まだちょっと先の公開ながら、上映館の少なさが気になる。ジュリア・デュクルノー監督の名前は、デヴィッド・クローネンバーグ並みに知られてほしい。ボディ・ホラーの衝撃によって比べられるこのふたり、特に本作のテーマは『クラッシュ』(1996)を想起させます。ただデュクルノーの恐怖は、女性が通過する感覚と密着しているのがいい。長編第一作『RAW』では思春期の変化や性欲とカニバリズムが一体となり、本作では暴力的な性衝動と心身の変異が密接に繋がっています。とにかく主人公アレクシア役、アガト・ルセルが強烈。中性的なルックス、しかも顔や体が劇的に変わっていく人間をほぼセリフなしに演じ切っています。アレクシアは幼い頃交通事故に遭い、頭にチタンの板が埋まっている。以来車や金属にフェティッシュを持ち、父親との確執もある。そこからはプロットもトーンも二転、三転し、予測不能。途中でさらなる怪物が現れる、とだけ言っておきましょう。トラウマ級にウルトラ・ヴァイオレントなので、苦手な人におすすめはできませんが、時々目を瞑ってでも観る価値はあり。究極のロマンス、無条件の愛が立ち上がってきます。デュクルノーならではのユーモアもあり、音楽のセンスが独特。エロティックで本能的なダンス・シーンに注目です。
まったく素人の父親、リチャードによる育成計画が主眼になっています。ウィリアムズ姉妹が公認した作品にしては、ただの美談に終わらず、計画に対するリチャードの固執ぶりが描かれている。ほとんどモンスター・ペアレントと言ってもいいくらいで、演じるのがウィル・スミスでなければ成り立たなかったのでは。選手とコーチ、スポンサーとの関係など、巨額が動くスポーツ・ビジネスの裏側も見せているので、なかなかこれまでになかったバイオグラフィ映画になっています。それはやはり、白人に占められていた世界でのしあがっていく、黒人選手のストーリーだからこそ。コーチ役のジョン・バーンサルがお気に入りです。
ジェシカ・チャスティンが製作にも関わった、興味深い映画。取り上げられるのはレーガン時代に米国で巨大産業/政治勢力となったキリスト教福音派の内幕、テレビ伝道師の実話です。『スキャンダル』(2019)の舞台がFOXニュースだったように、超保守的なコミュニティをフェミニズム的視点から見ているところが新鮮。チャスティンが演じるのはタミー・フェイ・ベイカー。テレビ伝道師ジム・ベイカーと結婚し、みずからも伝道師として、また歌手として大成功を収めた女性です。メイクや服、話し方もすべて派手でキッチュ。その彼女が福音派の大物のホモフォビアを批判し、政教分離を意見するのが痛快です。80年代のエイズ禍では患者たちを支援し、やがてLGBTアイコンにもなる。豪華な生活ぶり、夫のスキャンダル、落ちぶれたのちのカムバック……と、その栄枯盛衰にはつい見入ってしまいます。チャスティンの歌唱がド迫力。ジム・ベイカーを胡散臭く演じるのはアンドリュー・ガーフィールド。ここ数か月、映画館でも配信でも、チャスティンとガーフィールドの強化月間が続いています!
原題は『On The Verge』、崖っぷちの女たち。『セックス・アンド・ザ・シティ新章』を見ながら、このシリーズと比べていました。どちらもある意味、女性の「中年の危機」を描いたコメディ。『まさに人生は』の監督・脚本・主演のジュリー・デルピーは辛辣でシニカルで、オシャレ感より自虐的な笑いを優先させる人なので、ここでは40代の4人の女性が仕事・子育て・リレーションシップとどたばた格闘します。両作とも『フリーバッグ』や『インセキュア』より痛く思えるのは、まあ自分の立場や感じ方のせいかもしれない。ただジェンダーや人種など社会的なモチーフに関しては、やっぱりもう少し突き詰めてほしい。若い世代や周りが急速に変わるなか、どうしても中年女性がそれにあわてふためいているような、リアクションにしかなっていない気がするのです。でも実際にアメリカでウィメンズ・マーチやBLM、トランプ政権を体験すれば、もっと主体的な変化があるのでは、と思ってしまう。たぶん本作でも、『セックス・アンド・ザ・シティ新章』でも、いまいちばん不満なのはそこ。まあ、主体が見えなくなるのが中年の危機なのかもしれません。とりあえずは、新章を最後まで見守ります。
海外では「スロウ・シネマ」と呼ばれることも多いタイの作家、アピチャッポン・ウィーラセタクン。これは主演にティルダ・スウィントンを迎え、初めてタイの外で撮影された映画。南米コロンビアで、日常からはみ出していくマジカルな体験が繰り広げられます。きっかけはスウィントン演じるジェシカにしか聞こえない、不思議な音。アピチャッポン自身が体験した「頭内爆発音症候群」をもとにしているとか。その音の正体を見つけるため、ジェシカがさまざまな場所や人をめぐって歩く姿が映画のリズムとなっています。ゆっくりと歩行速度で、夢のように連なっていく場面の数々。録音スタジオや考古学の発掘現場、どこか見覚えがある家。同じ名前を持つふたりの男。記憶を深くたどるにつれ、物語が重さを失い、浮遊感が増していきます。ミステリアスな体験をしたい人はぜひ。