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LOSE Cymbals Eat Guitars (Tugboat) by JUNNOSUKE AMAI
YUYA SHIMIZU
September 02, 2014
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LOSE

愚直なまでの正攻法で描き尽くされた、
彼らの後にも先にも脈々と続くUSインディ・ロックの原風景

2000年代の終盤、「ノー・ファイ」「シット・ゲイズ」なんて泡沫ジャンルも伴い浮上したシューゲイザーやガレージ・ロック・バンドの一群の中にこのニューヨークの4人組の名前を見かけた覚えがある。ただ、当時彼らのことがそれほど印象に残らなかったのは、たとえばロサンゼルスの〈ザ・スメル〉にたむろしたノー・エイジや、東海岸でレーベルを運営するウッズやブランク・ドッグスの周辺に見られたような、その界隈の特色であるローカルなコミュニティを通じた人脈相関図の網の目から漏れた存在だったから、というのも大きい。加えて、そもそも彼らは音楽的に、そうした一群と趣向を共有しながらも特定のトレンドで括るには様式美が希薄というか、たとえばサイケデリック・ホースシットやタイムズ・ニュー・ヴァイキングといったスタイルの特化したバンドと比べると早い話がキャラクターに欠けた。ウィキペディアによればルー・リードがヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサウンドについて評した言葉から取られたというバンド名は、直訳するといかにも偏ったイメージを連想させるが、しかし、シンバルズ・イート・ギターズのサウンドは、むしろきわめてオーソドックスなギター・ロック・バンドの器楽構成にふさわしい。

この3rdアルバム『ルーズ』のリード・トラック“ウォーニング”を「ベスト・ニュー・トラック」に選んだ『ピッチフォーク』は、彼らのことをインディ・ロックの「正典(canon)」の継承者と称している。とするなら彼らが継ぐ正典の起草者リストには、ビルト・トゥ・スピルやモデスト・マウス、さらにはデス・キャブ・フォー・キューティといった名前が当然のごとく並ぶに違いない。2009年の1stアルバム『ホワイ・ゼア・アー・マウンテンズ』の時点で既に、まだ生硬ながら〈サブ・ポップ〉や〈キル・ロック・スターズ〉辺りの飛車角も狙えるUSオルタナティヴの本格派然としていた彼らの佇まいは、たとえば同じニューヨークの先行世代がトライバル/エスニック趣味や非ロックな志向を露わにした動きとは対照的に映る。そんな当時の身の周りの状況について「脱中心化が起きている」と語っていたのはダーティ・プロジェクターズのデイヴ・ロングストレスだったが、シンバルズ・イート・ギターズが射抜かんとするのはまさにその「中心」。冒頭のシーンと地続きのアンダーグラウンド寄りの階層ではなく、それこそデス・キャブやモデスト・マウス、あるいはシンズが2000年代に駆け上った、いわばインディとメジャーの中二階に彼らが辿る先は位置付けられるべきだろう。

3年前の2ndアルバム『レンジズ・エイリアン』に引き続きジョン・アグネロをプロデューサーに迎えた人選からは、バンドが描いているだろうキャリアの青写真を窺うことができる。ジョン・アグネロといえば、ソニック・ユースやダイナソーJr.周りの作品で知られたUSオルタナティヴの老練であり、ポスト・ハードコアやエモに遡れる彼らのルーツを考えれば、たとえばジミー・イート・ワールドやアップルシード・キャストの諸作も並ぶアグネロのディスコグラフィは彼らを導く格好の道標と言えるに違いない。また近年では、彼らとも筋の近いカート・ヴァイルとの好調な仕事ぶりが伝えるように、両者の相性の良さは推して知るべしだろう。

ベースのマシュー・ウィップルによれば、前作の『レンジズ・エイリアン』は音作りのプロセスでトゥーマッチなきらいがあった反省から、今回のレコーディングではただより良い曲を書くことだけに意識を集中したらしい。その荒削りなスタイルとは裏腹に、硬軟織り交ぜた楽曲のレンジの広さは1st『ホワイ・ゼア~』においても顕著だったが、本作で聴ける“プレイス・ネームス”のみずみずしいレイドバックや“トゥー・ヒップ・ソウル”の奥行き豊かなギター・アンビエンスは、そんな錬度を増したソングライティングの賜物でもあるのだろう。あるいは“ララミー”の8分強に畳み込まれたアメリカン・ロックの深層は、アグネロを介して彼らが継いだ衣鉢の大きさをあらためて物語る本作の白眉に違いない。そして、“ウォーニング”や“XR”のファストでミニマルなセットは、同輩のブラック・リップスやタイタス・アンドロニカスと渡り合う真正のガレージ・パンク・バンドとしても十二分であることを伝えてあまりある。彼らと言えばデビュー当時、フレーミング・リップスやオブ・モントリオールら面々と並んでガイデッド・バイ・ヴォイシズのトリビュート・アルバムに参加していたことも記憶に新しいが、なるほど、インディ・ロックのカノン・コードとしか形容しえない強力なアウラを本作の楽曲群が帯びていることは確かだ。

