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JUSTICE Justin Bieber (Universal) by TATSUMI JUNK
MINAKO IKESHIRO
May 20, 2021
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JUSTICE

「企業」としてのポップ・スター、そのプロフェッショナリズム

「私ったら、ちょっとした産業(a small industry)なの。雇っているのは、エージェント、マネージャー、ビジネス・マネージャー、PRレディ、2人のアシスタント、弁護士。ずっと支援してる親戚もいるし、友人も、私のために働いてくれる人も……彼らが子どもを持ったら、私はその子たちみんな私立学校に通わせる。それがずっと続いていくの。だから、私は全力で踊り続けるのよ」。偉大なる毒舌コメディアン、故ジョーン・リバーズ晩年の言葉だが、一人のスターを「産業」と表すような言い回しは今なお用いられている。たとえば2021年、ライターのレイウェア・ケミアは〈ピッチフォーク〉のレヴューにこう書いた。

「ジャスティン・ビーバーがなにかであるならば、彼は企業だ」

幼い頃より音楽産業のトップに立ち、今や〈デフ・ジャム・レコーディング〉の収入の多くを稼ぎあげ、その親会社〈ユニバーサル・グループ〉より大量のリソースを支出される「グローバル最重要アーティスト」たる彼が、よもや「ちょっとした産業」規模で多くの人々の給与を賄っていることは疑いようがない。ただし、同レヴューの「企業(corporation)」という表現には、もうひとつの意味がある。ジャスティンは6thアルバム『ジャスティス』にて、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の演説をサンプリングすることで社会正義を訴えたが、肝心のサウンドはリスナーに安心や高揚を与えるアップ・チューンやラヴ・ソングばかり……ということで、その「プロテスト」な見かけと「ポップ」な中身の不バランスが少なからず人々の怒りを集めた。〈ピッチフォーク〉のレヴューでは、この流れを汲んで「企業」的存在たるジャスティンは「キング牧師をリスク回避の安全な選択肢として使う現実の企業群」の反映である、と呈されているのだ。

前置きが長くなってしまったが、それは『ジャスティス』が音楽作品としても「企業」的な貫禄を併せ持つためだ。お得意のポップ・ミュージックへの回帰が果たされた本作は、ヴァラエティ・パックのようにチャート・トレンドが凝縮されている。“ディザーヴ・ユー”などザ・ウィークエンド王座時代を感じさせる80年代ディスコ・ポップが花を飾っているし、デュア・リパ『フューチャー・ノスタルジア』でお馴染みのモンスターズ&ストレンジャーズも“ゴースト”など合計5曲で起用されている。“ラヴド・バイ・ユー”でアフリカン・ビート、“ダイ・フォー・ユー”でポップ・ロック調も披露される。ジャスティン本人がデラックス版収録“ゼア・シー・ゴー”について「TikTokで大ウケするはず」と太鼓判を押すように、ヒットをきちんと狙った幅広い充実具合だ。唯一無二のヴォーカリングと安定のポップ・サウンド、新境地としても機能する若手起用のトレンド要素、現在の彼の思想を反映するクリスチャニティ、苦悩を含めたパーソナルな心情表現、そして「コロナ禍のリスナーへの安心感と共振の提供」といった時事的でフィール・グッドなコンセプト……「企業」と呼ばれるような2021年のメガ・ポップ・スターとしてマシマシ状態のザ・ポップ・アルバムである。

なにも「企業」的アルバムというのは悪いわけではない。苦難からの復活を遂げた『パーパス』にR&B志向の近作『チェンジズ』と、音楽においてもやや激動の道筋をたどった彼のディスコグラフィ上『ジャスティス』はもっとも余裕を感じさせるアルバムにも感じられる。事実『パーパス』ヒット後にツアーを中断して精神療養につとめ安定を手にした彼が「人生で初めてリリース過程を楽しめたアルバム」であるというし、チーム・メンバーいわく、以前は長時間かけていたヴォーカル録音をすべて45分以内で終わらせられたプロジェクトでもあるようだ。言い換えれば『ジャスティス』は、一人の人間であるにも関わらず「ちょっとした産業」のように莫大な責を負わされる若きメガ・スターが、プロフェッショナルとしてきちんと仕上げてみせた立派な「仕事」ではないか。

「僕を受け入れて 誓うよ ベストを尽くすって」。妻に捧げたラヴ・ソング“アズ・アイ・アム”のラインだが、なんともジャスティン・ビーバーらしい詞だ。特に『パーパス』以降、音楽スターとしての彼は、世間を皮肉るようなポーズはあまりとらず、むしろ猪突猛進気味に発信をつづけてきた。それは「音楽を通じてインスピレーションを伝えること」こそ自らの目的だと気づき、メガ・スターとしての立場を受け容れられた様子の今現在でも変わらない。キング牧師の演説サンプル然り、ときにそのピュアネスが怒りを買うこともあるわけだが、この一件にしても、彼なりの意図がある。ジャスティンが生まれ育ったカナダでは、アメリカのように人種差別問題が大きく取り上げられることはなかったという。だからこそ『ジャスティス』では、キング牧師の信念をポップ・ミュージックに翻案することで次世代に広める努力が費やされた。この方針は、世界を股にかけるプロフェッショナルの視座を鑑みれば、理にかなっているかもしれない。〈デフ・ジャム・レコーディング〉におけるジャスティン・ビーバーの音楽消費の7割は米国外市場、つまり、彼が言う「アメリカのように人種差別問題が大きく取り上げられることはない場所」で生活するファンを多く抱えていることになる。たとえば日本のような文化圏ならば、ポップ・アルバム『ジャスティス』をきっかけにソーシャル・イシューに関心を持つリスナーが生まれていても不思議ではない。「企業」的、と言われる存在だからこそ果たせるなにがしかの「正義」もあるはずだ。

