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SURF Donnie Trumpet & The Social Experiment (Self-released) by MASAAKI KOBAYASHI
RYUTARO AMANO
July 08, 2015
SURF

ポップ音楽の生成と伝搬における新たなソーシャルな形。
常識の浜辺に打ち寄せるシカゴからの波にサーフズ・アップ!

ドニー・トランペットとは、シカゴのトランペッター、ニコ・セガールの別名。トランペット奏者としての顔は、本作では、特に“ノッシング・ケイム・トゥ・ミー”、それと対になる“サムシング・ケイム・トゥ・ミー”の2曲で強調されている。

が、彼には他にも入れ込んでいるものがあって、2012年の春にニコ・セガール名義で出した作品集『イラソウル:シェイズ・オブ・ブルー』で、自ら声を発して、むしろ、ラップ、どちらかと言えば、(地元シカゴにおいて先行していたデニズン・ケインに接続するような)ポエトリー・リーディングあるいはポエムのほうに近い表現(例えば、自身の音楽との出会いなどについて)を、J・ディラのドラム、セロニアス・モンクのメロディ、MFドゥーム的なヒップホップ感覚を絡めたサウンドと併せ、さらに、適宜ヴィック・メンサ(今や、カニエ・ウエストとのコラボ相手と言うべきか)のヴァースも組み込み、追究していた。

もっとも、彼はいきなりこのソロ作を出したわけではなく、2009年からキッズ・ディーズ・デイズというバンドのメンバーとして活躍していた。これは、基本的にはヴィック・メンサのラップをメインに据え(曲によって女性ヴォーカルも加わる)、ギター/ヴォーカル、ベース、ドラムの3人に加え、トランペット(勿論、ニコ!)とトロンボーン担当も擁する7人組で、最初のEPを気に入ったウィーザーのジェフ・トゥィーディと一緒にスタジオに入って作られた2012年秋発表のアルバム『トラップハウス・ロック』では、ホーンをアクセントにしたオリジナルの楽曲の中で、ニルヴァーナ、ピクシーズ、レディオヘッド、ジェイムス・ブラウン、アウトキャスト、メアリー・J・ブライジ等々の楽曲のリフやメロディを、各プレイヤーがさりげなく引用している。

チャンス・ザ・ラッパーも、このアルバムに参加しているのだが、あらためてキッズ・ディーズ・デイズを聴いた耳で、彼らのトロンボーン奏者の参加曲で幕をあけ、チャンスの名を一躍知らしめた2013年の『アシッド・ラップ』に今接してみると、ミュージシャンシップにも支えられ、ラグタイムからジュークに至るブラック・ミュージックの(歴史に現れた)諸ジャンルをいきいきと縦断する印象が強かったはずなのに、思いのほか、サンプリングやプログラミングへの依存が強く感じられる。一方、『アシッド・ラップ』のほんの数か月後に発表された、(ニコ改め)ドニーによる『ドニー・トランペットEP』(またもラップのメインはヴィック・メンサながら、チャンスも参加)でも、ストリングス(ナマではない)ごと60年代R&B調の曲も含まれているとはいえ、“ライヴ”なサウンドとは距離をとっている。同じ年には、キッズ・ディーズ・デイズが解散、というか分裂。元々ジャズ/ヒップホップ寄りで、ソロ作を出していたドニーが、ロック寄りのメンバーと距離を置いたという感じだろうか。

そんなドニーとチャンス(及び『アシッド・ラップ』の制作の核だったネイト・フォックスやピーター・コットンテール等)を中心にした集合体が、このソーシャル・エクスぺリメンツだ。ソーシャルとはいうものの、全体を見渡しても、キッズ・ディーズ・デイズほどは世間一般的な社会を向いていないし、シカゴの地元勢が多く参加している中でも一際ストリート色が濃厚なはずのキング・ルイのヴァースもあるのに(テーマはオンナのことだし、“ゴー”では女性との関係を多面的に切り取っている)、『アシッド・ラップ』のほうが、まだシカゴのハードなストリートという社会と向き合っていたのでは、という段階にとどまっている。それよりも、チャンスが“ココア・バター・キッシーズ”で聴かせてくれた、二重の意味での、“甘い”過去の記憶、を扱った曲が今回も魅力的だ。これまた、甘い香りとおばあちゃんの記憶が分かちがたく結びついている“サンデイ・キャンディ”にそれが如実だし、曲調も、今日日人気のゴスペル・ラッパーの感覚でも古臭いと言われそうなほど、ゴスペル寄りで(ただし、曲全体としては決して古風ではない)、エリカ・バドゥが最後を締め括る曲のタイトルは“リ・メモリー”という。また、“クエスチョンズ”の視点は、いたいけな幼年時代のものだろう。親密さについての検証があちこちの曲で行なわれているような気さえする。

