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HAPPIER THAN EVER Billie Eilish (Universal) by MINAKO IKESHIRO
TATSUMI JUNK
September 03, 2021
HAPPIER THAN EVER

「幸せであろうと努力している」ビリーの2.5作目

「いままでよりずっと幸せ」と、ビリー・アイリッシュは2ndアルバムのタイトルで全方位的に訴える。一聴してみる。「うん、幸せそうだね」とはとても言えない内容だった。17才でグラミー賞主要部門を(発言から察するにとくに望まずして)大量受賞、さてその次は、と「全世界が注目した」本作である。ビリー個人の事情が大きいにせよ、幸福度のレベル設定がかなり低いのはある意味、2021年の世界情勢に即している。とりあえず、「デビュー作で成功すると2枚目はコケる(もしくはリリースが異常に遅れる)」とのソフォモア・ジンクスを吹き飛ばしたことを祝いたい。

便宜上、2ndアルバムと書いたが、私は『ハピアー・ザ・ン・エヴァー』をビリーの3作目もしくは2.5作目と捉えている。大ヒットした『ホエン・ウィ・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー?』より、2017年のEP(でも30分弱ある)『ドント・スマイル・アット・ミー』のほうが好きなのだ。さらに少数派であろう本音を書くと、代表曲“バッド・ガイ”は苦手である。だから、“バッド・ガイ”的な曲が、新作で見当たらない点も歓迎している(※個人の感想です)。そこを本作の弱点と指摘する国内外のレビューをいくつか斜め読みして、多様な聴き方がされているのがビリーと兄のフィニアス・オコネルの強みかもしれない、とも思った。

天邪鬼な物言いを続けると、「ビリー・アイリッシュ」とはソロ・アーティストではなく、ビリーとフィニアスのグループだと考えたほうが自然だとも考えている。アリーヤ~ブランディ~ジェネイ・アイコの「ウィスパー系R&B」を大好物にしている筆者でさえ、「ん? いまなんて言った?」とうまく聴き取れないこともあるビリーのヴォーカル・スタイルを理解し、トラックをカスタムメイドし、歌詞をコ・ライティングしているフィニアスなくしては、「ビリー・アイリッシュ」という社会現象は起こり得なかったと思うのだ。

少し前まで、ふたりの歌声とサウンドが溶け合いすぎていてカーペンターズ的なもの(あえて説明しません)を勝手に嗅ぎ取り、苦手に感じる瞬間があった。だが、ビリーとフィニアスがシナスタジア(共感覚)の持ち主と知ってからは、これまた勝手に点と点がつながって冷静に聴けるようになった。シナスタジアは、ある刺激に対して異なる感覚も生じる現象で、たとえば特定の音を聞くと色を感じる、などだ。その感覚自体は共有できないらしいが、研ぎ澄まされた感覚を音楽化するにあたって、ビリーが言うところの「絶対的な理解者」である兄の存在は大きいだろう。「ビリー・アイリッシュ」を聴くとき、私たちは本来ふたりしかわかりえない世界を覗き見しているのだ。そのうえで、『ハピアー・ザ・ン・エヴァー』の直感的に解釈したジャズやR&Bのエッセンスがところどころ立ち上るあたりが、フィニアスのソロ・アルバム『ブラッド・ハーモニー』(2019年)に近いと指摘したい。ビリーの歌声の美しさを際立たせるためには、本作のプロダクションが正解だとも思う。

“ノット・マイ・レスポンシビリティ”でくだらない体型批判(ボディシェイミング)の問題に立ち向かい、“ロスト・コーズ”ではダメ男に最後通牒を突きつけつつ、同年代の女子たちと登場したプロモーション・ビデオで元気いっぱいで体のラインをさらした。1曲目の“ゲッティング・オールダー”で「いままでよりずっと幸せ 少なくともそうであるように努力している」と逆説的なタイトルの意味を明かし、ストーカーの存在、虐待的な恋愛など重い経験も赤裸々に入れ込んでいる。ドキュメンタリーやインタヴューで私生活や自分の内面の変化を積極的に伝え、「グラミー7冠」という押し付けられた神話を自ら壊しに行っているように見えるのは、努力のひとつなのだろう。ビリー・アイリッシュは、若くして賞をもらったからすごいのではない。非常に個人的で繊細な心情を歌って、世代問わずささくれまくった聴き手の気持ちを癒したからすごいのだ。『ハピアー・ザ・ン・エヴァー』は痛みに満ちた作品だからこそ、癒す力を湛えている。そこを大事に享受したい。

文:池城美菜子

シンガーソングライター、
結局のコロナ禍

COVID-19パンデミック危機にともなう自主隔離生活は、シンガーソングライターたちにインパクトを与えたようだ。動きが早かったのは「ポップのフィクサー」の二つ名を持つチャーリー・XCXで、2020年5月にリリースされた『ハウ・アイム・フィーリング・ナウ』には、ロックダウンにおける同居人との関係の抑揚や外出したい欲求など、リアルタイムなエモーションが暴発気味に記録されている。テイラー・スウィフト『フォークロア』も、最大級のフロントランナーだろう。懐かしさ香るおだやかなこの歌集こそ、パンデミックにおける「シンガーソングライター」的な音だと認知された向きは否定できない。

特段、スター級シンガーソングライターにとって、いわゆる「quarantine」は、人生観そのものを変革する機会だったのかもしれない。ウィル・スミスの子供として幼少期より注目を浴びてきたウィローは、喧騒から離れた自主隔離によって「他人の目を気にしなくていい」と思えたことによって、隠していた「黒人女性らしくない」嗜好、ロック・ミュージックへの愛を発露させる新作『レイトリー・アイ・フィール・エヴリシング』のリリースに行き着いたそうだ。比較的新顔のポップ・ラップ・スター、リル・ナズ・Xにしても、自粛生活に本を読んでいったことで、外部からの中傷や自身の嫉妬をコントロールする術を習得し、自身のセクシャリティを大胆に表現する“モンテロ”シーズンの扉を開いたという。

