ある種の社会現象となったジョーダン・ピール『ゲット・アウト』(2017)。当時のアクチュアルなイシューとしての人種問題にフォーカスした上で、それをスタイリッシュなB級ホラーと接続してみせた聡慧さに驚嘆しつつ、自分が引っかかったのは、あまりにブラックとホワイトが図式的に対立項として置かれているのではないか、ということだった。それくらいブラック・ライヴス・マターが抜き差しならない状況だったことの表れだっただろうが、しかしその図に収まらないマージナルな存在もいるはずではないか、と。ある裕福な黒人一家が自分たちと同じ姿をした者たち(US)に突然襲撃される恐怖を描く『アス』では、物語の始まりを経済格差が拡大し始めたレーガン政権下の1986年に設定する。そう、黒人など同じマイノリティ同士でも分断が広がり始めた時期だ。ピールは裕福な黒人として育った自分の罪悪感がここには入っているという。だから本作は、人種問題のより複雑な層に入りこみつつ、ジョーダン・ピールという作家の内省を生々しく反映したものとなった。それをただダークなメタファーとするのではなく、気の効いたユーモアとエレガントなアクションで描く志の高さに感嘆する。テーマでも演出面でもぐっと洗練を見せた一作だ。
『アス』と併せて観てほしいのが本作。「サンフランシスコのブルックリン」とも呼ばれるオークランドのストリートを舞台に、保護観察期間を残り3日で終える黒人のコリンと、その幼馴染で白人のマイルズとの関係を描く。映画は序盤、基本的にはユルめのユーモアとともに彼らの日常を映すのだが、白人警官が走って逃げる黒人を容赦なく射殺するのをコリンが目撃してからは不穏なムードが立ち上がってくる。それからコリンとマイルズの友情にも微妙な変化が起こり始め……。またもやブラック・ライヴス・マター案件なわけだが、この映画が主張するのはそれがたしかに彼ら黒人たちの「日常」のすぐそばにあるということだ。ジェントリフィケーションで変わりゆくオークランドで、「ヒップスターども」に街を乗っ取られるのではないかと苛立ちながら生活するマイルズはもちろんコリンの味方でいたいと思っている。だが、自分が白人だということが逆説的なコンプレックスや罪悪感を彼に植えつけ、彼らの仲に緊張をもたらしていく。そして、それでもふたりは「ダチ」でいられるのか。ややテーマが前に出すぎている部分はあるが、いまの時代を見据えた力作であることは間違いない。
アカデミー3部作ノミネートなど話題になりつつも、残念ながら日本では劇場公開されなかった本作だが、配信での観賞が可能になっているのでお勧めしたい。キャサリン・ヘプバーンの伝記記事を書くなどしてベストセラーを発表していた女性作家(「女流」では適切ではないです。念のため)リー・イスラエルが、ひょんなことから有名人の手紙を偽造して稼ぐようになった顛末を描く。態度も悪く傲慢な彼女(コメディアンのメリッサ・マッカーシーがそのふてぶてしさや脆さを見事に体現)は生活に困窮しているだけでなく、作家としてオリジナルな何かを生み出すことを恐れている。だが、偽造の手紙を生み出していくうちに自分の「創作」に確信を抱くようになっていくのだ。その詐欺行為を手伝うのが彼女の唯一の友人となるジャック(リチャード・E・グラント)。お互い若くないシングルのレズビアンとゲイとして、どこかで孤独を埋め合っていく。だが彼女の詐欺行為がいつまでも順調に続くはずもなく……。これはだから、若くも強くもカッコ良くもないアウトサイダーのクィアの苦境を描く映画でもあり、そして、リーはやがて本当に自分が求めていたものに気づいていく。めちゃくちゃ切ないけれど、それでもここには、はぐれ者たちへの優しいまなざしがある。
ひとはなぜ、危険な山に挑もうとするのか? という問いに、この映画を見た人間は「狂気」だと呟いてしまうのではないだろうか。ロープや安全装置を一切使わずに絶壁をクライミングする「フリーソロ」界のスター、アレックス・オノルドを追ったドキュメンタリー。なのだが、これはある種の芸術論になっているように感じる。つまり、生きるか死ぬかの危険の渦中にこそ生の実感を得られる者にとって、そこに身を捧げることこそが究極の「美」なのだと。もちろんそれは現実との軋轢を起こし、家族や恋人は彼の夢を心から応援することができない。オノルドにとってそうした現実における「安心」は足かせですらある……(このテーマ、デイミアン・チャゼルの諸作と並べたいところ)。だからクライマックスとなる彼のクライミングのシーンはどこか超然としていて、美しい。僕は彼の「芸術」を讃えていいのか倫理的な葛藤を覚えるが、いずれにしても、彼にしか味わえない「あちら側」の領域がこの世には存在するのだ。2019年アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門受賞作。
『長江哀歌』(2006)や『四川のうた』(2008)など、変わりゆく中国で生きる人間たちをこぼれ落ちるような叙情とともに映し出してきたジャ・ジャンクーの新作は、21世紀のかの国の激動を背景にした17年に及ぶ男女のドラマだ。意志の強い女性チャオ(チャオ・タオ)の、ヤクザ者の恋人ビン(リャオ・ファン)に深く傷つけられながら、それでも彼と関わり合うことをやめられない姿は痛々しくも凛々しい。歴史的なモチーフを男女の愛の変遷と重ねているという意味では、最近のものではパヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR あの歌、二つの心』(傑作です)と並べられるだろう。……しかし、そのなかで、ジャ・ジャンクーの映画には大量の民衆の姿が入りこんでいる。大規模な開発によって生活と人生を変えることを余儀なくされた人びとの身体、その顔が。ジャンクーの映画には彼らのすべてにそれぞれの人生があることを思わせる力があり、わたしたちは中国という巨大な土地で生きる人びとのひとりひとりとここで出会っていく。瑞々しい画面作りはフランスの名撮影監督エリック・ゴーティエによるもの。