しかも、それを『アシッド・ラップ』からの続投組を含め、ゆうに50を超えるアーティストを巻き込んで行なっているのだ。例えば、メジャーのラップ・アルバムでは、フィーチャリング・アーティストの数やネーム・ヴァリューを誇示するようなきらいがあるが、ここでは、固有名詞を並べることよりも、ヴァース相互の有機的作用のほうに興味がいっている。体験的にラップを知り、ライムするようにトランペットを吹くとも自分のスタイルを説明するドニーのプロデュース力が、そういった面で活きているのかもしれないし、参加者に“インストゥルメンタリスト”が占める割合が大きい。言うなれば、ドニーの参加によって、『アシッド・ラップ』以上にミュージシャンシップを取り戻した作品を目指した、ともいえる。と同時に、例えば“ゴー”では、ホーンやギター(のカッティング)が絡んでこようが、ビートそのものは、ニュー・ディスコの作法にならったプログラミングでできているし(“クエスチョンズ”も)、“ケアテイカー”に至ってはD.R.A.M.が、ジャヒームの“ファインド・マイ・ウェイ”をリメイク(=歌い直)したものに過ぎないわけで、音楽アーティストの集合体ではあるけれど、いわゆるバンドという概念で、ソーシャル・エクスペリメントを説明しきるのは難しい。

『アシッド・ラップ』が一つの完成形であるのに対し、この『サーフ』は、『アシッド・ラップ』が誕生する以前からシカゴで起きていた動きや人を、あらためてすくい直し、さらに、地元の新進勢からバスタ・ライムスのようなベテランに至るまで多様なアーティストをも巻き込むことで、門戸が広く開かれていることを示した上で、(他のアーティストに向けて)ソーシャル・エクスペリメントとしてのあり様を聴かせているような、一つの出発点となっているのではないだろうか。チャンスは本作で自分たちが作り上げたものをウェイヴィ・ミュージックと呼んでいるようだが、“ゴー”のアウトロでは「surf’s up」と繰り返される。今一番いい波が来ている、いや、自分たちの力でこの作品を通じて波を起こし、それに乗ってしまおうという気概のあらわれだろう。

文:小林雅明

折衷主義が提示するポップのあたらしい可能性。
チャンス・ザ・ラッパーと彼の仲間たちは君をポップへと呼び戻す

ポップってなんだろう? 先週の映画の興行成績を眺めながらふと考える。たくさんの人に受容されているもののこと? ひとまずこの〈サイン・マガジン〉のクリエイティヴ・ディレクターによる試論を読んでみよう(長いけど)。冒頭から引いてみる。「理想的な世界」ではポップは「昨日まで当たり前と思っていた常識や思い込みが一瞬にして無に帰してしまう容赦ない問いかけや告発であり、心地よい安心の底がいきなり抜け落ちて、奈落に突き落とされてしまう衝撃であり、それまで後生大事に大切にしてきたものすべてを捨て去ってしまって構わない、そう思わせてしまう興奮」をぼくたちにもたらしてくれるものらしい。ふむふむ。

ひとまずそんなポップはいま、そう簡単には落っこちてはいない。なぜなら手の届くところにあるポップは、もっとわたしたちに寄り添ってくれるような優しい心遣い(マーケティングとかそういう類の)によって生産されているから。スマホのゲームとか(通勤中、電車の中でスマホゲームをやっていて当たり前だと思っていた常識がぶち壊されてしまったら気が狂ってしまう)。ラブライブとか。そういった安心感を与えてくれるポップはここではないどこかへと連れていってはくれない代わりに、疲れきった日々をやりすごせる程度の適度に簡便な刺激を一時的に供給し、常に揺らいでいて不安定きわまりない自己同一性を担保してくれる。仕事に疲れきった君は口ずさむ。「♪私以外私じゃないの……」。

