映画/ドラマのプレイリストも最終回。6年半もありがとうございました! まずは、いま週一で超楽しみにしているシリーズを紹介します。2022年のエミー賞を席巻した『ホワイト・ロータス』。マイク・ホワイト脚本・監督の最新作です。シーズン1、2ともに富裕層向けの豪華リゾートで繰り広げられる群像劇は、持つ者と持たざる者、人種とジェンダー、世代間、その境目でおきる滑稽でグロテスクな事象を描くもの。スピーディでサスペンスフル、そして鳴りつづけるパーカッシヴな劇伴の使い方など新しさがある一方で、ソープオペラ感もあり、これぞ連ドラという感じ。『サクセッション』シリーズに肩を並べる勢いです。ただ「ハワイ編」のシーズン1はどうしても白人が現地の人や文化を搾取する構造がキツかったので、より性と富にプロットを絞ったシーズン2「シチリア編」のほうが見やすいかも。マイク・ホワイト自身、白人男性のクリエイターとしてそこは考えたそうです。今回はITやファンドで儲けたビリオネアやアメリカのZ世代が、イタリアの保守的な社会で「どう見えるか」も面白い。スターはシーズン1に続いてジェニファー・クーリッジ。ただ私は『ルイス・ウェイン』(2022)の監督であり、BBCドラマ『Giri/Haji』での役も印象的だったウィル・シャープに注目。ここにきて突出した多才ぶりです。
ハーヴェイ・ワインスタインによる性加害を調査報道したふたりの女性記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーによる著作の映画化。つまり事件そのものというより、ジャーナリズムを中心にした『大統領の陰謀』(1976)や『スポットライト』(2015)のような作品になっています。その真摯なトーンが事件のハリウッド的、セレブ的な側面を締め出し、実際ワインスタインも女優もほとんど姿を見せない(アシュレー・ジャッドは本人役で登場)。代わりにゾーイ・カザンとキャリー・マリガンがカンターとトゥーイーを、またサマンサ・モートンらが被害にあった社員たちを演じて、性的ハラスメントや加害によって壊された夢、変えられた人生を描きます。さらにはトゥーイーが産後うつを経験していたり、告発者のひとりが乳がん手術の直前だったり、そうしたことすべてがニューヨーク・タイムズ紙のスクープに繋がったことをマリア・シュラーダー監督は忘れない。5年経った現在、バックラッシュや変化もある#MeTooムーヴメントの原点を見直す意味でも、重要な映画だと思います。これを見れば、再び女性から声を奪えないと確認できるはず。
長年ハリウッドで「映画化は無理」とされてきた、ドン・デリーロの1985年の小説をノア・バームバックが映画化。突飛なプロットやモノローグ風のセリフが「スタイルとしての選択」に見える点からも、いい組み合わせだったんじゃないでしょうか。アダム・ドライバーとグレタ・ガーウィグが主人公の夫婦を演じ(まるで80年代スピルバーグ映画から抜け出してきたような一家が見ていて楽しい)、情報の氾濫、環境汚染によるクライシス、薬への依存、ディスインフォメーション、そして中年の危機や不倫まで——さまざまな「現代的」問題に直面します。シリアスでユーモラス。私自身、「いまっぽい」と感じるようなテーマはむしろ普遍的なテーマなんだ、というのがいちばんの発見でした。本作につけられたコピーは「死の気配は日常にあふれている」ですが、消費生活においては、むしろ「死」だけが生きている実感を喚起していると言えるのかも。最後のスーパーマーケットでのダンス・シークエンスが象徴的。
『グリーン・ナイト』がデヴィッド・ロウリーによる内向的な英雄譚だとすれば、『ノースマン』は一転、迷いなく血と暴力にまみれた復讐譚。ただ監督がアリ・アスターの盟友、ロバート・エガースなので、ダークな心理面も掘り下げられる。いまやメタルや右翼のマッチョなイメージがついてしまった北欧神話やバイキング伝説が、歴史オタクのエガースの手にかかると、正統だからこそ残酷なファンタジーとしてたちあがるのです。叔父に父を殺され、母をさらわれた王子アムレートの物語は元々、『ハムレット』をインスパイアした逸話。でもそこで苦悩するのではなく、アムレート(アレクサンダー・スカルスガルドの鍛えっぷりがすごい)は非情な戦士となり、奴隷に身をやつして復讐の機会をうかがいます。エディプス・コンプレックス的な側面もあり、母(ニコール・キッドマン)や恋の相手(アニャ・テイラー・ジョイ)など、女性キャラクターが一見単純なプロットに意外なひねりを加えている。暴力の連鎖は、もしかすると男性の「思い込み」のせいかも……と思わせるのです。ただ古代を舞台にしたアクションは『〜スローンズ』並みの迫力。一瞬だけ登場して、超自然を体現するビョークを見逃さないで!
こちらは『スリー・ビルボード』(2017)のマーティン・マクドナー監督による、アイルランドの男たちの奇妙な物語。些細なきっかけから破滅していく親友同士を演じるのがコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンとあって、マクドナーの『ヒットマンズ・レクイエム』(2008)を彷彿とさせます。しかし今回は殺人やマフィアとは無関係で、ただ平凡な、パブ通いが日課のような島のコミュニティが舞台。けれど突然、飲み仲間のコルムがパードリックに絶交を宣言したことで平穏が破られます。パードリックがそれを受け入れないでいると、コルムは「話しかけてきたら、俺は自分の指を切り落とす」と重ねて無茶を突きつける。ブラック・ユーモアに縁取られた不条理劇のよう。ただふたりの関係は徐々に、無益な人生への忸怩、感情的葛藤、男の(トキシックな)誇りといったものを浮き彫りにしていきます。海の向こうに見えるアイルランド本土では内戦が続き、瑣末でばかばかしいことこそが悲惨な事態を引き起こすのだ、と強調される。しかも本当の犠牲は、諍いに巻き込まれる周囲から出るのです。いつもながら、こういう映画でもっとも深く印象を残すのはバリー・キーガン。