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  • ビューティフル・ボーイ(2018) directed by Felix van Groeningen by TSUYOSHI KIZU April 06, 2019 1
  • バイス(2018) directed by Adam McKay by TSUYOSHI KIZU April 06, 2019 2
  • 記者たち 衝撃と畏怖の真実(2017) directed by Rob Reiner by TSUYOSHI KIZU April 06, 2019 3
  • 僕たちのラストステージ(2018) directed by Jon S. Baird by TSUYOSHI KIZU April 06, 2019 4
  • 希望の灯り(2018) directed by Thomas Stuber by TSUYOSHI KIZU April 06, 2019 5
  • ポップ・ミュージックは親子を繋ぎとめることができるのか? 〈ローリング・ストーン〉誌などに執筆してきた音楽ジャーナリストの父と、クリスタル・メス中毒に陥った息子の苦悩の年月を描く本作を観ていると、そんなことを思わずにいられなかった。父が持つ文化的素養は息子にとって大いなる宝であると同時に、呪いのようなものだったのではないか? アイデンティティを形成していく上で、自分の親に文化的な観点から反抗できないことは、何かしらの苦しみになるのではないか……? これはあくまで、僕の穿った見方だ。けれども、何度もドラッグを繰り返す息子と愛することを諦められない父の地獄の日々がリリカルな映像で綴られるなか、数々の名曲が(明らかに一般的な映画よりも大きな音量で)鳴る様は、息子の心象を表したものではないだろうか。つまり、それは父からの愛と束縛だ。だがそれでも音楽こそが、父子の絆をギリギリのところで繋いでいたようにも感じるのである。家族の崩壊、抑うつとドラッグはきわめて現代的なテーマだが、それをポップ・カルチャー的価値観から光を当てたのが本作で、戸惑いや混乱、弱さや脆さといった複雑なエモーションをティモシー・シャラメとスティーヴ・カレルが見事に体現する。

  • いやー、似すぎですよね。クリスチャン・ベールによるディック・チェイニーもさることながら、何よりもサム・ロックウェルのジョージ・W・ブッシュが。息子ブッシュ政権で副大統領を務めたチェイニーがどのような人物だったかを、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のアダム・マッケイが(ややくどいながらも)ブラックな持ち味を生かして面白可笑しく描く本作。一般的な映画の感覚からすれば、べつに実在の人物を演じさせるのにここまで似せなくていいのだが、本作はそこに異様にこだわっている。なぜか? これはコントだからである。アメリカ人などはブッシュの姿や話し方がそっくりなのを見るだけで爆笑するらしいが、要するに、9.11から石油利権のためにイラク戦争へと向かったあの時期のアメリカ政治はコントのようにバカバカしかったのだと言いたいのだ。そしてそれはもちろん、現在のトランプ・イラのバカバカしさにも繋がっていると。笑いながら観られるけれど、終わったら現実がのしかかってきてけっこうヘコみます。

  • けれども、そんなデタラメな政治に真っ向から闘う者たちももちろんいる。本作は『バイス』とちょうど対になっていて、ブッシュ政権がイラク戦争の動機とした「イラクが大量破壊兵器を所持している」というでっち上げを暴いた〈ナイト・リッダー〉紙の報道チームを描いている。当時は〈ニューヨーク・タイムズ〉や〈ワシントン・ポスト〉といったリベラル系メディアも、事実にたどり着けずブッシュ政権の嘘を報じられなかった。ただしそれは、9.11後アメリカ国内で対テロのムードが過熱していたことも少なからず関係しているだろう。つまり、〈ナイト・リッダー〉はブッシュ政権だけでなく、冷静さを欠いた国内の「空気」にも立ち向かったのである。ロブ・ライナーは前作『LBJ ケネディの意志を継いだ男』から続いてのアメリカ政治ものだが、ライナーといえばもともとロマンティック・コメディを得意としてきた監督だ。そしてその経験が本作でも生かされており、愚直に真実を追うジャーナリストたちのキャラクターが生き生きと描かれているのがいい。特派員役のウディ・ハレルソンによる豪気なおっさん像も、支局長を自ら演じたロブ・ライナーもいい味わいだ。だから本作は、いつだってジャーナリストたちの熱意が政治の腐敗に対抗するのだと、力強く表明している。

  • 1930年代のハリウッド・コメディ界で絶大な人気を誇ったローレル&ハーディが、引退することとなった1950年代のラスト・ツアーを描く本作。スティーヴ・クーガンとジョン・C・ライリーという名脇役俳優が演じる。……と書くと地味な映画に聞こえるかもしれないが――いや、派手ではないのだが――、「コンビ」というものの困難と尊さを見事に射抜いた佳作である。ローレル&ハーディはそもそもビジネス的に始まったコメディアン・コンビで、仲がいいと言われても当人たちにそんな意識はなかったのだという。だが、毎晩のように同じネタをステージで繰り返し、栄光も失墜も経験し、そしてそれぞれの人生を分け合うことで、ふたりでしかあり得ない「ショウ」を完成させていく。ポップ・カルチャーに誰かとともに殉じること。そんな魔法を本作は純粋に語りかけてくれる。ふたりの想いが昇華されるラスト・ステージの多幸感が泣けてしょうがない。

  • アキ・カウリスマキの精神性を受け継ぐ作家が旧東ドイツから現れたことに、なんだかしみじみと感じ入ってしまう。つまり、抑制された穏やかな演出、ちょっとしたユーモアとともに滲み出る感傷、そして、この世界の下層で生きる人間たちの尊厳へのまなざしだ。原作はドイツ文学界の異端児クレメンス・マイヤーの短編「通路にて」。旧東ドイツの巨大スーパーマーケットで働く人びとを、新しく働くこととなった無口で孤独な青年を中心に描く。東ドイツはいまや資本主義的価値観に完全に支配されており、社会主義時代の記憶を持つ人びとは昔を時折懐かしみながらも、しかし毎日労働をこなすばかりだ。だがそこに慎ましく生まれる、労働者同士の思いやりや恋の予感。人間らしいやり取り。そんなものをいまも信じ抜くように、37歳の新鋭トーマス・ステューバーはひとつひとつ丹念に拾い上げる。彼らの生はけっして明るいものではない。それでもかけがえのない瞬間に満ちている。スーパーマーケットの「通路」を走るフォークリフトを捉えたショットの美しさ、ラスト・シーンの胸をしめつけるようなエモーション。「人びと」に対する慈しみを抱えた映画が若い世代からいま、生まれていることに感動せずにいられない。ステューバーの初長編『ヘビー級の心』はNetflixで観られるので、そちらとともにぜひ。

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