ドラマ『キリング・イヴ』のクリエイター、『ハン・ソロ』でのL3-37役、そして007新作への脚本参加。現在もっともバズっているイギリスの俳優/脚本家、フィービー・ウォラー・ブリッジが最初にブレイクしたのが、主演・脚本・製作のドラマ『フリーバッグ』です。2016年に出たシーズン1では、最初は『セックス・アンド・ザ・シティ』的な自作自演の艶笑譚かと思いきや、都会で暮らす女性の悩みや悲痛な心のうちが次々明かされ、その感情的なレンジに驚かされたもの。3年を経て公開されたシーズン2はさらに心理劇、会話劇として洗練されたコメディとなりました。家族、友人、恋愛。どこにでもある悲喜劇を、どこにもないセリフやシチュエーションで表現する鮮やかさ。誰でも経験する死や別れが、初めて味わうようなショック、悲しみ、そして笑いになっているのです。アベンジャーズの生みの親であるジョス・ウィードンなど「このドラマを観た後どうやってものを作ればいいのか、どうやって生きていけばいいのか?」とつぶやいたほど。カメラに向かってフィービーが語りかける「第四の壁を破る」ギミックにも、新たな仕掛けがあります。見事。
『イーダ』(13)のパヴェウ・パブリコフスキ監督による、激しく、美しく、陶酔させる恋愛映画。意外だったのは、それにも負けないほど強烈な音楽映画であること。しかも、洒脱な50年代パリのジャズ・シーンだけでなく、ポーランド土着の民族音楽の存在が大きい。何しろ、物語は主人公のトマシュが戦後のポーランドで人々が歌い、奏でる音楽をフィールド・レコーディングするところから始まるのですから。それを元に設立された民族合唱舞踏団に応募してきたのが、まだ少女のズーラ。トマシュとズーラは恋に落ち、トマシュが冷戦下の祖国からパリに亡命してからは、何十年もの間、まるで磁石のように引き寄せられては反発するのを繰り返します。コントロールすることも、それを生活として落ち着かせることもできない恋情を持ってしまった男女。それに輪をかける歴史の非情さ。ただそのすべてが音楽に溢れだすと、「どうしようもない恋」が珠玉のラブストーリーへ昇華されるのです。ただただうっとりして、目が離せない。特にズーラ役のヨアンナ・クーリグが輝いています。
黒沢清監督&前田敦子主演&外国ロケ——と、まるで『セブンス・コード』の再現となった本作。ウズベキスタンと日本の国交記念プロジェクトとして、ちょっと不思議な映画が生まれました。前田敦子が演じるのはテレビ番組のレポーター。旅番組の撮影のブラックな理不尽さもリアルですが、何より彼女が仕事を離れてひとり町を歩く場面に、日本人女性として旅をするときの不安や焦り、そのなかで訪れるハッとするような瞬間が自分の体験と重なって、まざまざとよみがえりました。ストーリーでは彼女の用心深さが異国でのコミュニケーションを阻むもの、として描かれたりもするけれど、それは生きるために必要な恐怖でもある。旅はその縮図であり、黒沢映画らしい感覚とも共通している。ウズベキスタンの美しい場所だけでなく、殺伐とした場所、異空間のような場所がいきなり出てくるのも、それっぽい。この映画も、クライマックスには「歌」があります。
少女のカミング・オブ・エイジ・ストーリーでありながら、最初と最後で主人公のレオニーが成長しているようなしていないような、どこか曖昧なところがあるのに惹かれます。カレル・トレンブレイ演じるレオニーはカナダの田舎町や学校にも、母や義父にもうんざりしていて、自分をもてあます17歳。その退屈でもどかしい日常に、スティーヴという自宅でギターを教える男が現れる。一見ルーザーのようでいて優しい彼と時間を過ごすようになるレオニーですが、それはやっぱり恋でもない。この映画は言葉にならないもの、そこにはないものを追いかけながら、レオニーが毎日を過ごす街角、ダイナー、野球場といったどこか懐かしい風景を一つひとつ、ていねいに映しだします。そしてその積み重ねの理由が、ラストで突然明らかになる。映画で「不在」を映した瞬間として、ちょっと忘れがたいものになりました。トレンブレイのツンとした表情、アーケイド・ファイアなどカナダのインディ・ロックも印象的。
『グッド・オーメンズ』はテリー・プラチェットと共著したニール・ゲイマンのデビュー小説。30年を経て、プラチェットの遺志を継ぎ、ゲイマン自身の脚本により映像化されました。同時期にリリースされた『アメリカン・ゴッズ』シーズン2より好評なのは、どちらも「最後の戦争」の話でありながら、『グッド・オーメンズ』のほうがいまの世界にフィットするように感じられるからかも。特にドラマでは賑やかにチアフルに、世界の終わりが描かれます。メイン・キャラの天使(マイケル・シーン)と悪魔(デヴィッド・テナント)は長年地球に暮らすうち、友情を育み、協力してアルマゲドンを食い止めようとする。ふたりの上司である天国と地獄の面々も、実は持ちつ持たれつ。基本、この天使と悪魔の掛け合いとコスプレだけで楽しいのですが、そこにアンチクライストの少年やその犬、イギリス最後の魔女の子孫など次々にキャラが登場して、事態を複雑にします。ティーンエイジャーのアンチクライストが環境破壊や社会の腐敗に気づき、怒りによって破壊者の力に目覚めるのがいまっぽい。とはいえ、全体にキャラはみんな軽めで薄っぺらく、そこがむしろ現代的な魅力になっています。