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SOMETIMES I SIT AND THINK, AND SOMETIMES I JUST SIT Courtney Barnett (Traffic) by AKIHIRO AOYAMA
JUNNOSUKE AMAI
March 16, 2015
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SOMETIMES I SIT AND THINK, AND SOMETIMES I JUST SIT

本当に愛でるべき瞬間は「平凡さ」の中にある
ありふれた日常をユーモラスに切り取る女流詩人

「遅くに寝る/また次の日/あぁ、なんて不思議/あぁ、なんて無駄/今日は月曜/とっても平凡/今日はどんなワクワクすることが起こるだろう?」2013年末にコートニー・バーネットが世界的な注目を浴びるきっかけとなった代表曲“アヴァン・ガーデナー”は、そんな言葉から始まる。その後、この「ガーデニング」についての物語は2ndヴァースで発作を起こし救急車で病院に運ばれるという急展開を見せるのだが、そこでも彼女は「今日はベッドにいなきゃいけないな/私は平凡な方がずっと好き」と歌う。

だらけた日常に起きる小さな事件、そしてまたありふれた日常へ。人生は決して冒険の連続というわけではなく、平々凡々とした暮らしの積み重ねであり、その中にも愛でるべき瞬間はたくさん潜んでいる。そんな平凡さをユーモラスに切り取る言葉のセンスにおいて、彼女は久方振りに現れた鮮烈な才能の持ち主であり、地元オーストラリアを飛び出して英米でも熱狂的な支持を獲得していったのも、ひとえにそのストーリーテリングの才によるところが大きかった。

2013年末にリリースしたEP集『ザ・ダブル・EP:ア・シー・オブ・スプリット・ピーズ』において特に顕著だったのは、ミュージシャンを志しながらどうにも怠け癖がなおらない、コートニー・バーネット自身を反映したと思しき主人公の「スラッカー」な日々。「ちゃんと働いてるの?ご飯は食べてるの?」と心配ばかりしてくる親の小言と「9時5時の仕事なんかしたくないの!」という子供の甘い考えが対比される“アー・ユー・ルッキング・アフター・ユアセルフ”などは、誰もが共感を覚え、クスリと笑いつつも、身につまされる内容に違いない。

彼女の正式なデビュー・アルバムとなる本作『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク・アンド・サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』もまた、最大の魅力は歌詞にあると言っていい。だが、本作でのコートニー・バーネットは、もはやうだつの上がらないミュージシャン志望ではなく、全米でのTV出演も経験した期待の新鋭であり、その周辺状況の激変に伴って詩作にもこれまでとは一味違った色が生まれている。90年代USオルタナ風のささくれだったギターに乗せて「私を崇めなさい/そしたらあなたは私にすごくがっかりするでしょう」と歌われるリード・シングル“ペデストリアン・アット・ベスト”は、何にも芸が出来ず客に愛想をつかされるピエロを演じたヴィデオと共に、彼女の戸惑いや迷いをこれまで以上にストレートな形で伝える一曲。また、NYでの眠れない夜の思索を描いた“アン・イラストレーション・オブ・ロンリネス(スリープレス・イン・ニュー・ヨーク)”も、環境変化に呼応したトピックだと言えるだろう。

自身が置かれた状況の違いが詩作に変化を及ぼしているとは言え、あくまで日常に主眼を置いた細やかな機微を表現している点は変わらない。いやむしろ、彼女は本作において、どこかアマチュアイズム/ローファイイズムが感じられたこれまでの自伝風の語り口からさらに一歩を踏み出し、多様な視点を交錯させながら、ハッとするような真実をカジュアルな言葉で綴るプロフェッショナルな詩人へと成長を遂げている。例えば、倦怠にまみれたブルーズ曲“キムズ・キャラヴァン”の途中で彼女がサラリと織り交ぜてみせるのはこんな歌詞だ。

「私たちは自分が無敵だと考えたり/取るに足らない存在だと思ったり/実際のところ その間って感じ/私たちはみんな自分がただのつまらない人だと考える/でもみんな誰かにとっては大事な存在」

飾らず、気取らず、ユーモラスで、それでいて何て真実をついた感動的な言葉だろうか。

文:青山晃大

後の名ソングライターによる処女作とは、案外こう
さりげない格好で上梓されるものなのかもしれない

垢抜けない日常を皮肉やユーモアを交えて綴った歌詞(が連想させるイメージ)と、スポークン・ワードによるおしゃべり好きな弾き語りのスタイル。本人の絶妙すぎる風貌とも相まって、スラッカー風情と評されたりアンタイ・フォークを引き合いに出されたりしているコートニー・バーネットだが、さもありなん。後者の比較については、ベックが名を上げた(文字通りフォークの正統性や形式性への反動としての)80年代のそれというより、ジェフリー・ルイスやモルディ・ピーチズに代表された(広義の“ローファイ”に含まれる)90年代末/00年代初頭のそれにテイストは近いが、前者の扱いについては、過去に「驚くほど正直なスラッカー・ガレージ・ポップ・ソングス」とわざわざ自称(自虐?)したこともあるくらいだから、賛否はどうあれ本人も相応に意識するところがなきにしもあらずかもしれない。