でも実は、ワンクリック、いや、スマホのワンタップ先には聞いたこともないようなポップが転がっているのも事実であって。ただそのワンタップ先に進むには、物事をちょっと斜めから見たり、眼鏡の曇りを拭きとったり、いつもの通勤ルートじゃない脇道を歩いてみたりすることが必要だったりする。

さあ、〈DatPiff〉というサイトを開いて。いかにもゲット・リッチ・オア・ダイ・トラインな感じのいかついジャケット群にきな臭さを感じながらも、検索窓に“surf”と打ち込んでみよう。……するとほら、白黒のジャケットのアルバムがダウンロードできる。しかも無料。ドニー・トランペット&ザ・ソーシャル・エクスペリメント(SoX)というバンド名に聞き馴染みはないけれど、あのチャンス・ザ・ラッパーが参加しているらしい。

とはいっても、『サーフ』はチャンス・ザ・ラッパーの新譜ではない。バンド名のとおり、ドニー・トランペットのプレイがまずは主役であり、そしてバンド・メンバーたちの生音の演奏がつくりこまれたトラックと絡みあい、“民主主義的”とも評された有名無名入り混じったゲストたちがそれぞれの声を持ち寄っている(そのゲスト・リストについて深く知りたければ、ブログ〈キープ・クール・フール〉のすぐれた4つの記事を参照のこと)。でも、チャンスのソウルフルな声色が『サーフ』を貫く芯のように響いていることも、たしかなことだ。

さて。上にも書いたとおり、『サーフ』はこれまでのチャンス・ザ・ラッパーのアルバムと同様フリー・ダウンロード。レコード会社からのオファーも蹴り、言葉そのままの意味でインディペンデントを貫く彼とそのバンドメイトたちは、スーツ姿のデスクワーカーなんかに音楽のコントロール権限を握られてたまるか、とこんなにも新しくて輝かしいアルバムをタダで配っている。2曲めの陽気な“スリップ・スライド”を聞いてみよう。トランペットの重奏とドラムロール。そこにベースとワウギターが重なっていく。SoXがバンドとしての演奏を心底たのしんでいる様子を、まずはサウンドが告げている。「滑って転びたくなんかないよ/自分のこの2本の足で立っているんだから」。dependという単語には「ぶら下がる」という原義があるらしい。彼らは何者にもぶら下がっていない。independentとして自らの足で立っている。

『サーフ』はあなたの常識を叩き壊すような破壊的なアルバムではないけれど、純粋な驚きと新鮮な発見が満ちている。ここにはヒップホップがあり、ファンクがあり、ジャズがあり、ディスコやハウスがあり、ドゥ・ワップがあり、勿論R&Bがあり、ゴスペルの高揚があり、インディ・ロックの精神もある。いわば折衷主義。いろいろな音楽のいろいろな要素がひとところに同時に存在しているけれど、ちゃんとSoXのサウンドとしてスムースにトリートメントされている。それは、“Chiraq”と呼ばれ、ジュークやドリルを産んだ彼らの出身地からは想像もできないほど明るく朗らかで(シカゴ・バップとはその点、共振している)、どこかノスタルジックだけどまぎれもなく新しいサウンドだ。控えめに言っても、ここにはポップの新しい可能性がはらまれている。なにせ形容のしようがないほどにエクレクティックなのだから。

最初に引いた試論の中盤でテイラー・スウィフトと袂を分かった君にザ・ソーシャル・エクスペリメントは呼びかける。「お願い、行かないで/ほら、いい波が来てるから」(“ゴー”)。そしてまた君は危険かもしれないポップの波打ち際へと引き寄せられ、ボードに乗るだろう。仕事に疲れきった君は別の曲を口ずさんでいるかもしれない。“♪I don't wanna be you, I just wanna be me… You just should be you”(“ワナ・ビー・クール”)。もしかしたらこの『サーフ』というアルバムは、これまで君が大事にしてきたものをなにかひとつ捨てさせるかもしれない。

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