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TITLE Meghan Trainor (Sony) by MARI HAGIHARA
AKIHIRO AOYAMA
February 03, 2015
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謙虚な「ぽちゃかわ」じゃないんです。
「デブっ子のスワッグ」だからこその、ポップ・シンガー最新型

以前からその傾向はあったものの、特に今のアメリカのポップ・シンガーは、その人のファンであることがそれぞれの趣味嗜好やライフスタイル、トライブなんかをぱっと区別できる存在になってきています。SNSの自己紹介に書く好きな音楽や映画と同じ。「リトル・モンスター」と自称するレディ・ガガのファンなら、フリーキーなアート好き。ケイティ・ペリーのファンは「カワイイ」に含まれる奇抜さは好きだけど、基本はセクシーな人気者志向で、チアリーダーだってやっちゃう。リトル・モンスターはチアはやらないだろうな、という感じです。

で、話はちょっと逸れるのですが、日本で言えばライトノベルと青春小説と少女マンガを合わせたようなジャンルである、アメリカのヤングアダルト小説をよく読むんですが、最近ぐいぐいきているのが、少女マンガのドジっ子キャラならぬ、いかにも冴えなくて劣等感を抱えるキャラが主人公の作品なんですね。もうすぐ映画が公開される『The DUFF』は“Designated Ugly Fat Friend”=どのグループにも一人いる、ダサくてデブなメンバーが奮起する話だし、去年一番人気だった『Elenor & Park』は、太った赤毛の女の子と韓国人ハーフの男の子のラヴ・ストーリー。読者が美形のヒーロー/ヒロインに憧れるパターンから、そういう主人公の声に共感するパターンが増えつつあるわけです。まあ当然ですよね、だってそっちのほうが絶対的マジョリティなんですから。

そんなことを考えたのも、メーガン・トレイナーを見ると、その波がポップ・ミュージックにも来てるのかなあと思ったから。ダサい子たちの代弁者です。だいたいテイラー・スウィフトだって、ファンは彼女に対する憧れ以上に、むしろ昔はぽっちゃりでいじめられていたテイラーを応援してるわけだし、極端な例では、マックルモア&ライアン・ルイスにフィーチャーされたメアリー・ランバートがゲイであること、太っていること、双極性障害であることまで歌にして注目されています。

日本では「ぽちゃかわ」というコピーになったメーガンは、もうちょっと普通。“オール・アバウト・ザット・ベース”では「あたしの売りはベースで、トレブルなんかじゃない」と、(特にお尻の)どっしりした魅力を、これまたどっしりした低い声で歌ってヒットさせました。まあアメリカでは「強調しすぎ」「よけい自意識をあおる」という批判も出ているのですが、これだけキャッチーで楽しい曲にされたら、抗える人はそういないはず。「うちのママが言うことには……」のフレーズがポップ・スタンダードな感じで効いてるし、他の収録曲も、普通の女の子の言葉がすぐに鼻歌にできそうなメロディに乗っています。わかりやすくポジティヴ。特にいいのは、元気という以上にスワッグがあるところかな。ティーン誌の「体型隠しコーデ」なんかよりは、ずっと健康的だと思います。

文:萩原麻理

「個性」よりも「共感」が求められる女性表現の今を
体現する、ありふれた女子のためのポップス最新形

ここ数年アメリカのエンターテイメント業界を見ていると、「女性の生き方」についての描写が徐々に変わってきているのを感じる。TVドラマを例に取れば、独身キャリア・ウーマンの恋愛と友情を描いた『セックス・アンド・ザ・シティ』やマンハッタンに住むリッチな高校生の恋愛劇『ゴシップガール』といったシリーズが一昔前には人気を博していたのに対し、現在最も支持を集めているのはズーイー・デシャネルがダサめの女子をユーモラスに演じる『ニュー・ガール』やニューヨーク住まいの女性の日常をリアルに描いた『ガールズ』といった作品。そこに見て取れるのは、ファッショナブルで煌びやかな世界観への憧れから、より現実的な生活への共感を求める嗜好性のシフトとでも言うような価値基準の変化だ。

そんな「女性の生き方」に対する価値観の変わりようは音楽シーンにも着実に反映されている。例えば、ビヨンセが最新作の“プリティ・ハーツ”で度が過ぎる美への執着に警鐘を鳴らしたのも記憶に新しいが、それに関連する最も象徴的な出来事は間違いなく、このメーガン・トレイナーが昨年巻き起こした一大センセーションだった。決して学校で一際目立ってきた美人といったわけではなく、むしろコメディ・リリーフ的な立ち回りでも演じていそうな21歳の女性が大らかでぶっといベース・ラインに乗せて「体型なんて気にしなくていい」と歌う“オール・アバウト・ザット・ベース”は、昨夏リリースされるやいなや全米1位に。その後8週間もトップの座に輝き続ける快挙を成し遂げ、2014年を代表する新鋭ポップ・スターとなったのである。

そんな彼女の音楽を聴いていると、どうしても思い出さざるを得ない女性アーティストが一人いる。その人というのは、同じく決してスリムとは言えない自身の体型をネタにしていた活動初期のリリー・アレンだ。両者の共通点は何もリリック面だけではない。ドゥーワップやソウル譲りのソングライティングをヒップホップ以降のプロダクションで解釈し、スパイスにレゲエやカリプソといった中南米のフィーリングを振りかけた音楽性にも、どこか似た部分が感じられる。

ただ、リリー・アレンが自分にも他人にも毒の効いたユーモアを自覚的に振りまいていたのに対し、メーガン・トレイナーは余りにも素直で、無自覚に自己肯定的であることが両者の決定的な違いだろう。「未来のだんな様」にあれこれ注文を付けていく“ディア・フューチャー・ハズバンド”はまるで“関白宣言”の女子バージョンみたいだし、「ただの友だちじゃなく、〈彼女〉のタイトルをちょうだい」と歌われるタイトル・トラックなどは恋に恋する女子のポエムのようで、聴いていて何だか気恥ずかしくなるほど。勿論、その等身大の感覚が若い女性から熱烈に支持される要因のひとつなのは間違いないのだが、10代でもなければ女性でもない人間にとってはどこか物足りなさの残る作品と言わざるを得ない。

リリー・アレンのみならず、ここ10年ほどの間に頭角を現してきた女性ポップ・スターの表現には、方向性は様々ながら、必ずどこかに強烈なエゴや個性が感じられた。しかし、メーガン・トレイナーはありふれた女性のありふれた思いを漠然としたポジティヴさで表現しているという点で、没・個性的なシンガーのように見える。ただ、女性の生き方の表現について出る杭ではなく何よりも「共感」が求められているエンターテイメント界の現況を鑑みれば、彼女こそが今最も現代的な女性アーティストとは言えるのかもしれない。

文:青山晃大

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