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SHEEZUS Lily Allen (Warner) by YOSHIHARU KOBAYASHI
AKIHIRO AOYAMA
May 29, 2014
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SHEEZUS

新世代の容赦ない台頭が続き、「試合の流れ」が変わっても、
なお彼女だけが発揮することが出来る、愛すべき魅力

リリー・アレンの言葉の巧みさにはいつも感心させられるが、今回のアルバム・タイトルも秀逸だ。なにしろ、シーザス!である。しかし、実質的なカムバック曲“ハード・アウト・ヒア”で、女性蔑視的とされるロビン・シックの“ブラード・ラインズ”を揶揄したからと言って、これもカニエ・ウェストを挑発しているわけではない。むしろ、このタイトルにはカニエへのリスペクトが込められているという。では、彼女も女性版カニエとばかりに、本作で「アイ・アム・ア・ゴッド」と不遜に宣言しているかと言えば、勿論答えはノーだ。

アルバムの幕開けを飾る表題曲は、ドレイクやケンドリック・ラマーにビートを提供してきたDJダビーによるトラップ風味のメロウなトラック。そこでリリーは、復帰への不安を驚くほど赤裸々に綴っている。ケイティ・ペリー、リアーナ、ビヨンセ、レディ・ガガ、ロードといった今をときめくフィメール・ポップ・アイコン達の名前を具体的に挙げながら――「女性」というだけで必ず彼女達と比較されるのはおかしいという問いかけも密かに忍ばせつつ――こんなことを言っているのだ。私はシーザスになりたいの、でも「試合の流れは変わっている」し、「ただ復帰してマイクに飛びついて/同じことをやればいいわけじゃない」と。その様子はどうにも自信無さげである。

自分が浮気をして振ったくせに、やっぱり寄りを戻そうと迫る男の惨めさを目の当たりにすると、なんだか笑っちゃう。そんな風に歌ったデビュー曲“スマイル”の痛快さは、間違いなく彼女のイメージを決定付けた。だが、「胸のすくようなことを代わりに言ってくれる、強気な毒舌キャラ」だけがリリーの魅力ではない。むしろ、それはただの一側面。彼女が人を惹きつけるのは、要するに打算のない素直さが感じられるからだろう。元カレのことも、弟のことも、バッシングを受けて傷ついた心情も、ドラッグや宗教といった社会問題も、思ったことはなんでも包み隠さず歌わずにはいられない。遠慮がない、というよりは、どこまでも正直なのだ。“シーザス”の歌詞もそういうこと。有名人なのだから、時には思ったことを我慢して飲み込まないとバックラッシュがあるのはわかっている。でも、嘘はつきたくない――そんな彼女の姿勢は、傍から見ていてもハラハラするが、どうしようもなく魅力的だ。

そして、そういったリリーの良さは、このアルバムでも変わっていない。彼女がどんな思いで復帰したのか、これを聴けば日記でも読んでいるかのようにわかるはずだ。本作を通して、リリーはこんなことを歌っている。リタイア宣言後、夫と二人の子供に囲まれて送ってきた生活にはおおよそ満足(アルバムの半分が、夫へのストレートなラヴ・ソング)。でも、やっぱり何か物足りない。そんな風に感じるのは変?いや、そんなことないはず。セレブ・カルチャーやショービズのくだらなさとか(“インシンシアリー・ユアーズ”)、匿名で有名人を叩くブロガーのウザさもわかっているつもり(“URLバッドマン”)。でもやっぱり、「私の居場所はキッチンじゃなくてスタジオよ」(“ハード・アウト・ヒア”)、と。私だって繊細なところがあるの、と鼻につくアピールをするのではなく、強気なところも弱気なところも全て明け透けに見せてしまうリリーの表現の仕方は、やはり信頼出来るしチャーミング。こんな風に女性というだけで較べてしまうと怒られそうだが、これは他のフィメール・ポップ・アイコン達には真似出来ない、リリーだけの良さだろう。

グレッグ・カースティンが大半を手掛けたエレクトロ・ポップ/R&B的なトラックは、やや刺激に欠けるのは否めない。DJダビーの“シーザス”や、超売れっ子のポップ・プロデューサーであるシェルバックが提供した“エア・バルーン”も、彼らのほかの仕事と較べれば及第点。だが、リリーがリリーらしくある限り、彼女に用意されている席はある。そう言い切れるだけの愛すべき魅力が、『シーザス』には確かにある。

