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PAINTING WITH Animal Collective (Hostess) by SHINO OKAMURA
YUYA WATANABE
February 24, 2016
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PAINTING WITH

さらばインディ・ロック。ブルックリンでの経験を糧に、フロリダ
経由でLAを、そしてレッド・カーペットを目指す、その先は?

先行曲“フロリダダ”の歌詞を辿りながら思い出したのは、ジェイ・Zの“エンパイア・ステイト・オブ・マインド”。そう、アリシア・キーズをフィーチャーしたあの2009年の大ヒット曲だ。ルー・リードの“ウォーク・オン・ザ・ワイルド・サイド”の現代版と言ってもいいほどにヴィヴィッドなあのニューヨーク讃歌と、「サンシャイン・ステイト」と呼ばれるフロリダをテーマにしたと思しきアニマル・コレクティヴのこの“フロリダダ”とは、勿論、曲調も全く違うし、描かれた舞台も異なる。「フロリ、ダ、ダ!」のリフを繰り返しながらもメリーランドやモンタナといった他州から、バルセロナ、ガーナ、ティファナ、スウェーデン、大阪……といった様々な土地の名前を繰り出した末に、「I'll Stick To You I'll Take Your Hands You'll Take My Face & Everywhere Home Will Be Good Place」と歌われる“フロリダダ”は決してストレートな町讃歌ではないだろう。だが、フロリダという土地のイメージをあくまで一つのモチーフにしながらも、幻想の彼方にある場所をイマジネイティヴに創出していこうとする意識、そして、そこへ到達することのアッパーなスリルと快感は間違いなくこの曲に描かれていると言っていい。

本作にはもう1曲、フロリダを舞台にしているかのような曲がある。“ゴールデン・ギャル”。ゴージャスで陽気な女の子たちをモチーフとしたこの曲には、マイアミのコンドミニアムをシェアする元気な初老の女性たちを描いた米NBCの人気コメディ・ドラマ『ザ・ゴールデン・ガールズ』(1985~1992年放送)のいくつかのエピソードから、主演していた女優、ベアトリス・アーサー(2009年死去)のセリフがサンプリングされている。だが、これもまた、単にきらびやかで高揚するような気分を歌ったマイアミ讃歌ではなく、本能や憧れに忠実でいることの真理と可能性をユーモラスかつ冷静に綴った曲だ。

いや、あるいはフロリダでなくてもよかったのかもしれない。近年、真冬ともなれば大寒波に見舞われる彼らのホーム=ニューヨーク、ブルックリンではなく、眩しいほどに明るく気候も暖かい場所。そういう土地で鳴らされる華やかでファットな音楽への果てしない憧れと、一方でその土地において刹那的に燃え尽き、ある種の徒花になることへの畏怖。それはもしかすると、00年代以降、新たなインディ・ロックの聖地となったブルックリン村から抜け出し、伸るか反るかの大ばくちでも打って出ようとする思惑の現れだったのかもしれない。

だから彼らは本作のレコーディング場所にマイケル・ジャクソンの『スリラー』が録音されたことで知られるLAのイースト・ウェスト・スタジオを選んだとも言えるし、となると“フロリダダ”がフロリダからほど近いバハマのコンパス・ポイント・スタジオで録音された作品群の質感に近いのも頷ける。とりわけ、80年代のコンパス・ポイントで録られた作品の多くは、ドラムの各パーツ音までもを個別に出力させてパキッと聴かせてしまうようなクリーンなサウンドが特徴だった。いつまでもサイケだのインディ・ロックだのと呼ばれるブルックリン村の住民でいられるか! 俺たちはグラミーのレッド・カーペットを歩くような連中と勝負するんだ! といった彼らの強い鼻息の荒さが、このどこまでもブライトでハイ・ファイな録音作品に投影されているとすることも出来るからだ。つまり、フロリダやLAというのはそうした音作りの象徴という解釈である。

勿論、こうした指向は今に始まったことではなく、2009年の『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』以降、アニマル・コレクティヴは明らかにコンテンポラリーな黒人音楽……わけても西海岸のヒップホップやR&Bを視野に入れた作品作りを実践していた。マイケルの『スリラー』はもとより、近年もリアーナ、フランク・オーシャン、ジャネル・モネイら多数のセレブ・アーティストが利用しているハリウッドの高級スタジオで録音されたこの3年半ぶりの新作でも、例えば“ヴァーティカル”や“ベーグルス・イン・キエフ”あたりは、音質は勿論のこと、ヴォーカル・スタイル、楽曲の構造自体まで微細に西海岸のR&Bの流儀を研究した成果を見て取ることが出来る曲だ。