文:辰巳JUNK

反抗期の終焉と、自分の正義を発見した6作目

マイケル・ジャクソンは白靴下を見せてムーン・ウォークを踊り、ビヨンセは髪を振り乱して熱唱する。スーパー・スターは、知名度が上がれば上がるほどシンボル化され、イメージが固定されてしまう。ポップ・スターの頂点に立つジャスティン・ビーバーは、6作目『ジャスティス』でイメージが固定されないよう、全力で逃げている。そして、その逃げ様を見せることで昔からのファンを失わず、アーティストとしての自由まで手に入れた。なかなかの、離れ技。「正義」と題したアルバムを聴きながら、やたらと感心してしまった。21世紀のスーパー・スターは、ヒット曲とセットで新しい話題を提供することを期待される。人生の半分以上をすでにスポットライトの元で過ごしたジャスティンは、その期待によくも悪くも「応えすぎて」きた人だ。薬物依存、飲酒運転、セレーナ・ゴメスとのハイプロファイルな恋愛。「みんなが俺の過去を知っている ガラスの家にずっと住んでいたみたいに 若くして名声と金を手に入れた代償なんだろうけど」。オリジナル盤を最後に配した、“ロンリー”の歌詞だ。人気プロデューサー、ベニー・フランコと、ビリー・アイリッシュの兄、フィアネスが作ったこの曲には、何度か上書きされた自分のイメージへの呪詛が込められている。

あえてイメージの話をすると、ジャスティンは少年時代の儚さを20代前半には危うさに置き換えた人だ。YouTubeのドキュメンタリー『ネクスト・チャプター』で、デビュー時に「女の子みたい」と言われて傷つき、その反動で粗暴になったとふり返る。ただし、音楽的な反逆心は必ずしもマイナスではなく、メジャー・レイザーのディプロとスクレリックスのジャック・Uや、デヴィッド・ゲッタ、DJキャレドたちが、EDMやヒップホップの新境地に招くたびに、それこそ期待以上のヴォーカルで応えた。2018年、25才でのヘイリー・ボールドウィンとの結婚は、反抗期の終焉であり、必然だったのだろう。

前作『チェンジズ』でR&Bに寄ったのは、初心に帰ったとも取れる。『ジャスティス』はダンス・ポップが数曲混ざっているため、「ポップに戻った」と評されがちだが、戻ったというより、ポップ化・複雑化するR&Bをも抱き込んで先に進んだと捉えたほうが正確だろう。クワイアーを配した“ホーリー”はほぼチャンス・ザ・ラッパーの曲だし、“アンステイブル”では故ジュース・ワールドの弟子キッド・ラロイを招いて、彼らの世界観に飛び込んでいる。その時々の流行っている音楽に目配せして、自分の音楽に器用に取り入れるのは、ビヨンセも同じだ。

この作品の素晴らしさは、何と言っても変声期を経てなお美しいソプラノ・ヴォイス。個人的には、12曲め“ピーチズ”からの“ラヴ・ユー・ディファレント”、“ラヴド・バイ・ユー”までが大好きだ。気持ちの良さを追求したライトな曲に仕上げつつ、その土台にあるレゲエやアフロ・ビートまできちんと理解した上で彼なりのグルーヴ感を足していて、見事。デビュー当時、ベースボール・キャップを逆さに被って、アッシャーのスタッフから「スワッグ(身のこなし)」を教わったジャスティンは、「文化の割り当て(カルチュラル・アプロプリエーション)」という、一歩まちがえばマジョリティにたいするいちゃもんになりがちな動向の矛先に常に立ってきた(彼のデビュー当時にはなかった言葉だけれど、同様の批判を受けてきた)。Nワードを使い、人種差別的な発言した15歳頃のヴィデオが出回って謝罪した過去もある。再度“ロンリー”の歌詞を引用すると、「無知なガキだった時にやらかしたことで、批判もされた」は、主にこの出来事を指している。アルバム全体からは浮いているマーティン・ルーサー・キング牧師の説教を入れ、間接的に黒人差別撤廃運動への寄付を行ったのは、その贖罪からだと、私は取っている。

制作陣は、つき合いの長いアンドリュー・ワットや今度は単独でプロデュースしているスクリレックス、新しく組んだザ・モンスターズ&ストレンジャーズなど、コンフォート・ゾーンに片足を残しつつ、冒険した起用も数名。一方、ゲスト選びで業界の兄貴分としての自覚が見え隠れする。デラックス盤には、ストリーミング回数がブーストできそうなリル・ウージー・ヴァートやクエヴォ、ダベイビーなど超人気者も参加しているが、大半が自分と同年代もしくは年下であり、ジャスティンと組むことでファン・ベースを広げられそうなアーティストなのだ。なかでも、チャートの1位に輝いた“ピーチズ”でのダニエル・シーザーとギヴェオンとの掛け合い、“ネーム”のトリー・ケリーとのデュエットが聴きどころ。

6作目でそれまでの作風を仕切り直したり、ちがう一面を見せたりするアーティストは多い。ヒップホップ寄りとの自負がありそうなジャスティンのために、ラッパーから例を引っ張ると、ジェイ・Z『ブループリント』とカニエ・ウェスト『イーザス』も6作目だ。神と嫁の存在感が強い『ジャスティス』では、バランス感覚を身につけた新生ジャスティン・ビーバーの新しい幕開けである。ただし、「新婚の僕らから、幸せをお裾分け」が全体のテーマだが、自暴自棄や孤独との向き合い方を歌詞のあちこちで示唆していて、そこに強い同時代性が光る。

文:池城美菜子

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