もっとも、そう思う理由のひとつに、バーネットの名前を最初に目に留めたのが、〈NME〉の企画で披露されたレモンヘッズのカヴァーの映像だった、という個人的な経緯も大きいのだけど。いわゆるスラッカー・ロックの筆頭格として、90年代に同郷マサチューセッツのダイナソーJr.と人気を二分したレモンヘッズ。バンドのソングライターであり、盟友J・マスキスとは陰と陽をなすキャラクターで様々な“癖”に難を抱えたイヴァン・ダンドの人懐っこさが歌詞に表れた“ビーイング・アラウンド”の飾らない雰囲気を、バーネットがとても自然に自分のものにしている様子が印象に残った。余談だが、バンドと並行してソロや別プロジェクトではオーストラリアで少なくない時間を過ごしてきたダンドが、かたや音楽スタイル的にバーネットにとって直系の地元の先行世代に挙げられるベン・リーと交友を温め、かたやモルディ・ピーチズのキミヤ・ドーソンが楽曲を通じてリスペクトを表するなどアンタイ・フォークの一部から支持を集めていた、というエピソードは興味深い。そうした関係図からは、ざっくりとながらバーネットを位置づけるための参照点や補助線を探ることができそうだが、ともあれ、シーアやキンブラなど近年の個性豊かなオーストラリアの女性シンガー・ソングライター勢の中でも、明らかに毛色の異なる逸材であることは間違いない。

本作『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』はバーネットのデビュー・アルバムになるが、過去のシングルやEPでも制作を共にした地元ミュージシャンとのバンド録音となり、音楽的な印象はこれまでと大きく変わるものではない。ギター、ベース、ドラム、時おりキーボードを織り交ぜたごくオーソドックスな編成。ローファイな手触りはだいぶ失せたが、それでも粗さや余地をあえて活かしたような仕上がりは魅力であり、とりわけ多くを占める3分台前後のガレージ・ロックやギター・ポップでそれは際立つ。なるほど、レモンヘッズを持ち出すくらいなら、ダンドと袂を分かったジュリアナ・ハットフィールドのブレイク・ベイビーズを連想する方がよっぽど自然な流れかもしれない――あれほどパワー・ポップ然とはしてないが。そもそも、アンタイ・フォークのキミヤ・ドーソンにしても、DIYなアマチュアリズムのイメージとは裏腹にR&Bやポピュラー音楽に通じた素養を隠し立てしなかったのに対して、バーネットは現時点で音楽的な語彙がけっして多いタイプのソングライターではないだろう。一方、“スモール・ポッピーズ”を始め6分台や7分台の楽曲では、過去に収録された長尺のそれと比べても演奏の展開や幅に厚みが感じられ、単純に弾き語り的なアプローチの延長とは言いがたい場面も。サイケデリックな趣向も帯びたジャム・サウンドは、バンド・メンバーが属するバースデイ・パーティ直系のドローンズ譲りとも言えるだろうか。

身近な出来事を思慮深く見つめ、日々の浮き沈みを平易な言葉で拾い上げていくような歌詞の名調子は本作でも健在。あけすけな人物描写の“エレヴェーター・オペレーター”、叙事詩的な広がりを持つ“デッド・フォックス”がとくに楽しめたが、リアル云々と言うよりも、第一に「お話」としてフィクションを仕立てる話術の巧みさが本作では秀逸なように感じる。そして、“キムズ・キャラヴァン”では一転して陰鬱な様相も帯びた暗示的な光景が目を引く。ちなみに、“キムズ・キャラヴァン”は前述の“スモール・ポッピーズ”と並ぶ長尺の異色のスロウコア・ナンバー。「初めに言葉があった……すぐ後ろからドラムと原始的なギターが続いた」とはルー・リードだが、バーネットも曲作りでは言葉が先で、歌詞に合わせてメロディ・ラインや全体の構成を探っていくタイプのソングライターと聞く。本作は(収録曲こそ新曲だが)内容的には現時点でのベスト・アルバムといった趣だが、この先、歌詞の調子が変わることで音楽のスタイルが変化していくこともあり得るのかもしれない。

文:天井潤之介

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