『荒野にて』は劇場公開されたのに、これはデジタル配信! という不条理を呑み込みつつ、もうひとりのティーンエイジャーの旅も見逃さないでほしい。『ウィンターズ・ボーン』(2010)でジェニファー・ローレンスを発見し、オザーク山岳に暮らす人々を描いたデブラ・グラニク監督が、本作で見つけたのはトーマサイン・マッケンジー。彼女が演じる13歳のトムは家を持たず、父とともに米北西部の森林で暮らしています。社会の周辺で生きる人々の描写の確かさはこの監督ならでは。父はPTSDを病む元兵士で、人目につかないよう「跡を残さず」移動しながら生きている。でも娘との結びつきは固く、『はじまりへの旅』(16)のヴィゴ・モーテンセンのように子どもには教育と生き抜くすべも与えています。ただあの映画のようなロマンティシズムではなく、今作にあるのは苦いリアリズム。二人が当局に見つかり、「普通の生活」を強いられると、トムは共同体というものを知り、父の選択と自分の選択は違うのかもしれない、と思うようになる。それが愛するものとの決別を意味していても。オルナタティヴな物語に見えて、芯にあるのは普遍的な少女の自立なのです。数少ない言葉と身振り、湿った木々の匂いと音、静かなリリシズム。ラストはまたも涙です。
ブリット・マーリングを見るたび、「やっぱ好きだなー」と思ってしまいます。彼女とザル・バトマングリ(元ヴァンパイア・ウィークエンドのロスタムの兄!)の二人が脚本/監督/主演してきたいくつかの作品――そのSFテイストやスピリチュアル風味も、過激な思想性に身体性が組み込まれているところも。彼らが最近取り組んでいるNetflixオリジナル・シリーズ『The OA』パート2も再びビンジしてしまいました。シーズン1は7年間失踪していた盲目の女性が目が見えるようになって帰ってきたところから始まり、衝撃のクリフハンガーで終了。シーズン2は並行世界へ移り、二つの次元でいくつものストーリーラインが展開します。ブリット・マーリング演じる主人公の筋がぶっ飛んでいるせいで(あの水中生物は一体何!?)、そこに引っ張られがちですが、注目すべきは彼女の周りに集まる高校生たち。信じる、信じないで揺れていた彼らはシーズン2で行動を起こします。それぞれがジェンダーやドラッグで問題を抱えるところは『13の理由』並みにシリアス。あらゆる可能性を身体に秘めながら花咲かせられない彼らの悲痛な姿こそが、このドラマのテーマなのかもしれません。ゼンデイヤがゲーマーを演じ、アンドリュー・ヘイが監督として参加など、見どころ多すぎ。
これは力の抜け具合が題材とぴったりな、ガス・ヴァン・サント監督作。ポートランドの有名人である風刺漫画家を彼が扱ったことで、ただの伝記映画というより周囲の群像やコミュニティの空気感が伝わる一作となりました。ジョン・キャラハンは泥酔して交通事故に遭い、四肢が麻痺状態に。車椅子生活となり、アルコール依存と闘ううち、漫画を描くようになります。彼の人生のシャレにならなさと、ダークな笑いのセンスはコインの裏表。それをさらっとラフに描くところが、キャラハンという男とそのアート、「人生の悲劇をユーモアで受け止める」という主題と合っています。主役のホアキン・フェニックスはもちろん、禁酒会の怪しげなヒッピーを演じるジョナ・ヒルら、出てくる一人ひとりに味のあるキャスティング。偶然なのか、キム・ゴードンにキャリー・ブラウンスタイン、ベス・ディットーといった女性パンク・アイコンも揃って俳優として登場します。特に禁酒会のメンバーを演じるベス・ディットーの上手いこと! このパーソナルで親密なタッチこそGVS映画の本分です。
86歳の女性最高裁判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグがいかにアメリカのポップ・アイコンになったのかがよくわかるドキュメンタリー。彼女が70年代に弁護士として性差別と闘うまでの経緯は、フェリシティ・ジョーンズ主演作『ビリーブ』(18)のほうが詳しい。けれどその言葉や行動が逐一話題となり、「ノトーリアスRBG」とあだ名がつき、ミレニアル世代に愛されるようになった背景を知りたいなら、断然こっちです。人々は弁護士、最高裁判事としての業績だけでなく、夫との関係や服装、ユーモアなど、彼女のありかたそのものをヒーロー視している。実際、とてもチャーミングな人なのです。このところ最高裁で下される保守的な判決に対し、辛辣な「反対意見」を次々打ち出しながら、もっとも保守的な判事と友情を育むところなど、まさにいま求められる人物像なのでしょう。こんな時代だからこそ、RBG現象は起きたと実感できる。怒りや失望があるところにスーパーヒーローが生まれる――それは映画やコミックのなかだけじゃない。製作、監督含め多数を占める女性スタッフの熱を感じます。
邦題はポップなコメディ調ですが、実はダルデンヌ兄弟『サンドラの週末』(14)やヴァンサン・ランドン主演『ティエリー・トグルドーの憂鬱』(16)などを想起させる、社会主義的エッジのある人間ドラマ。監督はベルギーのギヨーム・セネズ。先に挙げた二作と同様、こうした作品でロマン・デュリスというスターが一介の労働者を演じるところに意味がある。高度資本主義のもと人の尊厳やゆとりが奪われる一方の日常で、人らしくあるためにはどうすればいいのか? という命題がいかに重いかの証でしょう。ロマンが演じるのは突然妻が家を出てしまった二児の父。急に仕事と家事の両立を迫られる彼は、職場では有能でも家ではそれまで無知でいられたことを思い知ります。いきなりぶち当たる育児の壁、職場で山積する問題。とはいえ「振り回され役」を演じるロマンは持ち味の明るさ、キュートネスを振り撒いて、重くなりすぎない。父と子どもたちはなんとか手探りで生活の落としどころ、感情のよりどころを見つけていくのです。こんな男性キャラクターはありそうでいて、なかなかないかも。原題は「Nos Bastilles(我々の闘い)」。