だが、“フロリダダ”が「フロリダ」をモチーフにしつつも、「ダダイズム」、わけてもニューヨーク・ダダをもう一つのテーマとしている(?)ように、ニューヨークで培った……いや、彼らが00年代以降に先鞭をつけたブルックリン・スタイルのコラージュ・マナーを捨てずにLAの舞台に打って出ようとする頑固さもここには感じられる。本作の面白さはその両サイドから強烈に引っ張られ合いながら快感の金切り声をあげている点だ。

ニューヨーク・ダダを代表するアーティストであるマルセル・デュシャンは、「レディ・メイド」という手法、思想のもと、既成のものをアイロニカルに再利用しアートそのものをドレス・ダウンさせた。アニマル・コレクティヴの連中は初期からこの思想に共感を寄せていたが、やたらとポップでクリアに音が磨かれた“フロリダダ”に、サファリーズの“ワイプ・アウト”をサンプリングしていることが何よりその証明ではないかと思う。“ワイプ・アウト”は誰でも知っているあのサーフ・インストの曲。それをヒップホップやR&Bが華やかに席巻する現在の西海岸流の音作りの中で再利用することで、彼らはブルックリン・マナーの誇りを見せつけようとしたのかもしれない。

勿論、それは嫌味でもなんでもなく、そう、ジェイ・Zが“エンパイア・ステイト・オブ・マインド”でR&Bの大先輩格にあたるモーメンツのヒット曲“ラヴ・オン・ア・トゥー・ウェイ・ストリート”をサンプリングしていたように、ポップ・ミュージックの歴史に対する敬意も大いに意味しているのだろう。サンタ・モニカのラジオ・ステーション=KCRWの女性アンカーのトークをサンプリングした“ホーカス・ポーカス”にニューヨークの大先輩、ジョン・ケイルが参加しているのも、西海岸(の流儀)とブルックリン(のスタイル)とを交錯させる点において同じ構造であり……ああ、そうだ、イースト・ウェスト・スタジオはパンダ・ベアらが初期のコラージュ的音作りにおいて絶対的なお手本にしたビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』が作られた場所でもある。

勝負すべき土俵はブルックリンのインディ・ロック村ではなく、グラミーのレッド・カーペットでありスーパーボウルのハーフタイム・ショーである。これが本作を繰り返し聴き続けている筆者の結論だ。それは『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』以降変わらぬ展望であり、大ばくちに打って出て失敗するリスク、成功しても徒花として散ることのリスクも孕んでいる。だが、インディ・ロック村の旗を振りかざすことから離れ、しかしながらそこで育んできたマナーをいかにポップ・ミュージックのマジョリティの中で生かしていくのか、という大きな命題に挑んでいるからこそ彼らの作品は常にスリリングだ。

レッド・カーペットやハーフタイム・ショーへと渡る橋や階段は脆く険しい。一度チャレンジしたらもう後には戻れないかもしれない。だが、そんな覚悟で片道切符だけを手にしLAへと向かい、太陽の光をたっぷりと浴びてグラマラスな女の子たちにクラクラしながらも、さてハリウッドの暗く深いところに乗り込んだような本作が、ポップ・ミュージックの新たな指針とならないなんて、そんなはずないじゃないか。

ところで、本作をアップル・ミュージックで聴いてみると、ラストの“リサイクリング”(というタイトルもまた象徴的なのだが)の後、13曲目に約23分の長尺のインストが収録されている。タイトルは“マイケル、リメンバー”。マイケルがマイケル・ジャクソンのことを指しているのかどうかはわからない。ただ、違っていたとしても、でも是非訊ねてみたい。マイケル、あなたは『スリラー』から約35年後の同じスタジオで作られた本作を、天国でどう聴くのだろう、と。

文:岡村詩野

21世紀のベル・エポックから、
アニコレは狂騒の時代へと突き進む

時代は螺旋状に繰り返す――どうやらここ最近の〈サインマグ〉にはこの言い回しが頻出しているようなので、ちょっとここでも応用してみたいと思う。ということで、今から遡ること、およそ100年。世紀の変わり目となった1900年をはさんで、第一次世界大戦がはじまるまでのほぼ四半世紀に、ヨーロッパ諸国は束の間の繁栄期を迎えていた。絵画は勿論、建築や工芸デザインなど、あらゆる分野の芸術運動が各地域を席巻し、誰もが新しさを求めていた世紀末~20世紀初頭。この時期を、フランスでは「ベル・エポック(良き時代)」と呼ぶんだそうだ。