特別な個性や目新しさがあるわけではない。が、堅実なボトムアップにより、ここには彼らの美点が尽くされている。そして、いよいよ彼らが彼ら自身の「正典」に手にした、そんな達成感に満ちた出来栄えであることを保証したい。

文:天井潤之介

親友の“喪失”を乗り越えるための
エモーショナルな回想録

たとえあなたがこのアルバムの背景を知らなかったとしても、今にも張り裂けそうなジョセフ・ダゴスティーノの歌声を聴けば、何かを感じずにはいられないはずだ。そしてその理由が何なのかを、知りたくなるに違いない。

ニューヨークで結成されたロック・バンド、シンバルズ・イート・ギターズの3作目となる『ルーズ』は、ジョセフが生まれ育ったニュージャージーの親友、ベンジャミン・ハイに捧げられたものだ。地元のベテラン・バンド、ザ・レンズの大ファンだった2人は、2007年にその中心人物であるチャールズ・ビッセルと親しくなり、彼のスタジオでアルバムのレコーディングを開始している。しかしその数日後──ベンが突然この世を去ったのだ。

その後チャールズはレコーディングを続けることが不可能になってしまったが、残されたジョセフはベンの遺志を継ぐために情報サイトでメンバーを募り、アルバムの制作を続行。こうして完成した1stアルバム『ホワイ・ゼア・アー・マウンテンズ』は、自主レーベルからのリリースにもかかわらず、『ピッチフォーク』のレヴューで絶賛されたことをきっかけに火がつくと、フレーミング・リップスの前座に抜擢されるなど、バンドは思わぬ成功を収めることになる。しかしそんな急造バンドが度重なるツアーのプレッシャーに耐えられるはずもなく、メンバーは次々に脱退し、コンサートの集客もレコードの売り上げも急落。挙げ句の果てにはジョセフがパニック障害になるなど、バンド解散の危機に直面する中で、もう一度かつての情熱を取り戻そうとしたのが、この『ルーズ』という作品だ。

音楽性だけ取れば90年代のエモ・バンドのような本作だが、そうした背景を知った後で歌詞に耳を傾けると、以前とはまったく違って聴こえてくるはずだ。「ベンの更新されていないマイスペースに戻ってきた」と歌われる悲痛なフォーク・パンクの“XR”や、ザ・レンズの“アイ・ゲス・ウィ・アー・ダン”を車で聴きながら、「僕はケヴィンをやって、君はチャールズを真似た」と回想する、絶望的なまでにノスタルジックな“ララミー”。その歌声はどこかナルシスティックで、感傷に酔っているように聴こえるかもしれない。けれども、ジョセフ自身が「センスの良いバンドがビルト・トゥ・スピルやスーパーチャンクを真似ただけに聴こえる」と語る1stアルバムから5年の歳月を経て、ようやく彼は自分にしか歌えない曲を書くことができたのではないだろうか。

そんなエピソードを聞いて連想するのは、フロントマンのウィル・シェフが幼少時代の想い出を綴ったというオッカーヴィル・リヴァーの昨年のアルバム『シルヴァー・ジムネイジアム』だ。実際、ザ・レンズのチャールズとウィル・シェフはお互いの曲をカヴァーしたスプリット・シングルをリリースしたりもしているので、ジョセフもオッカーヴィル・リヴァーのアルバムに触発された部分があったのかもしれない。そして「ベン」といえば、サン・キル・ムーンことマーク・コズレクがデス・キャブ・フォー・キューティのベン・ギバードへの友情と嫉妬をさらけ出した名曲、“ベンズ・マイ・フレンド”を思い出さずにはいられない。

匿名性の高い音楽が蔓延する一方で、置き換えの効かない、刺青のような歌も見直されつつある。「そのレコードが聴きたくて目を覚ますような」、そんなアルバムが作りたかったと語るジョセフは、ベンの死の二ヶ月後、自分の腕に“1、2、3”という、ベンが遺した曲のタイトルを刻んだという。彼の血の滲むような想いは、このアルバムにしっかりと刻まれている。

文:清水祐也

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