現実的かつシンプルな面で、自粛生活は多くのスターたちの生活を変革したのだろう。「ミュージシャンの人生を構成するものは、道程、旅路、ホテル待機、舞台裏の数時間」。そう語ったのは写真家ブライアン・アダムスだが、2020年、それらのほとんどが消滅した。眠りから目覚めた時どこにいるかわからなくなるほどの移動と負担を与えるツアーは中止されたし、パパラッチつきの豪華イベント出勤もまた然りである。道程、旅路、ホテル待機の代わりにもたらされたのは家の中なのだから、世界を飛び交う売れっ子であればあるほど、環境ギャップは大きかったかもしれない。

ビリー・アイリッシュもご多分に漏れずその一人である。ティーンエイジャーにして世界のトップに立ち「新時代のアイコン」として喧伝されていった彼女の境遇は、50:50分担の創作パートナーたる兄フィニアスがジェイムス・ブレイク“セイ・ホワット・ユー・ウィル”のミュージック・ヴィデオで演じた「グラミー賞総取りの人気アーティスト」役、その皮肉にもなりきれない哀しさを目にすれば、おおむねの規模感が伝わってくる。そんな兄妹は、レーベルからのプレッシャーや締切、膨大なるミーティングから解放されたロックダウン下の2020年4月ごろより、きちんとスケジュールを組んで2ndアルバム『ハピアー・ザ・ン・エヴァー』を制作していった。その過程は、ビリーの創作歴において「最も充実し満足のいく」、「人生で最高の夜々」になったという。つまり、本作の制作環境や過程にはパンデミック下の自主隔離生活が影響していることになるのだが、一転して、中身はそうでもない。

『ハピアー・ザ・ン・エヴァー』をメディアのキャッチコピー的にまとめるなら、痛ましい人間関係や失恋を軸に「若きスターダムの暗闇と成長」を凝縮した2ndアルバム……要するに特殊な立場を感じさせるレコードになっている。基本的にビリーはストレートに自伝的なリリックは書いていないと言うが、それでも、彼女自身がセレブリティの境遇について「この世界の住人にしかわからない」と断言したように、遊び相手に機密保持契約を結ばせたり(“NDA”)、嫌悪する相手と自分が並ぶメディア報道に憤る(“ゼアフォー・アイ・アム”)ライフスタイルを送るリスナーは限られるはずだ。デビュー・アルバム以降「新世代のアイコン」として一挙手一投足が取り沙汰されていった背景──たとえばドレイクについて「いい奴すぎる」と軽口を叩いたものなら相手側に未成年淫行疑惑が立ち上がり鎮火に走る、といった騒動が繰り返されてきたこと──を踏まえれば「スターダムの暗闇」を色濃く反映したアルバムは、パンデミックなくとも必然だったように思える。

ただ、個人的に、パンデミックを感じさせるアルバムでもある。要因は音の質感だ。リリース前の2021年5月、〈ブリティッシュ・ヴォーグ〉にて、オーバーサイズドなストリート・ファッション・アイコンとして知られながらコルセット・ドレスを着用してイメージを一新させた彼女であるが、このエディトルは『ハピアー・ザ・ン・エヴァー』の方向性を指し示していた。ここでは、1900年代半ばのフェミニンなピンナップ・ガールが意識されているが、単なるレトロ再現ではなく、あくまで2021年のパスティーシュとして「過去と現在の架け橋」とする目標が設定されている。アルバムのカヴァー・アートにしても、地続きとなるクラッシーなハリウッド・ビューティ仕様だ。これら「モダン化されたクラシカル」ヴィジュアルは、サウンドと共にある。まず、タイムレスな統一感が掲げられた本アルバムのインスピレーションとして挙げられた名がフランク・シナトラやペギー・リーの時点で結構な直球。前半のムードとしては「ビリー・アイリッシュ」作風を決定づけた1stでお化け屋敷のように押し寄せたミニマリズム、ヒップホップ・ビート、ASMRといった要素はやや減退しており、代わりにジャズやボサノバ、クリスチャン・ミュージックが奏でられる。

それは、パンデミック・トレンドたる、おだやかな音のように聴こえる。しかしながら、面白いところは、このアルバムが結局「モダン化されたクラシカル」としての「ビリー・アイリッシュ」の音楽であり、ところどころで不安や不快感をもたらすエフェクトが入り交じる点だ。その安心しきれない居心地は、アコースティックに始まりながらレディオヘッド的爆発へ至る表題曲で極まるわけだが、この感じはどこか、パンデミック下の感覚に似ていないだろうか? 2020年、外出しないよう心がけていた、ある程度恵まれた立場のリスナーは、自主隔離生活を心地よくするおだやかな音楽に浸っていった。つまり、人々はより内省的になったわけだが、内実、その一見おだやかなムードには、危機感、緊張感が併行していたのではなかろうか? 行く先わからぬ世界状況を前に不安が恒常化したからこそ、その対処として安心できるコンテンツを求めた節もあるだろう。私からしたら、おだやかになりきることを許さず、不安や悲嘆の影がつきまとう『ハピアー・ザ・ン・エヴァー』こそ、パンデミック下の感覚を思い出させるのである。アーティスト自身がそれを意識していなかったとしても、このアルバムには、聞き手の記憶を刺激し掘り起こすような時代精神が宿っている。その面で、かくも「シンガーソングライター」らしいアルバムであったと思う。

文:辰巳JUNK

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