さて、筆者はその享楽的な時代と、21世紀以降に起きた北米インディの隆盛を、今ここに照らそうとしている。さすがにその比較はちょっと無理があるとお思いだろうか。いやいや、今いちど振り返ってみてほしい。ストロークスの登場に端を発するロックンロール再興から、フリー・フォーク~モダン・サイケデリアの時期を経て、ブルックリンを拠点とした若い才能がアフロ・ビートや50年代以前の大衆音楽を再発見し、徐々にそれがメインストリームにも波及していくという、あの一連の動きは、おそらく過去のどんなムーヴメントにも引けをとらないほどにダイナミックなものだったはずだ。すくなくともインディ音楽を愛する人たちからすれば、21世紀に突入してから現在にいたるまでのおよそ15年間は、後世に誇るべきとても幸福な時期となるにちがいない。

しかし、我々はその時代にいよいよ別れを告げなければならないようだ。その理由は、2015年をひとつの境として、北米を中心としたインディ・シーンがあきらかにそれまでの勢いを失いつつあるというのが、まずひとつ。そして、(あえて不謹慎な言い方をするが)まるで戦前を生きているかのような現代のムードに、もはや誰もがもう目をそらせなくなってきているから。間違いなく、時代は今ドラスティックな変化を求めている。ここ数年のヒップホップ/R&Bにおけるアフロ・アメリカンの活躍ぶりは、そうしたことを示唆しているようにも思えないだろうか。

それゆえ、アニマル・コレクティヴがニュー・アルバム『ペインティング・ウィズ』に先駆けて発表した新曲の“フロリダダ”というタイトルには、どうしても勘ぐらずにいられなかった。いうまでもなく、“フロリダダ”の「ダダ」に筆者が見出したのは、ベル・エポックに終止符を打つかのごとく始まった芸術運動、ダダイスムのことだ。戦争への抵抗と、複雑化していく社会への不安を共有しながら、世界中に拡散していった思想、ダダイスム。21世紀のUSインディを先導したアニコレが今それを取り上げたのは、当然ただの気まぐれではないはず――そうした思いを胸に、筆者は『ペインティング・ウィズ』の到着を待つことになった。そして実際に届いたそれは、やはりこのバンドの転換期を示す、超のつく重要作だったのだ。

いま思えば、アニコレが2000年代のインディ音楽シーンに仕掛けたモダン・サイケデリアの潮流は、20世紀最初の絵画革命とも言われるフォービスムの鮮やかな色彩を彷彿させるものだった。同時にアニコレがつくってきた音楽――特に彼らの最高傑作とされる『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』以降――には、そうした色彩豊かなサイケデリアに立体的な質感を与えるサウンド・プロダクションが備わっていた。いわばそこにはフォービスム的な色彩と、キュビスム的な形態を掛け合わせるようなアイデアがあったわけで、まさにその音像は、21世紀におけるベル・エポックを北米シーンに演出するだけの強度をもつものだったのだ。

『ペインティング・ウィズ』において、アニコレはそうしたテクスチャーを踏襲しつつ、同時にそのイメージから逸脱するような実験を行っている。ここでもやはり特筆すべきなのは、本作のサウンド・プロダクションだろう。近年はジャネル・モネイやリアーナ、ジャスティン・ティンバーレイクなども利用している、ハリウッドのイースト・ウェスト・スタジオで録音されていることにも明らかなように、どうやらアニコレは、ここにきてブラック・ミュージック全盛の時代に真正面から挑もうとしているようだ。特にそれはアルバム全編における低音域の質感に顕著で、そのファットな音の鳴り方は、もはや「インディ」ということばがまったくそぐわないものと言っていい。あるいはそのメロディアスな曲調にせよ、BPMの基準値を高めに設定したビートにせよ、この作品には「もうインディとは別の場所に行く」という彼らの意志が、そこかしこから溢れ出ているのだ。

2016年を生きる我々は、この先にどんな時代を迎えようとしているのか。自分には正直よくわからない(ちなみにベル・エポックが収束し、第一次世界大戦を終えた1920年代のアメリカは、ジャズ・エイジと呼ばれる狂騒の時代を迎えている)。しかし、一時代の象徴的な存在だったアニコレが、そこに一区切りを入れて次のフェイズに進んだことの意味は、決して小さくないはずだ。なので、最後にもうひとつだけ余計なことを言っておこう。『ペインティング・ウィズ』という作品を通じて、インディから抜け出そうとしたアニマル・コレクティヴと、この作品に10点満点中6.2という点数をつけた〈ピッチフォーク〉。あなたはそのどちらが、時代の移り変わりを正確に捉えていると感じるだろうか。

文:渡辺裕也

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