなす「客演王」となっている。

『プルート』が彼のラッパー/シンガーとしてのユニークな実力をヒップホップ・シーンに知らしめたアルバムだとすれば、2年振りにリリースされた2作目『オネスト』はタイトルも示す通り、彼の内面性を率直に深く突き詰めることで、ヒップホップ界隈のみに留まらないアーティストとしてのポテンシャルを開陳し始めた最初のアルバムだ。ゆったりとしたタイム感で分厚く重いベース音を響かせるキック・ドラム、細かく刻まれるハイ・ハット、サイバーなレイヤード・シンセ等に象徴されるトラップ・サウンドに、オートチューンを効かせたラップ/歌唱を乗せる彼の特徴的なスタイルは今作でも数曲で健在。ファレル、プッシャ・T、カジノの3人を客演に招いた“ムーヴ・ザット・ドープ”やソニー・デジタルがプロデュースした“カヴァード・エン・マネー”といったリード曲は前作からのファンも満足させるだろう彼らしい楽曲と言える。また、アンドレ3000をゲストに招いた“ベンツ・フレンズ(ワッチュトーラ)”はサウス・クラシック風の曲調で、アウトキャストやUGKといったサウスの先達に対するオマージュを感じさせる。

しかし、本作で最も出色なのは、それらのクラブ・バンガー的トラックではなく、中盤に続く“オネスト”から“アイ・ビー・ユー”までの4曲やラストの“ブラッド・スウェット・ティアーズ”における、自身の心の内を曝け出すようなメロウでスピリチュアルなトーンである。スターダムへと駆け上がった自分自身を誇示し「オレはただ正直なんだ」と繰り返される“オネスト”と、ゲストのドレイクが「どれだけ金を手にして女とヤっても、オレは満足できない」と語るのに対して貧しかった過去と現在の成功に思いを馳せながら「奴らは決して満足しない」とヴァースを締め括る“ネヴァー・サティスファイド”は、スターの憂鬱が滲む楽曲。カニエ・ウェストをフィーチャーした“アイ・ウォン”と“アイ・ビー・ユー”では、昨年婚約し間もなく子供が生まれる予定のシアラに対しての至上の愛が歌われる。

それらの楽曲で顕著になっているのが以前よりもR&Bテイストが強まった歌への傾倒であり、以前から代名詞になっていたオートチューンのより実験的な使用だ。ドレイクとカニエの客演も象徴的で、このアルバムでフューチャーはいちラッパーとしてのポジションに安住することなく、自身の業をサウンドと声に乗せて吐き出すアーティストとしての本格的な一歩を踏み出すことに成功したと言えるだろう。本作の段階では、以前のイメージを踏襲する楽曲と新たな側面を見せる楽曲が混在しているため、アルバム全体の統一感や凄みではいまだドレイクやカニエの諸作には少し及ばない。しかし、おそらく彼は今後プロダクション面においてももっと自身のコントロールを強めていくはずで、それが完璧な形で実現すれば、次の機会には誰もが圧倒されるような快作が生まれるかもしれない。

文:青山晃大

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