文:小林祥晴

現代社会をユーモラスに斬る言葉のセンスは相変わらず痛快
しかし、同時に手痛い音楽的ブランクも感じさせる復帰第一作

リリー・アレンの5年振りとなる復帰第一作が『シーザス』になると聞いた時、あまりにも気の利いたタイトルに舌を巻いた人はきっと多いだろう。今さら言うまでもなく、『シーザス』とはカニエ・ウェストが昨年リリースした怪物作『イーザス』をもじった造語。カニエが自身のあだ名である「Yeezy」と「Jesus」を足して自分を神になぞらえたのにならい、リリー・アレンはここで全ての女性に使われる三人称と神の名を融合してみせているのだ。自分から振ったくせに後からよりを戻そうとしてくる元彼を振り返し、その惨めな姿を笑うという辛辣な歌詞の“スマイル”でデビューした彼女は、これまでもユーモラスで明け透けで、風刺の効いた言葉のセンスを最大の魅力としていた。その言葉の切れ味は、結婚と2子の出産を経ても全く錆びついていない。

オープニングを飾るタイトル・トラックは、音楽シーンへの復帰を格闘技のリングインに引っかけた1曲。コーラス部ではリアーナ、ケイティ・ペリー、ビヨンセ、ロード、レディ・ガガというポップ・スター達の名前を上げながら、それぞれの立ち位置を軽妙なタッチで語り、「ディーヴァに2番目はふさわしくない/あの王冠を私にちょうだい、シーザスになりたいの」と締め括ってみせている。「ガガにはみんな注目してる、爆笑しながらね/芸術に命を賭けすぎて、殉教者になっちゃった」というラインが特に秀逸だ。ヒップホップにおけるコンペティションも髣髴させるこの“シーザス”だけでも、彼女のリリシストとしての稀有な才覚を再確認するには十分だろう。

その他にも、中身のないセレブに辛辣な言葉を投げかける“インシンシアリー・ユアーズ”(「アナタのインスタグラムなんてどうでもいいよ/アナタの素敵なおウチもブサイクな子供もね」)や、ネット上でのアンチ活動を風刺した“URLバッドマン”(「僕は在宅勤務、職場は実家の地下室/ネットの掲示板を荒らしたりしないよ/主張を述べているんだ」)など、様々な現代的トピックを俎上に載せて斬って捨てていく様はとても痛快。その一方で、本作には結婚と出産を経た今だからこその、「家庭」について描いた楽曲も多数収録されている。夫への愛情をベッドシーンの描写も絡めながら綴る“レイト・カマー”や“クローズ・ユア・アイズ”等は、ビヨンセの最新作にも通じるテーマ性を持った楽曲で、実際に“クローズ・ユア・アイズ”では自分と夫の関係をビヨンセとジェイ・Zに例えてもいる。ただ、ビヨンセがいかにもアメリカ的な豪快さで直球のセックス・ライフを描くのに対し、リリーはもっとカジュアルで諧謔的だ。嫉妬や束縛といった感情まで包み隠さず露わにしつつも、どこかキュートで決して憎めない。それもリリー・アレンならではの得難い個性だろう。

と、ここまでは彼女の相変わらずキレッキレな「言葉」についての話。これが「音楽」についてとなると、話が違ってくる。本作のプロデュースの大半は前作『イッツ・ノット・ミー、イッツ・ユー』でもタッグを組んだグレッグ・カースティンが務めているが、音楽的には全体的に凡庸な仕上がり。M.I.A.を思わせる“エア・バルーン”やケイジャン音楽を引用した“アズ・ロング・アズ・アイ・ガット・ユー”等には面白い試みも見られるものの、その他の楽曲は一昔前のエレクトロ・ポップ、R&Bやヒップホップの表層をなぞっただけのような退屈なアレンジだ。サウンド面ではEDM風の“URLバッドマン”が最も現代的だが、よりによってEDMというのも、ね。

彼女は本作リリース前に、一般人のツイートに答えてレコード会社への不満を口にしていたが、このアルバムではレーベルの人間も含めた制作チームの歯車が上手く噛み合っていないように思える。リリーのリリック・センスがいくら衰え知らずであろうと、彼女が目指すモノがギター一本で弾き語るフォーク・シンガーでなく、あくまでポップ・ミュージックである以上、多数の人間との協力・信頼関係の構築は絶対不可欠だろう。その点において、やはり本作は音楽業界から長い間離れていたブランクを痛いほどに感じさせる。

文:青山晃大

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